2012年08月31日

般若心経の研究(5)「般若波羅蜜多」

「般若波羅蜜多」とは?
般若:根源的な叡智とか、究極の真理。般若の面は関係ない(はず)。
波羅蜜多:彼岸に渡るの意とか、菩薩必須カリキュラム、サンスクリットでパーラミター

般若波羅蜜多:要は6つの修行(六波羅蜜:菩薩必須カリキュラム)の中の一つで、究極の真理を得ることを指向する修行のことを指す。

般若心経冒頭で、「観自在菩薩」が「般若波羅蜜多」の行深、時に、「照見五蘊皆空 度一切苦厄」がそもそもの始まりである。

その後、弟子の舎利子に「五蘊皆空」の「空」とさらに「空」の中を説明。

で、今回、
「菩提薩埵」、「三世諸仏」がそれぞれ(?)「般若波羅蜜多」を依るが故え(よるがゆえ)、どうなったかが説明される。
「心の恐怖心や迷いから、開放され、絶対の悟りの境地に至る」とある。

「菩提薩埵」は修行中の菩薩。「三世諸仏」は悟った仏。

さらに、
故えに知る、「般若波羅蜜多」は、最上級の「呪文(真言)」である。とある。

最終的には、「般若波羅蜜多」の「呪」を説くとなり、あの「羯諦羯諦ー」に続くのであるが、この最後の方はよくわからん。

ほへととしては、
「般若波羅蜜多」は最上級の「呪文(真言)」であると言っているのに、
さらに「般若波羅蜜多」の「呪」を説くとはどういうことやねん。
「般若波羅蜜多呪」が「是大神呪」ではなく、
「般若波羅蜜多」が「是大神呪」だろう?矛盾?

そもそも、「観自在菩薩」、「菩提薩埵」、「三世諸仏」が大事なのは「般若波羅蜜多」
であり、「般若波羅蜜多呪」ではないはずだが?
何か最後が、無茶な気がするがそれは、素人だし、いずれもっと分かる日が来るかもしれない。
何にしても、分からない事は、分からないで、先送りすることも大切で、
今の未熟な自分に理解できるように低レベルに解釈するべきではないだろう。

また、訳者によっても、区切り方から、解釈までこの辺りはいろいろですね。
まぁ万一わかるときは悟った時かな(笑)

とりあえず、「般若波羅蜜多」は、あっち(仏界?)ではこう言って(呪)ますよ的な感じで置いています。

結論的に、
要は、「般若心経」の本質は「空」を説くのではなく、どっちかといえば、「般若波羅蜜多」が大事ですよということが、素直に解釈すればわかる。

まぁ誤解も織り込み済みで言えば、般若心経とは、この「究極の真理を得る修行(般若波羅蜜多)」へのお誘いではないかと思う。(甘い口説き文句も多い)

大事なのは、「般若心経」の文章自体でも「空」でもなく、「究極の真理を得る修行(般若波羅蜜多)」の実践により、「五蘊皆空」であることを掴むことではないか?
まぁ般若心経自体が、宝ではなく、宝の地図であるという当たり前のこと。
宝探しの旅が「般若波羅蜜多」、宝が「空」、旅人が「五蘊」という感じかな。

さらに続く。
posted by ほへと at 17:38| Comment(3) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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