怒りは大切だ。
存在の歓喜があるように、存在の怒りはある。
仏教でも大日如来という歓喜のシンボルは、
一転すると怒りの不動明王となる。
しかし、そんな本当の怒りをみんなではないが、知らない人は多い。
ここで言う怒りは、一般に使う、「腹立つわぁ!」という、
感情のいわゆる喜怒哀楽とも根本的に違う。
良く、怒る人は、自信が無いからよ。
小型犬はよく吠えるという話ではない。
あんなコトする人に、私は内心怒るわ。
は感情レベル、エゴレベル。
それは、過去の囚われか、概念の囚われかもしれない。
確かに、エゴの強い人はよく怒る。(エゴが強くて無気力の人もいる)
でも、エゴをコントロールしている人は怒らないのか?
そんなことはない。
小賢しい自分の身を守る怒りではなく。
もっと違う怒りである。
感情とは、エゴの三要素、本能、感情、思考の1つである。
エゴとは末梢神経系、運動、知覚、自立神経の反映である。
存在とは、エゴの上位である、中枢神経系、生命それ自身だ。
植物状態と脳死の違いは、中枢神経、脳幹の生死の違いである。
人間として幸せか?
生命として幸せか?
自我としての怒り。
生命としての怒り。
そんな、存在からの怒りに、幸福にも出会えたらな、素敵なことだ。
そのためにも、くだらないことでは、怒らないように心がけたい。
怒れる存在同士の交わりを、「たたかい」と呼ぶ。(言霊)
「たた-かい」と「あら-そい」は違う。
存在からの怒りにだけ、戦いという言葉を使いたい。
本当に自信が無ければ、その「怒り」は起きえない。
また、本当に健康で精神も健全でなければ、その全身全霊の怒りは出来ない。
良く、怒りは、頭っから、ネガティブな事とのように言われている。
特に、宗教や精神世界など。
しかし、そうではない。
非常に大切なことだ。
正しい、怒りを発した後は、モチベーションは上がり、多くの効率が上がるだろう。
すなわち、やる気に転換できる。
そのやる気とは、怒るとは、その怒りの原因を、根本的に改善すると言うことだ。
すなわち、意志にくべる、燃料のようなものだ。
怒りにより、その意志は、多少でくじけない強固のものとなる。
だから、その怒りが、強い意志を生み、やがて、人生をつくる。
あなたは、本当は真の怒りを欲しているのかも知れない。
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2008年11月19日
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そういった細かな怒りは、ひとまず脇へ置いて考えたことは、前進するための決断に
重要だと思いました。
確かに体も精神も健全でなくては、全身全霊怒れないという言葉に納得。喜びもそうですが。一時期、怒りはよくないものと思っていましたが、本当の怒りというものがなんであるか少しわかったような気がします。
表面的な欲をひとつ手にして、ほくそ笑むたびに、そのウゴめきが弱って行くのか、私にはわからない。わからないまま、今日も人間の顔で、ちゃんと生きている。今日の私の怒りは、パソコンの調子がグズグズと悪かったことと、スーパーで買った特売野菜がスカスカだったこと。身体を偉大なる怒りが突き上げる日は、まだまだ遥かに遠いだろう。「意志にくべる燃料のような怒り」という一文を声に出してみたら、自分の中にヒトカケラもないので笑えて来た。全く、くだらない怒りばっかりだ。反省。
そらさんへ、怒れないときは、自信を喪失した時。コーチの言葉は、自信を呼び起こすためか、単にアドレナリンや集中力なのかはわかりませんが、今回は残念でしたね。
読んだけど、やはりちょっと分からない。
打たれて折れても挫けるものか。強くなってやる。なんか、そういう怒りです。怒りは不快ではないですが、怒る相手に対して物凄く不快です。法に裁かれなきゃいいって感じで権力をもって酷い事をしてくるから。
これは、何の怒りなのでしょうか?
これよりもっと強い怒りに出会えたら、がむしゃらに、無我夢中には、なれそうですが・・・。
いい怒りと思いますよ、
そのパワーに方向付けして、自分がプラスになるように使ってみましょう。ってもう怒りは収まったかな?
うーん、でも上記で書いたような気持ちは、いつも残り続けて心の奥底?に在るんですよね。赤い光が灯り続けてるような。たまにそれが強く点灯して上記のように爆発して充電されてるっぽい感じです。
たたかおうとしてるんですかね。卑怯じゃなく、後ろめたくなく、たたかいたいです。
そんなたたかいなら、どんな結果になっても、次の事を考えれる気がします。
方向付け、難しいですが、どんなに怒ってる時も、人や自分を落とす方にだけは使いたくないと思うので、うん、プラス方面には向けれてるみたいです。
むしろ些細などうでもいい怒りの方がどうにも出来なくて落ち着けようとして壁殴りそうになったりと悪い方に使いそうになるので、どうにかしたいです。うーん。
勝手に見ている身ではありますが、いつもありがとうございます。ブログ、悩んだ時とか、いろんな時に見に来ますが、手引きになってます。
意思を公けにできない弱い自分が、意思なんて持っていても負担だと思い、自分自身から目を逸らして、意思に気付く前に周囲と同調する、という生活をここ数十年送っておりました。
今になって、これまでの自分の生活を振り返ると、自分を殺してまで周囲に合わせる価値はあったのか、言葉だけ合わせる程度に留めておくことが出来なかったのか。
本当は1番大切であるはずの自分自身を見限り、心底ではどうでもいい周囲の人々の価値観に染まって、自分自身さえどうでもいい存在に成り下がっていたのだと、今は思います。
これは、自分自身に対する怒りです。
この怒りに気付けた時、今まで何をするにも「面倒だ」と感じていた私が、久しぶりに「行動してみたいな」と思えるようになりました。
気持ちのいい怒りというものを、初めて感じました。
いい感じですね、怒りを自分に向けて、是非殻を破って下さい。