行動というのは難しいものだ。
思考とは違い、取り消すことが出来ない。
またゲームとも違いやり直したり、リセットすることは出来ない。
そして、行動により、新たな現実が形成される。
それは行動とは、この感じている完全な現実に自らが干渉する行為だからだ。
この現実に行動という干渉によってのみ、私という存在は進化していく。
行動の反対は感受である。すなわち、この現実を感じること、現実から干渉されること。
だから、行動とは、この現実側に干渉することや、感じさせることだ。
実際に行動を起こして、私が存在しなければ、起きないことを起こしてみる場合と、
例えば女性のメイクやファッションの様に、他者に何かを感じさせるのも一種の行動である。
現実側への干渉には変わりないのだから。
行動は、どんなに影響が小さくても、現実への干渉である。
完全なこの世界、現実に対して、小石を投じたことになる。
小石自体の影響か、広がる波紋の影響かは分かりませんが、影響した分は、
再び、新たな変化として自身が感受することになるでしょう。
色受想行織の織は再び色に変える。
問題は、無意識の行動は、その結果を感受しにくいこと。
意識しての行動は、その結果をより鋭敏に感じることが出来る。
また、意志をもった行動は、長期スパンで、一定方向のベクトルを持って、現実に干渉していく。
思いつきでの行動は、現実に干渉する力が分散される。
行動のキャンセルは許されない。
よって、途中で、行動や意志の方向転換を行なった場合も、過去に起こしていた行動の影響を受ける。
その場合は、過去にさかのぼって、過去の自分とよくコミュニケーションしなければ、
今後の目的を、邪魔しているのが、過去の自分だったということになりかねない。
意志が強いほど、行動の輪郭はハッキリする。
新着記事
(06/12)Motorola razr 50 Ultra カメラテスト/
(06/11)Motorola razr 50 Ultra ゲット!嬉しい!/
(06/10)モトローラ(motorola)/
(06/09)梅雨/
(06/08)次期スマフォを選定中/
(06/03)Windows10サポート終了で/
(05/29)琵琶湖疏水にて(250529)/
(05/27)滋賀県、大津にて(250527)/
(05/26)変化している/
(05/18)嵐山・三船祭?(250518)/
(05/10)ごはん(米)を減らす2/
(05/01)嵐山にて、木々と風の音(250501)/
(04/30)本当の筋トレ/
2007年01月16日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック
自分が動くということ。
Excerpt: 私が愛読している「ほへとのブログ」というブログがあるんだけど、 今日、そこにある記事に本当に衝撃を受けました。 ちなみにこれです⇒ 「行動について」 私の先輩に、困ったらまず動く..
Weblog: 奏ブログ
Tracked: 2007-01-17 18:42

