iPhotoの画像取り込みは一応、一段落。
まだ、2003年以前のデータが嵯峨だ。
何故か06年の前半のデータが無い。間違って、上書きて消したのだろうか?
フォトライブラリは25,000 枚まで写真を管理できるらしいが、
今見たら、43,601枚(704 個のイベント)やん、オーバーしとるけど動いているな。
そうかiPhoto09で拡張されているのか?
2ちゃんねる見ると、
「その10倍の25万枚までOKなようです。
なぜか、iphotoヘルプは未だに25,000枚が最大のままですが。。。」
とあった。
そうそう、以前iPhotoを使おうと思ったときに、リサイズ等いろいろブログで使うには面倒だったのでやめたが、枚数制限等からiPhoto09からのデビューでよかった。
それにしても、2003年頭から2010年の後半まで8年近くが一気に見ることが出来ます。
本当にプチ走馬灯のようですね。
この8年ほど、イベント704個、枚数43,601枚、容量140GB。
人生というのは、おそらく、なんとなく、時代、世代、という区切りがあり。
その中に数えきれないほどのイベントがあり。
そのイベントには、また無数のシーン(事)で成り立っている。
またそのシーンも無数のオブジェクト(物)によってつくられている。
まぁ前からそれを「セルフ」という概念で捉えている。
カメラ(肉体)というエゴ側ではなく、見てきた、歩いてきた、生きてきた、記憶こそが本当の自分ではないかと。
だから、絶対に生まれ変わりはない。と言い切れるのである。
たとえ双子でも、同じ道を歩くことはない。
例え、同じ魂の転生というやつがあっても、同じ道を歩くことはない。
エゴ側に偏った生まれ変わり感は、この無限のシーンを軽んじてしまうのだろう。
良い写真を撮れるカメラ機自体を自慢するのではなく、その良いカメラで撮った写真を自慢したい。
そんな生き方ができたらいいなと思う。
ちなみに「セルフ」とは、センス、センサー、ライフからの造語で、ほへとの言葉遊びである。(センス:5感、センサー:状態の知覚)
ここ8年で、カメラ機は、MZ-3、FZ-20、L-10、E-30、G2と乗り換えてきた。
しかし、それはすべて、ほへとの見た世界を写すものである。
そう考えると、ひょっとしたら、人間のいち人生は、あるひとつの物語のためにあり。
何人も、何世代も渡り、その物語を綴っているかもしれない。
オーバーセルフという概念だな。
どっちにしろ、エゴレベル(カメラ機)側に偏らないことだな。
facebookをいきなり始めた。
ツイッターよりは馴染めそうかな?
こういう、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの流行も、先言ったような事を実は指向しているのかも知れない。
facebookの機能で、ほへとのGmailにメールをくれて、facebookをやってる人がいたら自動的にピックアップしてくれる。
鑑定等で多くの人からメールのやりとりがあるので、沢山の人がピックアップされすぎです。
もし、ほへとのことがわかった人がいたら、友達リクエストください。
ついでにPicasaというGoogoleの無料、Webアルバムを使用したかったが、
「現在、Picasa Web Albums Uploader は英語でのみご利用いただけます。 」
と蹴られてしまった。
仕方なく、アプリのPicasaをダウンロード。
Webアルバムにも徐々に挑戦しようと思う。
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2010年10月25日
この記事へのコメント
読んでいて、身体があるから体験ができて、体験するために身体があって、人生という体験ツアーをしにきてるんだなーと、なんとなく思い浮かびました。
Posted by おきょう at 2010年10月26日 01:33
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