「愛」という言葉は嫌いだ。
まぁ照れもあるが、何か、ややこしい。
大体「愛」という言葉を、他の言葉で言ってもらえば、
ほとんど違う意味のことを、同じ単語を使って言っているだけだと分かる。
一番危険なのは、何も分かっていないのに、
同じ言葉ということで、分かった気になり、
「愛」を自分の分かる範囲の低レベルに解釈してしまうことだ。
本来反対の、恋や情の意味で使う人も多い。
また、他の人の体験の愛の例えを、簡単に鵜呑みにしたりする。
まぁパートナーとの円滑なコミュニケーションの為に使用する魔法の言葉でもいいが。
ほへとを含め、多くの人は「愛」など分かっていないのではないか?
もし、本当にあるなら、いつか、分かりたい。知りたい。
程度に考え、安易に既に知っていると思わないことだ。
同じように、平和や自由、幸せや神なども同じようにややこしい。
まず、「愛」の初歩ステップとして、
「見つめる」という事をする。
まずは自分を見つめてみよう。
しかし、それは、反省でも、性格分析でもなく、
ましてや鏡みてナルシーな事を言っているのではない。
無感情に、無思考に、ただ力強く、自分自身を見つめる。
(念のため、鏡に映る自分ではなく、目を閉じて、内観するような感じですよ)
大事なことは、無感情、無思考である。
いいことも、悪いことも、哀れも、誇りも、
ただ、見つめるということだ。
慣れれば、自分のどこを見つめたらいいかが分かる。
それが分かれば、相手のどこを見つめたらいいかも分かるでしょ。
分からなければ、とりあえず、今日の自分や、今までの自分の過去を、
無感情、無思考に見つめてみよう。
見つめる力は、何が何を見るのか?をレベルアップされる。
エゴはエゴしか見れない。
エゴは感情的で、良し悪しの判断をしたがる。
エゴが愛をみれば、その愛はエゴだ。
それを抑える為に、見つめる力を養いましょう。
新着記事
(09/15)ブクブクフィルター/
(09/12)牛すじ煮込みに挑戦!/
(09/11)姿勢、ぶら下がり健康器と肚/
(09/08)二条城のお堀の側散歩(240908)/
(09/05)心臓を快調に/
(08/31)続・台風10号/
(08/29)人生の進路も/
(08/25)台風10号にご用心/
(08/22)今日の料理、万願寺とうがらしの焼き浸し/
(08/21)風水鑑定のカテゴリ(場所/建物/レイアウト/運用法)/
(08/18)脚の後ろ、腎臓の腎経/
(08/17)今を生きる/
(08/16)左大文字(240816)/
2008年08月03日
この記事へのトラックバック
愛の歌
Excerpt: ほへとさんが、 愛 について書かれていて、 いろいろと思い出した。 その昔(もう時効だもんねー)、 「オレは愛が何なのか分からないから、今まで一度も言ったことないし、言わない。」 と言い切った人..
Weblog: ハナイロ・イロ
Tracked: 2008-08-05 22:37
父は私の進路とか体のことを心配しているような感じで、
うまくいえないけど愛されてる?と思ったことがあります。
時には休日にも出勤する父、辛いことがあっても黙って耐える父、普段TVみながらゴロゴロしてるけどイザという時にたよりになる父、
立派な父ももてて私は幸せ者です。でも頑張りすぎて体を壊さないように。
と父に対して思うんですけど、これも一種の愛でしょうか(´・ω・`)
エゴって言葉はあまり聞こえがよくないから、感情的な性格、体質はあまりよくないって言う事でしょうかね・・・難しいですね(・・;)
今日、ほへとさんから
「冷静に自分を見つめる、相手を見つめる」
というアドバイスを頂き、見つめることなんてしていなかった自分に気づきました。
見てるようで、何も見てないような気がしました。
私も愛という言葉は好きではありません。
よく知らないことを言うのは、軽はずみな気がして・・・。
でもいつか知ることがあれば面白いなぁって思います。
wakaさんへ、その感情的なエゴ(自分)を、無感情に見つめましょ(愛しましょ)
れいさんへ、こちらこそ、ありがとう。
見つめることも難しいので、がんばってね。
一見「愛」にみえます。
似て、非なるもの…という感じです。
もっと意識を大きく拡大して、地球まるごと自分くらいに感じられるようになったら、どんな光景が見られるんだろう…と、考えたりします。
「アミ」の本を今日読み終えたので、よけいそうおもうのかもわかりません…。
それと今まで反省と性格分析ばかりしてた気が。。。『自分自身を見つめる』って難しそうだけどやってみます〜。
目は閉じちゃってる方が集中しやすいと思うのですが、開いて一点見つめてた方がヨイとか、なにかあるでしょうか?
