存在するから、世界も存在するという話もある。
理由があるから存在しているのか?
存在の方が理由より先なのか?
まず、存在するから、それからあれこれの要求が出てくる。
そう考える。
存在がやがて消えるまで。
その存在を強く願いたい。
世界は思い通りにいくようなものではないが、
世界が存在する限り、存在は見守り続けなければいけない。
しっかり、境界線を持ち続ける。
ここでいう世界はこの現実とも外界でもない、それは無かもしれない。
だから、ここでいう存在は、単に生きていることでもない。
心や身体というものを忘れて、存在をひたすら広げていく。
その中心にあなたがいるのだ。
あなたを強く持つ。存在を強く持つ。
もうわかると思うが、現実に戻っても、自分を過剰防衛しない。
あなた・存在が強いのなら。
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2013年08月05日
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