ちょっとおさらい。
意志はアウトプット。
感受性はインプット。(感受性は、感覚、感情、感性の3つ)
思考はブラックボックス。
マネは翻訳ルーチンとはあまり関係ないです、感性かな。
人間の基本営みは、現実を感じ、知り、考え、決断し、意志決定し、行動に移し、現実を変えて行く事にある。
現実ー>感受ー>思考ー>行動ー>新たな現実
これを、仏教では五蘊と呼び、それは、色・受・想・行・織のことであり、
ほへと弁の、色:現実、受:感受、想:思考、行:行動、織:新たな現実に対応する。
般若心経では、その五蘊も皆空、すなわち、人間の基本営みである五蘊も空と説いている。(おもしろいね)
3年ほど前に書いてる記事を参考にしてください。
感性について
思考について
分かること
ほへとの考える、意志の定義とは、自身が関与して現実を変える事だと考えている。
それも、自分が考える通りに、現実を変えていければ最高である。
それには、今という現実をしっかり見つめ、しっかりと考えておく必要がある。
意志の発動
基本は気合である。やる気ともいう。
小さな事と大きな事、変えようとする大きさによって、意志のパワーは違う。
感情を気合に変換して、意志に叩き込む。
これには、健康体が必要。さらに精神の健康も必要。
意志には、エネルギーがものすごくいります。また継続は力なりと、継続することも大切です。
現代人にもっとも足りないのは意志のエネルギーで「パワー意志」である。
昔ある先生はワザと生徒を怒らして、そのエネルギーをやる気に転換してくれることを期待した。またハングリー精神という、人間の本能に訴える方がパワーは出る。(頭意志より)
現代では、この手法で生徒たちを奮起することは難しい。(先生、生徒、親のレベル)
「パワー意志」
意志はレーザービームのように直線である。変化球は無い。
複数の意志より、一本にまとめた方が、意志のパワーは上がる。
意志の発動は、魔法のようなものであり、一度放出したエネルギーはキャンセルできない性質がある。
多くの人は、自分がやろうと意志決定したことに、挫折し、その時の意志エネルギーに、悩まされることになる。
(A)------------->(B)
ある意志の発動を過去のAポイントで行う。Bポイントが実現で、その意志の完了を表す。
(A)----(C)------>(B)
\
\
(D)
ところが、Cポイントにて、Bポイントへ向かうことをあきらめ、Dポイントへ方向を変えた。
そうすれば、AポイントからCポイントまでの自分(意志エネルギー)を裏切ることとなる。
頭意志では、すでにDポイントに目標が変更されているのを理解しているのに、パワー意志は、または身体意志はまだ、Bポイントへ向かおうとしている。
このため、実は自分自身の過去の意志力によって、新たにDポイントへ行くことを、妨害されるのである。
同じような考え方に、株や為替のチャートで、25日、75日、200日移動平均線というものがある。
市場の意志の平均のようなものであり、長いほど強い。
数日のイレギュラーな動きも、長い期間の意志によって調整されることが多い。
簡単な例では、200日以上の習慣、例えば喫煙などを、7日程度では止めることは困難ということ。まず、25日(1ヶ月)、そして75日(3ヶ月)とじっくりと今までの意志のパワーに対抗していかなければいけない。
(習慣:身体意志の変更)
人生、失敗や挫折したときに、意志を中和するためのいろいろなことが起こる。
混乱や無気力、後悔など、ひょっとして、うつもあるのかもしれない。
基本は続けていた分の時間は掛かるということです。(実は、高度なテクニックはあるのですがまた)
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2009年12月27日
この記事へのトラックバック
(読みながら、うなっています)
「翻訳ルーチン」の解釈、意志とはなんたるか、など
さらにわかりやすく伝えてくださってありがとうございます。
>人間の基本営みは、現実を感じ、知り、考え、決断し、意志決定し、行動に移し、現実を変えて行く事にある。
現実ー>感受ー>思考ー>行動ー>新たな現実
の部分はとても大切ですね。
まずは、コピーして手帳の中にはさんでいつもおさらいすることにします。
理解がぐっと深まりました。(ほへとさんから見たら、気のせいレベル??かもしれませんが)
しばらくは苦しむことが確定です。
>ほへと弁であり、標準的意味とは異なる。
とお書きになっていましたが、
むしろ古典語で意志を表す助動詞「む」「べし」の意味・用法にとても似ていると思いました。
「む」は、
一人称(私)主語の時に「私の行動・意志」を表し(例;我、ダイエットせむ)、
二人称(あなた)主語の時は「相手への働きかけ・勧誘」(例;汝、ダイエットせむか)
三人称(彼・彼女・事柄)主語の時は「未来における事態成立の予測・推量」(例;彼ダイエットせむ)
を表します。
(なお、「べし」は意志や実現性の度合いを「む」よりもさらに強くした表現です。)
ほへとさんのおっしゃる「頭意志」、「身体意志」、「パワー意志」は上記3用法と似ていると思った次第です。
高校まではこれらの意味を助動詞「む」の「3つの異なる意味」として習いますが、
私は、根本的な意味はすべて「意志」で一貫していると考えています。
ちなみに現代語では、
(一人称)私はダイエットしよう。
(二人称)あなたも一緒にダイエットしよう!
(三人称)彼はダイエットするだろう。
となります。
他の二つと語形が異なる三人称の表現からは、現代の我々が、事柄の実現を自分の意志の完遂ではなく、
どこか他力(他人や財力・運)に任せている心象がかいま見えるような気がします。
ほへとさんの「意思について1」を読んでから気がついたのですが、
人間の行動として
「反応」 と 「意思・行動(身体意思)」は違うなぁ、と気付きました(遅い??)
(「反応」は出来事・他人の働きかけ・運などに反応すること、という意味で考えています)
それまではどちらも「行動」でひとくくりにしていたのですが・・
(解釈間違っていたらご指摘ください)
だから人の行動で観るべきところは
反応ではなく行動(身体意思)であって、
どんな意思を持って行動しているのかが重要だな、と。