変な質問ですいません。
目を閉じて 内観するように って書かれてますね。ごめんなさい!
「何かに対する欲」の別称、という感じに捉えておりました。
矢の様な一方通行的な印象も有ったりとか。
友愛や家族愛という形は好きではあるのですけども、愛そのものについてはあんまり良いイメージは無いですね、何故か…
aiさんへ、名前に愛って素敵ですね。
人よりもその意味をしっかり考えやすいものです。
やすこさんへ、
やはり、座禅など、姿勢を正すことが何より一番です。
かなさんへ
>他の人の体験の愛の例えを、簡単に鵜呑みにしたりする。
ちゃんと、自分なりの意味を探した方がいいと思います。
あえて言えば、無関心に徹して生きる方が、浅い関心より逆に愛というものが見えるかもしれません。
rekiさんへ
そうですよね、愛という言葉で多くの人が戦争に巻き込まれたりします。ほへとも「愛」という言葉には良いイメージがありません。でもそれが本当に示していることには興味があります。
ほへとさんのいう見つめると近いもののような気がします。ちょっと違うでしょうか?
信じないで、何も思う事なく余計なものが混ざらないそのままの相手の事を、見る。
言葉や行動ではなく、本当は何がしたいのか、思っているのか、を知って、
それから、自分の感情を返したいと思うんです。
ただ、まだあまり出来ないので、出来るよう努力中ですが・・・
たぶん、嫌うよりは好きになりたいって気持ちが根本にあるんじゃないかと。
だから自分に向けられた好意は些細なものでも、誤解無く受け取り、また好意を誤解無く返したい。
こういう気持ちも、一種の愛なのかなと、思ったりします。
私にとって「見つめる」という行為は、喜怒哀楽よりはるかにエネルギーを必要とするのですが、なぜか「立ち上がる気力」すら無い状態のほうが「見える」ようなのです。なぜなのでしょうね?
と、問うても答えは自分の中にしかないのかもしれませんね。
失礼致しました。
それは、冷静なのか、分裂なのかわかりませんが、
見つめることには、力が必要です。
答えを、この現実に発生させる。
問うている、今の自分の中には答えは無いかもしれませんよ。
みつめるとはそういう事です。
なお喜怒哀楽は基本外部エネルギーです。
もう一度空になってみつめると、澄んだ心に決意を貫く意志が強くはなります、しかすやはり完全に恐怖を取り去ることができない。
愛というのは、この恐怖を克己したところに近いような気もしました。少なくともまだ遠いようです。
愛は良い場所です。
そこへ行くのが大変なのですね。
そこへ行く力が課題ですね。
これって何なんでしょう・・・
言おうと思うんですけど、何かが口を開くのを止めてるという感じでした。
愛という意味はわからないけど、自分でもわからないなりに区別していたのでしょうか
ここで、みなさんが会話されてる愛の意味と違いますかね^^;
すみません!
あの時の感情が忘れられなくて、書かせていただきました。
多分、日本人だから(笑)
いい思い出です。