感性について
ほへと占いでは霊感を用いない。
しかし、感性は必要なのだ。
世の風潮としては霊感の方が重宝されていますが。
感性と霊感は根本的に違うものだが、
極まった感性は、霊感に見えたりもする。
昔、尊敬し、多大な影響を与えて頂いた、
師匠であり親分である人がいた。
「自身でよく見ること」を大切に言われ、霊感や霊能力に頼ることを戒められた。
そんな親分は突然ズバッと、最近こういう出来事があったでしょうと当てられる。
「ぎくっ何で判るのですか?」
コーヒーを混ぜるスプーンや、飲むときに発するカップの音で判ると言われた。
それは霊感ではない。
研ぎ澄まされた感性なのだと言われた。
あれから10年以上も経ち、おっしゃられた事の3%程度は判ったかもしれない。
霊感も、ある方向に向けられた感性ではある。
しかし、本来見るべきものの方向ではない。
感性とは、判断される前の純粋な情報だ。
人によってその情報量は圧倒的に違う。
ある人の感性は死に、物事を決めつけてしまう。
そんな人が感受する世界は狭い。
昔のほへとはそんな所があった。
まず、この世界に触れているのが感性だ。
そこが曇っていては、ちゃんと世界は見えてこない。
考える力はあっても、何を考えるのか?の何が根本的に間違っている人は多い。
人間の営みは単純であり、世界を、感じて、考えて、行動し、未来を創る。
それを仏教では五うん(色受想行織)と呼ぶ。
まず、世界をちゃんと感受することがスタートである。
逆に言えば、その人の世界とは、感性ということとイコールである。
感性こそが、その人の世界の広さと緻密さ、その全てだと思う。
直面する現実に、あれこれ、論理武装せずに、純粋にその現実を見つめてみてはどうでしょうか?
思考は、感性をダメにします。
意味付けは後からも出来ますから。
ほへとは朝起きて、散歩すれば、これから起こることが分かったりします。
当然それは、霊感ではなく、自分の感性で分かります。
良く見れば、ちゃんと見れば、見落とすこと事を拾うことができますね。
そんな感じが、ほへと占いの土台となっています。
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2007年01月08日
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「こんなに色んな人たちが、こんなにまったく違う見方で世界を見てるんだ〜」
と思い、長年、異星人のようだと理解できなかった母を理解するのをやめ、おもしろがるようになりました。
>その人の世界とは、感性ということとイコールである。
9つの秘数や霊界(?)や色んな感性の層が、浮世絵の作り方みたいに、重なりあって、この世の中を作っているのかなあ、と思いました。
ほへとさんは霊感が鋭いのですか?
聞こえない声が聞こえるのは、世界が2倍楽しめて、うらやましい気がします。
(嘘です。怖がりなので、私は霊なんて見たくないと思ってます。ゴメンナサイ!)
その人の世界とは、感性ということとイコールである。とは見えていない事は見えていないという事です。
誰が、聞こえない声が聞こえるの?聞こえないよ。
あまり霊感に関わらないように。
聞こえるというのは、感性を澄ますということは、小さな音を聞くときと似ているな、と思っていたので、感じるという意味で、そのような書き方をしました。
どちらにしても、思い込みの強い独りよがりな文章でした。
ごめんなさい。
ありがとうございました。
私が見ている・感じているこの世界が、感性そのものなんですね。
「感性を磨きたい」なんて思っても、自分で思っておいてそれがどういうことでどうすればどうなるのか分かりませんでした。
色々な見方で私の「世界」をよく見て、 次に取る行動にフィードバックできないかなって今考えています。
そしてそうすることで、より「世界」が広く深くなるようにしていきたいです。
>私が見ている・感じているこの世界が、感性そのものなんですね。
そういうことです、だからよく見ないといけないのに、
くだらない言葉のせいで、世を見えなくしている人が多い気がします。