セルフという言葉は「センス」と「ライフ」を足して割った造語である。
当然「わたし」という意味はありますが、私の意味を広げて、深めて、ちっぽけなエゴ性格=私から脱して欲しい。
私の性格や人格は、今まで感じた(センス)ことの人生分(ライフ)のシルエットに過ぎない。
それは太陽の光で輝く、月のようなものだ。
人の深みは、結局、このセンスとライフの質に掛かっている。
それは理解できると思う。
経験が大事などという。(実は経験が全て)
多くの人は、その人の性格、人格を見ようとして、(エゴを)見る程に、その人(セルフ)を見失うのだ。
その人の本質は、性格でなく経験であり、センスとライフが実はその人(セルフ)といっても、さほど無茶苦茶な話ではないと思う。
基本セルフの概念はそんな感じ。
人間もコンピュータも基本は同じ。
それはインプット、処理、アウトプットという概念だ。
INPUT→[処理]→OUTPUT
センスとは感受であり、インプットである。
日本語では、センスは感性っぽい意味だが、英語では五感という意味合いが強い。
ほへと弁では、センス(感受)は、感覚、感情、感性の3つを指しています。
処理は、エゴ意識である。
感じた事に関する、評価や今後の行動パターンを決定する。
通常、人はここを自分と思っている。
しかし、占い等で、ここは容易に当てられてしまうことがある。
エゴにはプログラムされたパターンがあるからだ、それを解読するのが占い師。
だからそんなものを自分と思い込まないで。
アウトプットとは何だ?
アウトプットは意志であり、行動である。
その結果がライフである。
ここが大事な点です。
ほへとは、その人とは、その人独自の状況(INPUT)と、その人独自のやろうとする意志(OUTPUT)が本当のその人と見ています。
ほへとは占い鑑定の時に、詳細な状況を聞きます。また必ず、意志を確認しようとします。(処理部は占いで分かります)
いけてない相談者は、まず状況が分かっていません、当然、それではまともな思考も出来ず、何をしたいのかも分かっていません。
さらに車のハンドルを他人や占い師などに渡そうとします。
だから、まず、ほへとは状況を聞きます。状況を説明さす事で、問題を認識してもらいます。
また、意志がなければ意志を無理矢理でも持たそうとします(喝入れと呼ぶ)
メール鑑定では、状況説明が出来ず、何がしたいのかも分からない人がいて困ることもあります。(電話鑑定を勧めすが、、)
意志が無く、感受ばかりでは、ライフの質は低下します。この場合は自律神経失調症になります。
感受が無く、意志ばかりでも、ライフの質は低下します。この場合は高血圧や心臓病になります。
ライフの質の低下は、エゴ意識の防御作用によって、よりエゴを強めます。
エゴが強くなれば、センス(感受)が低下し、間違った判断によってさらにライフの質は低下します。
そうです、エゴの強い人は、センサーが腐ってしまうのです。
それは、目と耳を塞いで、走り回る(意志と行動)とどうなるか?
エゴの強い人の行動パターンってこんな感じですね(笑)
また、最近多いのが、
感受も意志も無く、エゴだけ強いひと。
ほへと的には、存在が見えない。セルフの弱い人。
一見、穏やかでやさしいが、基本無気力な人です。
自分と思っているエゴだけを傷つけないように、ろくに撮影しない高級カメラを抱きかかえて、性能自慢しているような感じです。
でもその人が悪いわけでもなく、かといってこの文明や時代、政治のせいにしても仕方がないので、とりあえず。
注意!エゴは自分の本質ではありません。
私というものの本質はどこかという事です。
見ている側、撮影者ではない。
それは、感じている風景や世界側、同じく意志で行動で変えようとしているこの世界側。
それが本当の自分であり。
セルフです。
その被写体側であるセルフを成長させることが、生きるという事の何かのヒントなのです。
だからエゴ側をかばい過ぎないように。
いずれ、エゴ側は、時間制限があります。
またエゴが生まれ変わろうが、そんなことはどうでもいいですので、囚われないように、
(過去生、過去生というひとはエゴが強いです)
エゴを癒す暇があったら、エゴを鍛錬して下さい。
エゴなどボロボロになっても、永遠に消えない、一瞬のものを追い求めて下さい。
芸術家が、個展を開く度に、作品は成長していきます。または深化していきます。
あなたの見て、感じているこの世界と思われている現実も、芸術家の作品と何が違うのでしょうか?
少しずつセルフを成長、深化させてみて下さい。
(やっぱり説明は少し難しいですね)