近年、お墓を軽んじる風潮がある。
ほへとは学習や知識ではなく、経験上、お墓の大切さを知っている。
ほへとは陰宅というお墓の風水も観るが、お墓とは重要である。
といっても、墓石屋とつるんで墓石を売ったりはしないので安心してください。
ほへとは生まれ変わりには否定派ではあるが、
死後の行く場所が存在していることも知っている。
高く、白く、広いその場所には全員が行けるわけではない。
仏教の中では六道輪廻という、生まれ変わる宿命から逃れることを救いとしている。
この間も、ある人が、あるお墓の前で、20分あまりも号泣し叫んでいた。
その人(中の人)は、すでにこの世の人ではない。(といっても幽霊などの類でも無いが)
まぁ一般人が見れば、電話してしまうかもしれないが、まぁこんなことはたまにはあることだ。
しかし、この墓前で、おそらく気の遠くなる歳月を経て、再会できたこと、
やがて、気もすんだようで穏やかになった。
向こうへ行っても、向こうでいつでも会える人も入れば、なんとか、こっちのお墓まで来て、思いを告げようとする場合もあるようだ。
死ねば無になる。このことは大切なことで、変に生まれ変わりでごまかすことではない。
生きた証として、お墓を記念に建てておく事は悪いことではない。
まさかの遠い未来に誰が訪れるか分からない。
その時のための場所があるといいですね。
同じように、神社や仏閣、史跡などもそのような場所はあります。
だから、お墓は想像以上に意味のある事だとどこかに覚えておいてください。
新着記事
(12/04)ほへと&メイ 読み語り7 「食と自然」/
(12/01)嵐山の紅葉(241201)当たり年!/
(11/27)今日の料理、牛タン、アルスト焼き!/
(11/26)ほへと&メイ 読み語り6 「意志と実現」/
(11/21)高雄・神護寺にて(241121)/
(11/20)冥王星が水瓶座に入る/
(11/19)ほへと&メイ 読み語り5 「物質の世」/
(11/16)ほへと&メイ 読み語り4「怒りと自信」/
(11/14)ほへと&メイ読み語り3「身体の操作」/
(11/12)自分の名前の発音がキツイ時/
(11/11)ほへと&メイ読み語り2「魂と自然」/
(11/10)西陣TABIU 報土寺にて/
(11/07)ほへと&メイ読み語り1「愛と戦争」/
2009年12月08日
この記事へのトラックバック
3年くらい前からですが、月1程度で墓参りするようになりました。
それまでは特に気も進まず何年かに1回嫌々する程度だったのですが、突然気持ちが変化して、自分でも不思議だな〜と思っています。
友人に話したところ、「お墓に呼ばれてるんじゃない?」と言われましたが、確かにお墓に行くと妙に落ち着きます。
いつもお花やお線香をあげて無心で手を合わせるだけなのですが、帰るときに肩に乗っていたものが少しだけ軽くなったかな?という気がします。
ほへとさんが言うところの「お墓の大切さ」と私のそれとは同じものではないかもしれませんが、私にとってもお墓は大切なもの、場所です。
私は個人的にお墓を軽んじる、というか嫌いです。
自分が死んだ時、お墓に入りたいとは思えません。
私が死んだ後、遺族に葬儀やお墓などにお金を使わせたくないからです。死んだ人にではなく、生きている人に使って欲しいと考えます。
ですが、こういうものは人それぞれの趣味嗜好なので、もちろん否定はしません。
人格、精神の仕組みとか宗教の事はよく知りませんが、死んで燃やされて肉体の形が変わっても物質としての質量は変わらないですよね?つまり消えはしないはずなのです。
だから生き物というのは、雲みたいに形や場所を変えて存在し続けていて、密度は変わりますが、空間を通して全てが繋がっていると思うのです。
なので、死はそれほど悲観する事ではないと思っていて、お墓が無くてもいいのではないかと考えています。
うーん、分かりにくいですね。すみません。