肩の力を抜くというのは、
腕の上、両肩の力を抜くのではない。
言葉としては間違っているのだが、
肩こってる、じゃ、揉んでやろうという場合、
三角筋付近の両肩ではなく、首根っこ付近をマッサージするだろう。
緊張すれば、肩胛骨の上部と後頭部をつなぐ、僧帽筋が緊縮する。
結果、肩が上がるのだ。
緊張、寒さ、痛みを感じると、ここが緊縮する。
緊張や、寒さ、痛みを、抱え込むからだ。
緊張や、寒さ、痛みを、手放そう。
「痛いの痛いの飛んでいけ!」
これは、抱え込んでいる痛みを手放させる呪文。
実は、エゴ側に入り込んだ意識を、現実側に戻しているのだ。
同じように、肩の力を抜く場合も、
意識が、エゴ側に入りすぎていることに気づき、エゴの内ではなく、エゴの外に意識を向けよう。
唯識や量子力学も、私が見るから、その存在はあるという。
それなら、エゴという意識も、誰からに見られているから存在しているのではないか?
それは誰?
エゴが感じる緊張や、寒さ、痛みを、その誰かさんに見せれば、それは緩んでいく。
2018年01月07日

