「私」とは何か?
考え方はいろいろある。
「私」とは、この身体を動かしているもの?
ほへとは身体を動かしているものを「エゴ」と呼んでいる。
一般的に何気なく使う「私」とは、「本当の私」の一部である。
本当の私
「本当の私」とは、身体ではなく、この身体が歩んできた道、また歩んでいく道のこと。
一生や人生といえるようなもの。
ほへとはそれをエゴと区別するために、「セルフ」と呼んでいる。(センス+ライフの造語)
「セルフ」は、ステージ3の領域にいる。
「エゴ」は、ステージ2の領域。
すなわち、「エゴ」は「セルフ」より次元が低く、「セルフ」は「エゴ」より次元が高いということになります。
一般的に、「私」とは、この身体の主である、「エゴ」と思っていますが、
意識を上げて「私」を「セルフ」と考えられるようになると、「身体」すら、「エゴ」より次元が高いことが分かってきます。
例えとして、「エゴ」は生年月日、「セルフ」は名前といってます。
名前は、この身体に付けられたものではない。
個別認識のためのラベルではない。
一生である、私の人生に付けられた名称なのだ。
例えば
坂本龍馬という名前は、彼のエゴな部分では無く、この世界での生き様や彼がこの世界に与えた影響に思いが馳せる。
名前は性格ではなく、何をした人か?ということだ。
だから、改めて考えて欲しい。
この身体を動かす「エゴ」は、性格の事。
生年月日を数秘化すれば、ちょっとは分かる程度のもので、
そんなものが本質であるはずがない。
本当の自分とは、性格といった、身体の奥にるものではなく、性格も含めて身体が行った行為、その結果の集大成である。
考え方や知っている知識はエゴの一部。
なので、実はどうでもいいのだ。
大事なことは、何をしたか?
考えてるのは「エゴ」だが、
実際の行動、振る舞いにはあなたの責任である、
すなわち、「名前」が付きます。
言霊のところで、自分の名前を唱えるというのもそういう意味です。
だから、行動が全てなのです。