セルフの概念はなかなか説明が難しいです。
セルフとはセンスとライフの造語でもあります。
安易に解釈しないように、なんとなくのイメージは以下のような感じです。
目の前に、花が咲いている。
それを、花オリジナルとします。
それを、エゴAさんが見るとします。(Aは本来は名前である)
花オリジナル←エゴA
すると花オリジナルはエゴAを通して心で花Aと認識されます。
花オリジナル←エゴA(花A)
それをエゴBが見れば、さらにエゴBの心に花Bが存在します。
エゴB(花B)→花オリジナル←エゴA(花A)
エゴAとエゴBはまったく同じ、花オリジナルを見ているに、花Aは笑っているように写り、花Bは泣いているように写っていました。
エゴAにとっては花Aは花オリジナルとイコールですが、
客観的には花オリジナル ≠ 花Aとなる。
同じように、エゴC、エゴD、エゴEとそれに参加すれば、各心に花C、花D、花Eが写ります。
現実に花オリジナルはひとつですが、各エゴの数である、5種類(A,B,C,D,E)の違う印象の花が生まれました。
別に、今更、エゴの見方はそれぞれ違うのですよと言いたいわけではありません。
考えて下さい、では花オリジナルは何処に存在するでしょう?
さらに、もし、逆に花が各エゴのことを見ていたとします。(花は心が見えるとする)
各花5種類(A,B,C,D,E)がエゴ(A,B,C,D,E)を見ている。
エゴオリジナルが存在したとすれば、それは一体何でしょう?
花B(エゴB)→エゴオリジナル←花A(エゴA)
花Aと花Bはまったく同じ、エゴオリジナルを見ているに、エゴAは笑っているように写り、エゴBは泣いているように写っていました。
さっきの逆ですね。
さて、さらにややこしい、話ですが、さらにこの花オリジナルを見た各エゴを、
地球オリジナルを生きた各エゴと置き換えてみて下さい。
花オリジナルを見た を 地球オリジナルを生きた に置き換える。
生きたということは、その一生はセルフという事です。
現実に地球オリジナルはひとつですが、各セルフの数である、65億種類以上(∞)の違う印象の地球∞が生まれましたと。
セルフA(地球A)→地球オリジナル←セルフ∞(地球∞)
考えて下さい、地球オリジナルは何処に存在するでしょう?
もし、セルフオリジナルが存在したとすれば、それは一体何でしょう?
地球A(セルフA)→セルフオリジナル←地球∞(セルフ∞)
理解するのに、一週間から一ヶ月は掛かるでしょう。
2007年05月18日

