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2008年08月03日

見つめる力

「愛」という言葉は嫌いだ。
まぁ照れもあるが、何か、ややこしい。
大体「愛」という言葉を、他の言葉で言ってもらえば、
ほとんど違う意味のことを、同じ単語を使って言っているだけだと分かる。

一番危険なのは、何も分かっていないのに、
同じ言葉ということで、分かった気になり、
「愛」を自分の分かる範囲の低レベルに解釈してしまうことだ。

本来反対の、恋や情の意味で使う人も多い。
また、他の人の体験の愛の例えを、簡単に鵜呑みにしたりする。

まぁパートナーとの円滑なコミュニケーションの為に使用する魔法の言葉でもいいが。


ほへとを含め、多くの人は「愛」など分かっていないのではないか?
もし、本当にあるなら、いつか、分かりたい。知りたい。
程度に考え、安易に既に知っていると思わないことだ。

同じように、平和や自由、幸せや神なども同じようにややこしい。


まず、「愛」の初歩ステップとして、
「見つめる」という事をする。
まずは自分を見つめてみよう。

しかし、それは、反省でも、性格分析でもなく、
ましてや鏡みてナルシーな事を言っているのではない。

無感情に、無思考に、ただ力強く、自分自身を見つめる。
(念のため、鏡に映る自分ではなく、目を閉じて、内観するような感じですよ)

大事なことは、無感情、無思考である。

いいことも、悪いことも、哀れも、誇りも、
ただ、見つめるということだ。

慣れれば、自分のどこを見つめたらいいかが分かる。
それが分かれば、相手のどこを見つめたらいいかも分かるでしょ。

分からなければ、とりあえず、今日の自分や、今までの自分の過去を、
無感情、無思考に見つめてみよう。


見つめる力は、何が何を見るのか?をレベルアップされる。

エゴはエゴしか見れない。
エゴは感情的で、良し悪しの判断をしたがる。
エゴが愛をみれば、その愛はエゴだ。

それを抑える為に、見つめる力を養いましょう。
posted by ほへと at 14:18| Comment(21) | TrackBack(1) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
引き篭もっててにっちもさっちも行かなかった時、
父は私の進路とか体のことを心配しているような感じで、
うまくいえないけど愛されてる?と思ったことがあります。
時には休日にも出勤する父、辛いことがあっても黙って耐える父、普段TVみながらゴロゴロしてるけどイザという時にたよりになる父、
立派な父ももてて私は幸せ者です。でも頑張りすぎて体を壊さないように。
と父に対して思うんですけど、これも一種の愛でしょうか(´・ω・`)
Posted by 雪 at 2008年08月03日 16:14
私はすぐに感激して、胸がドキドキしたり涙が出たり鳥肌たったり・・・とても感情的なんだと思うのですが、これって先生に言わせると単なるエゴなんですかねぇ(^_^;)
エゴって言葉はあまり聞こえがよくないから、感情的な性格、体質はあまりよくないって言う事でしょうかね・・・難しいですね(・・;)
Posted by waka at 2008年08月03日 16:51
今日は電話鑑定ありがとうございました。

今日、ほへとさんから
「冷静に自分を見つめる、相手を見つめる」
というアドバイスを頂き、見つめることなんてしていなかった自分に気づきました。
見てるようで、何も見てないような気がしました。

私も愛という言葉は好きではありません。
よく知らないことを言うのは、軽はずみな気がして・・・。
でもいつか知ることがあれば面白いなぁって思います。

Posted by れい at 2008年08月03日 18:52
雪さんへ、お父さんが見つめてくれているようにまず、自分を見つて力に変えて行きましょう。

wakaさんへ、その感情的なエゴ(自分)を、無感情に見つめましょ(愛しましょ)

れいさんへ、こちらこそ、ありがとう。
見つめることも難しいので、がんばってね。
Posted by ほへと at 2008年08月04日 12:28
「情」!!そうですね。
一見「愛」にみえます。
似て、非なるもの…という感じです。

もっと意識を大きく拡大して、地球まるごと自分くらいに感じられるようになったら、どんな光景が見られるんだろう…と、考えたりします。

「アミ」の本を今日読み終えたので、よけいそうおもうのかもわかりません…。
Posted by rei_co_o at 2008年08月04日 19:59
『愛』の感覚がよくわからなかったけど(自分の名前なのに;)誰にとっても難しいものなんだ!というのがわかって少しホッとしました☆
それと今まで反省と性格分析ばかりしてた気が。。。『自分自身を見つめる』って難しそうだけどやってみます〜。
Posted by ai at 2008年08月04日 20:42
無感情、無思考で見つめるって難しいです。頭の中で反省会が開かれてしまいます。
目は閉じちゃってる方が集中しやすいと思うのですが、開いて一点見つめてた方がヨイとか、なにかあるでしょうか?
変な質問ですいません。
Posted by やすこ at 2008年08月05日 01:06
上の質問、失礼しました。
目を閉じて 内観するように って書かれてますね。ごめんなさい!
Posted by やすこ at 2008年08月05日 16:35
愛の反対語は無関心ですね。ですから、愛がなんなのかわからなくても、関心があることだけでも愛なのではと思います。
Posted by かな at 2008年08月06日 11:50
愛…ですかー。
「何かに対する欲」の別称、という感じに捉えておりました。
矢の様な一方通行的な印象も有ったりとか。
友愛や家族愛という形は好きではあるのですけども、愛そのものについてはあんまり良いイメージは無いですね、何故か…
Posted by reki at 2008年08月08日 03:13
rei_co_oさんへ、人それぞれの定義ですが、情とごっちゃですね。自分を感じてる大きさが、地球の大きさですね。

