紀元前660年元旦に日本の国の建国が宣言された。
いわれひこが、初代天皇である神武天皇を名乗った。
と言われている。
紀元前660年の元旦は今で言う2月11日であったそうだ。
この年は60干支で辛酉の年であった。
辛酉は58番目である(60番中)。
辛酉は改革の年と云われて、この年に改革が起こると云われていた。
そして革命周期という長いスパンの周期がある。
60×21=1260と云われている。(ほへと的には7×9×20=1260というのもある)
辛酉年と1260年のスパン。
日本の歴史はこれに従っている。
紀元前660年より日本の国はバーチャルだが、始まった。
紀元前660年(辛酉)
それから、1260年後は西暦601年だ、丁度聖徳太子の頃だ。
西暦601年(辛酉)
この頃は、日本独自の文化と、大陸から伝わってきた仏教という文化がぶつかっていた。
聖徳太子は、日本古来の神道と新たな仏教に対してどちらも大切にすることを決定する。
「和」である。
その理想は奈良時代を経て、平安時代に「神仏習合」という形でなされた。
京都は、神道と仏教の融合した美しい街だ。
そこには、聖徳太子の理想があったのかもしれない。
平安時代は、かの空海が活躍した時代。
その後、時代は鎌倉へ移行し、より個人のエゴにフォーカスする宗教(宗派)が生まれていく。
また聖徳太子は中国にたいして、なめられないためか、はったりをかまし、1260年前から日本はあると、歴史をクリエイトしたようだ。
それにより、同時に1260年後のこの歴史の終焉を意味していた。
聖徳太子の時代、西暦601年より、1260年後の1861年(辛酉)。
時代は幕末。西洋文明が押し寄せてきていた。
それから7年後に明治を迎える。
明治天皇は聖徳太子の「神仏習合」を撤回。
「神仏分離令」を実行した。
神道を国家宗教においた。
そして、神道と仏教は別れ、都は東に移り、日本の文化は西洋化していく。
日本の歴史は紀元前660年に始まり、西暦601年に折り返し、西暦1861年に既に終わってしまったのだろうか?
とも考えるときもある。
いやきっと、紀元前660年から日本は生まれ、西暦601年に仏教文化を受け入れ、西暦1861年に西洋文化を受け入れ、
しかし根底は書き換えられることのない、「日本」である。
西暦3121年には、きっと何か宇宙系の文化?を受け入れていくのだろう!?
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2007年02月11日
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