明確な意志を貫き通し実現した夢も、
最初はなんとなくそれを選んだだけかもしれない。
意に反して、やらされてたことも、気がつけば、夢中になっている時もある。
どんな現実も、自分の選択とする、
そこには自分がいる。
どんな結果も、ひとのせいにする、
そこのは自分が不在。
選択とは、思考による判断と意志決断による行動だけではない。
その現実を、受け入れるということも選択だ。
どっちにしても、それを経験したことは、
同時に、それ以外は経験できなかった、ということだ。
その現実を拒否したところで、キャンセルが利く話ではない。
やはりその現実以外には、現実的には有り得ない。
時間を無限ではない。
たまには何もない日々もいい。
しかし、何もない日々の裏で、何かあったかもしれない日々は消されていく。
その生活が、自分の選択でも押しつけでも、どっちにしてもだ。
もし繰り返しで刺激の無くなった時間の中で、自分が不在なら、
瞳の窓を解放するような出来事が起きる、
まずその心の準備をしておこう。
何が起こるか分からない、
それは、自分の決断か、誰かの押しつけかは分からない。
ただ、それは起こる。
それを、選択するなら、受け入れるなら、
今が変わるかもしれない。
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2008年10月18日
この記事へのトラックバック
すてきな言葉をありがとうございます。
受け入れる、選択することで何かが始まるんですね。
サボる前にこのほへとさんのページを読めばよかった...。
現実を拒否していても、なかなか物事は進んでいきません。とはいいつつも、受け入れるということは、そう簡単ではない場合もあります。
たっちー。さんへ
なんのこっちゃ、F-1生放送を選んだんでしょ(笑)、いいじゃないですか。
ここ最近今の友人が 同じようなこと、言ってくれます。
同じように見ようとする私がいるのかもしれませんが、
お二人それぞれの言葉が、すっごく
目が開かれて、胸にぐぐっと来ます。
友人いわく、
どうせやるならどっちか絞って確信犯でやったら違うんじゃない? と。
そう言われて、自分が二択の状態に立っていることに気付いてないことも知りました・・!
ほへとさんのニュアンスと違ってたらすみません・・。
たとえその選択が間違ったとしても、どちらかを選択した方がいいと思う。
しっかりと決めよう!
・・・こんなはずでは。
でももう少し粘って様子を見ます。
目の前のできることをこなしながら。
様子も見ながら、現実を受け入れざるを得ない状況、それを、しっかり目をそらさすに見ましょう。
大変とは思いますが、、