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2008年07月04日

平安京の風水(7)真の朱雀、大山崎・天王山

以前も話したが、2つの川が合流する。それは非常に強いパワーを生み出す。
それが、なんと3つ合流するポイントがある。
それも、龍である、桂川、宇治川、木津川の3つの川が合流し、淀川となり大阪へ流れるポイントだ。

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Advanced[es]の外付けGPSで位置確認。

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対岸にそびえる天王山

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桂川、宇治川、木津川の3つの川の合流ポイント


京都南部の乙訓郡大山崎町である。
乙訓郡。弟の国から来ているが、バカにしたもんではない。(ほへとは次男ですがなにか?)
ちなみに兄の国は葛野郡(京都市西部)

当時は水路というのは非常に重要で、この大山崎を失えば、京都、宇治、奈良、大阪、さらには大陸からの水上ルートをも失うことになる。
山崎津.jpg
平安京・長岡京以前の、大山崎、山崎津。(by琵琶湖博物館)

当時、山崎津(港)は、平城京、長岡京、平安京の外港であった。
すなわち、シルクロードの終着駅であったのだ。
また陸路に関しても、この地から、今で言う名神であり、山陽道ルート(171)である。このルートの反対は奈良平城京であった。

そんなこの重要ポイントを見下ろすように、天王山というのがある。
天王山で有名なところでは、明智光秀が、信長を倒した後、ここで秀吉軍と対決する天下分け目の「山崎合戦」の舞台である。
この山を制した方が天下を取るところから、天下分け目の天王山と呼ばれた。
納得である。

平安時代もし、この地点に不穏な動きがあれば、天王山からののろしなどで、京都の西山山系を通じてすぐに御所に伝えられたはずだ。


桓武天皇が、平安京の前に、このすぐ北に長岡京を造ったことはなんら不思議ではなかったのだ。
平安京においても、この大山崎は真の朱雀門であり、
交通のターミナルであり、文化の入り口であり、防衛上の要塞である。

そう、この地は真に朱雀なのである。


現代でも、京都の県境であるが、交通の要である。
名古屋、神戸方面に名神高速道路の大山崎JCT/IC、宇治・滋賀方面へ京滋バイパス。
171号線(旧西国街道)、東海道新幹線、JR、阪急。

また大山崎には、サントリーがある。
そんなこの地のウイスキーやビールが全国の人を楽しませている。
(※3本の合流した川からの水を使用していません。非常にうまいとされる豊富な大山崎の地下水です)


ついでにまた、大山崎の手前、現長岡京市の南には小畑川という小さな川が桂川に合流しているが、ここもマイナーだがポイントは高い。

小畑川の合流地点には、勝竜寺、勝竜寺城がある。
この付近には乙訓郡で最大の恵解山古墳がある。
小畑川はこの恵解山古墳のすぐ脇を流れ、桂川と合流する。
古墳時代から、この地は重要だったのだろう。

また、長岡京の太極殿から、北西に桓武天皇御母御陵がある。
789年に亡くなって、呪いだ祟りだと平安遷都の理由にもなっている。

長岡京の太極殿から桓武天皇御母御陵の方位を計ってみた。
「目的地への方位は北西です。 方位中心 レベルS(ほぼ中心) [ 北西中心から+0.1度(315.1/360) ]です。 距離は直線で約5.664kmです。」

恐るべきピッタリさ。
五条通り、西の亀岡へのルート、桂坂のふもとにこの御陵はあるのだが、
実はこの小畑川の源流も、丁度この辺りである。

千本丸太町の平安京の太極殿からは、
「目的地への方位は南西です。 方位中心 レベルC [ 南西中心から+14.7度(239.7/360) ]です。 距離は直線で約9.765kmです。 」

丁度夏至の比叡山、60度の反対側、240(60+180)度である。(冬至の日の入り)

この桓武天皇の御母対する意識を感じるのであった。
posted by ほへと at 19:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 占術に関係する事柄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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