aiさんへ、名前に愛って素敵ですね。
人よりもその意味をしっかり考えやすいものです。

やすこさんへ、
やはり、座禅など、姿勢を正すことが何より一番です。

かなさんへ
>他の人の体験の愛の例えを、簡単に鵜呑みにしたりする。
ちゃんと、自分なりの意味を探した方がいいと思います。
あえて言えば、無関心に徹して生きる方が、浅い関心より逆に愛というものが見えるかもしれません。

rekiさんへ
そうですよね、愛という言葉で多くの人が戦争に巻き込まれたりします。ほへとも「愛」という言葉には良いイメージがありません。でもそれが本当に示していることには興味があります。

Posted by ほへと at 2008年08月08日 17:01
私は、相手を「信じない」ようにしているのですが、
ほへとさんのいう見つめると近いもののような気がします。ちょっと違うでしょうか?

信じないで、何も思う事なく余計なものが混ざらないそのままの相手の事を、見る。
言葉や行動ではなく、本当は何がしたいのか、思っているのか、を知って、
それから、自分の感情を返したいと思うんです。
ただ、まだあまり出来ないので、出来るよう努力中ですが・・・

たぶん、嫌うよりは好きになりたいって気持ちが根本にあるんじゃないかと。
だから自分に向けられた好意は些細なものでも、誤解無く受け取り、また好意を誤解無く返したい。

こういう気持ちも、一種の愛なのかなと、思ったりします。
Posted by 愛 at 2008年08月09日 12:00
愛さんへ、信じるというのは、相手を最後まで見つめないという気もします。疑えとも違うけど、信じろというのも違いますね。やはり余計なものが混ざらない、透明な気持ちですね。
Posted by ほへと at 2008年08月11日 16:04
自分が避けたい方向へ物事が進んだり、虚しさで動けなくなるとき、起きている事象と心の動きをただ眺めるようにしています。そこに分析は一切ないです。

私にとって「見つめる」という行為は、喜怒哀楽よりはるかにエネルギーを必要とするのですが、なぜか「立ち上がる気力」すら無い状態のほうが「見える」ようなのです。なぜなのでしょうね?
と、問うても答えは自分の中にしかないのかもしれませんね。

失礼致しました。



Posted by crow at 2008年08月24日 13:30
crowさんへ、
それは、冷静なのか、分裂なのかわかりませんが、
見つめることには、力が必要です。

答えを、この現実に発生させる。
問うている、今の自分の中には答えは無いかもしれませんよ。
みつめるとはそういう事です。

なお喜怒哀楽は基本外部エネルギーです。
Posted by ほへと at 2008年08月25日 20:49
先日、ちょっとした決意をしたところだったのですが、今になって恐怖心が芽生えてきて、これは良くないなと思ったのですが、これはエゴがセルフの決定に反抗していると言えるのかもしれないですね。
もう一度空になってみつめると、澄んだ心に決意を貫く意志が強くはなります、しかすやはり完全に恐怖を取り去ることができない。

愛というのは、この恐怖を克己したところに近いような気もしました。少なくともまだ遠いようです。
Posted by At at 2008年09月28日 00:46
Atさんへ、エゴの基本は恐怖です。そういう意味では、恐怖を克服した力は、愛かも知れませんね。
Posted by ほへと at 2008年09月28日 22:11
私は愛って、絶対自分をいい方向につれてってくれる力。みたいに解釈してますけど本当のところは何なんでしょうね??よくわからないです。
Posted by をたく at 2008年10月05日 12:58
をたくさんへ

愛は良い場所です。
そこへ行くのが大変なのですね。

そこへ行く力が課題ですね。
Posted by ほへと at 2008年10月06日 18:21
本当に大好きな人に「好き」とは言えても、「愛してる」という言葉をどうしても言えなかった経験があります。
これって何なんでしょう・・・
言おうと思うんですけど、何かが口を開くのを止めてるという感じでした。

愛という意味はわからないけど、自分でもわからないなりに区別していたのでしょうか

ここで、みなさんが会話されてる愛の意味と違いますかね^^;
すみません!

あの時の感情が忘れられなくて、書かせていただきました。


Posted by ゆっちー at 2012年02月22日 10:24
ゆっちーさんへ
多分、日本人だから(笑)
いい思い出です。
Posted by ほへと at 2012年02月23日 11:24
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愛の歌
Excerpt: ほへとさんが、 愛 について書かれていて、 いろいろと思い出した。 その昔(もう時効だもんねー)、 「オレは愛が何なのか分からないから、今まで一度も言ったことないし、言わない。」 と言い切った人..
Weblog: ハナイロ・イロ
Tracked: 2008-08-05 22:37
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