心は、現実ではない。極論すれば現実に存在しないのだ。
だから、心に年齢や老いはない。
しかし、心は、現実に左右される。
若くても、身体が動かなくなれば、心は老いたようになり、
高齢でも、元気で、心も若々しい人はいる。
心の成長は、身体とは違い、単に、若い老い、強い弱い、など単純なものではないが、
ほへとは、心の成長とは、気付きの数だと思う。
気付きは、知識ではない。
知識を増やしても、知っているだけで、気付きとは全く違う。
本当に誰かの気付きであっても、他人には知識の情報でしか無い。
心の成長は気付きを生み出すことだ。
心は心配症だ。
ためには、「今」を見ないといけない。
多くの人が心配し「少し先」を見て焦っている、まやは「少し前」を見て後悔しているかもしれない。
気付きは、「今」を見なければ起こらない。焦っていては起こらないのだ。
ため息を吐くように、息を吐こう。ため息はネガティブではない。
本当の勉強は、外に求めるものではない。
学ぶことは、この今の状況にある。
どこかにあるのではない。
今日は、雪が降っていてとても寒い。
多く人が、足早にというか、慎重に歩いている、はやくこの場から逃れたいように。
子供だけが、雪を楽しみ、はしゃいでいる。
この辺りに、心の年齢が出るかもしれない(悪)
もっと、今を感じ、寒さも、足元の悪さも、雪も、無邪気に堪能しよう。
理想は、心は成長し、多くの気付きを生み出している。
しかし、心は若い。を目指したい。