般若心経や「空」に関しては、イマイチ納得出来ない訳が多い。
何か無理やり、道徳的な、説法的な、信仰的な用い方を見るが違和感がある。
例えば、
現実も人間の存在も実態のない幻ですので、執着せず、心を囚われることなかれ。
きれいや汚れといった心に囚われてはいけませんよ。
みたいな。
宗派や歴代の解釈や、檀家さんへの方便や、大人の事情かもしれないが、
でもそれって、観音さまレベルが悟る話なのか?、逆にかなりの人生がっかりじゃないか?と思う。
もっと素直に、逆に情を排除して、論理的に、理系な視点で見ていきたい。
前にもいいましたが、
最初に「空」が出てくるのは、冒頭の、
「照見五蘊皆空 度一切苦厄」の「五蘊は空なり」
その次は、最初の舎利子以下、
「色不異空 空不異色、色即是空 空即是色」
これを素直に訳せば、
・舎利子よ、いいか、「色」は「空」と異ならず。「空」は「色」と異ならず。
おそらく、舎利子は、「異ならずって同じってことちゃうの?」と突っ込んだかもしれない。
それを察したのか、最初からか、
・「色」は「空」とイコールで正しい。「空」は「色」とイコールで正しい。
とくる。さらに、
・「受想行識」の残りの五蘊も省略するけど一緒やぞと。
次に、2回目の舎利子以下、「空」を不や無の否定形で説明します。
「是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行識」
「是諸法空相」という言葉が出てきますが、これは否定形ではないが、これの解釈も重要と思う。
諸法とは、この世の理というか、科学的な宇宙の法則といった感じでしょうか?
問題は「空相」である。「相」とは手相や家相のように、幾つかの顔や状態が存在するということ。
・この宇宙の法則は、空のひとつの姿(相)である。
ここは結構重要です。宇宙の法則は「空」である。では無いのだ。
今までに来た「空」の説明では、
五蘊皆空:五蘊は空なり
色不異空:「色」は「空」と異ならず
色即是空:「色」は「空」とイコールで正しい。
しかし、この世、宇宙の法則はイコール「空」ではなく、空の相であるということ。
五蘊は「空」であるが、この宇宙の法則は一段回テンションが下がって、空の相という点。
この宇宙より、人間の方が、エライということちゃうのか?
で、「不生不滅 不垢不浄 不増不減」
先の諸法とも関連するのだが、
・(この世界は空のひとつの姿だが、「空」は)
・この宇宙と違って、ビッグバンも無ければ、宇宙の終わりもない。人間の価値観もなく(判断する意識体がいない)、膨張も縮小もしていない。
すなわち、「空」には時間が存在していないと取るのが論理的・理系だよね。
「是故空中 無色 無受想行識」
ゆえに、「空」の中には、「色」は無い、受想行識も無い。
すなわち、「空」の中には五蘊といった人間の意識のようなものは無いということです。
その後は、いろいろと、NOT(無)の嵐であるが、まぁ端的に言えば、「空」とは、この世界の次元で考えるなよ、違うし。という感じですかね。
ちょいと気になるのは、無明(迷い)は無い。すなわち、「空」とは確実に、ポジティブなもので、「幻」的なものではないことはわかる。
ほへとが舎利子だったら、
「えっさっきは空と五蘊は同じみたいなこと言ってたけど、今度は、空の中には、五蘊は無いやと?どういうことや?」
と、混乱するだろう。
では、結局「空」とはスバリ何なのか?
それが、知りたければ、次に「般若波羅蜜多」というキーワードが出てくる。
次へ続く。
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2012年08月22日
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卑怯ですよ、人の名前を借りて、自分の考えを伝えようとするのは。