平清盛のうんちく
京都式風水の基礎となった平安京の研究もしていたのだが、
平清盛を平安京、桓武天皇、空海、風水というキーワードで見ていきたい。
桓武天皇により平安時代は幕を開けるが、ある意味、平安時代の幕を閉じたのは平清盛のような気がする。
平清盛の血筋は、実は父、平忠盛の子ではなく、白河上皇のご落胤(父親に認知されない私生子)で、皇室の血を引くという説がある。
そうでなくとも、もともと平氏というのは、桓武天皇の三男・葛原親王が祖といわれ、この流れは桓武平氏と呼ばれる。
また平氏の「平」は平安京の「平」とも云われている。
平安京のコンセプトは「HYBRID」である。
古来の神道と、大陸からの仏教の融合であった。
神仏習合の理念で、京の街は造られていたのだ。
平清盛はそういう意味では、武士と公家の「HYBRID」を目指したのかもしれない。
また、その清盛だが、意外にすごく信仰心が強かった。
32歳頃、高野山で、金剛峰寺の大塔を修理している。
修理後、高野山奥の院で白髪の老僧(空海っぽい?)に厳島神社も修理するように言われ、素直に厳島神社修理する。
その厳島神社修理後、厳島神社の大明神からの合力を得て、後に鬼のように出世し、権力を得えたようだ。
しかし、あるきっかけで大明神からの合力が消え、西に沈む太陽のように一族も滅ぶこととなる。
清盛に関係するお寺は大体真言宗(空海祖)。
清盛の別宅、西八条の館は風水を意識して造られている。
実は平安京の風水範囲は実際はもっと広く、西は亀岡、南は大山崎の天王山まで及ぶ。
真の玄武は船岡山ではなく、高雄山である。(と考えている)
ちなみに、現在の京都の玄関口である京都駅だが、高雄山との関係が面白い。
ほぼ45度北西に高雄山が位置する。逆に45度南東に京都駅があるのだ。
こういうのは、京都内には多い、当時の中心である千本丸太町から夏至の日の出。日の入りの方位に比叡山、愛宕山がある。
真南は潮岬&法隆寺。
ちなみに去年の大河ドラマ「お江」の浅井家の小谷城は、千本丸太町から真北東45度にある。
清盛の別宅、西八条の館は、現在では若一神社となっている。
八条なので、当然真東に京都駅の八条口がある。
昭和の始め、西大路通りを広げる工事の時、この神社のクスノキを移動しようと、根や枝を切った3名ほど続けて亡くなったそうで(中村重義宮司談)、祟をおそれ、定規で測った如く碁盤の目の京都市内の中で、ここだけ西大路通を曲げることになる。
ちなみにこのクスノキは清盛自ら植えたとされている。現在はかなり弱ってきているそうです。
若一神社の位置と、さりげく曲げられた西大路通り。
なんと、ほぼ45度北西に今度は愛宕山が位置する。逆にその45度南東に若一神社(西八条の館)があるのだ。
風水的には、神戸港から物資を、川を使っても運んでいただろうから、この辺りは湿地帯も近く、京都駅もたぶん昔は港のような感じだったはずだ。
西八条の館は入り口で、奥に六波羅という東西構造だったのかな?
普通は南北構造だが、風水的な独り言。
ちなみに、神戸港を作ったのは、この清盛な。今の神戸の繁栄は清盛に遡るということ。
このときにおそらく調子に乗って、都を神戸の福原に遷都してしまっているのが、没落と関係があると見ている。
京都を裏切ったら怖いのよね。
若一神社の中に特別に入れてもらいました。
当時の西八条の館の様子を表す絵も飾ってありました。
中村重義宮司と後ろのちっさいおっさんが、平清盛。松山ケンイチとだいぶ違うね。
ここの神供水は出世的なパワーがある。近くに、ワコールや大きな製薬会社、また大島渚監督は宮司さんの同級生。他、言えませんが、誰もが知っている、知っていた、あの超有名人もここの町内出身。マジでご利益有りそう。
今度行ってペットボトルに水もらいにいこ。
クスノキの隣に、愛宕神社の石塔があったから、愛宕神社の方位45度と関係あるか宮司さんに聞いたが、これは、京都の街は火災が一番の災害だったらしく、町内には火伏せの愛宕神社の分身が必ずあったそうで、これは近所のもう無くなった町内のものを預かったらしい。
若一神社
京都府京都市下京区七条御所ノ内本町98