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2014年08月13日

社会的な「自殺悪」論

自殺に関しては、世間は頭から「自殺はダメ」「自殺は悪」という絶対的なスタンスから語られる点が、結局、その個人を自殺に追い込むのではないか?

「自殺」したら、自殺したものが「悪い」、「逃げた」などという。
そんな自殺に追い込んだ社会のほうが逃げている気がする。

例えば、もし、「自殺」がそれほど悪でないという常識があれば、組織もメディアも、「自殺」の可能性にもっと配慮したのかもしれない。もしかしたらと、、

「命」という事を考えた場合。
人は必ず死ぬ。
病死や事故死はオーケーで、なぜ自殺はダメなのか?

「命は大事、自殺はダメ」と大きな声で叫んでいても、自殺は無くならないのは何故か?

学生や若いうちは、とりあえず「絶対にダメ」でいいが、おとなだったら、本当に絶対なのか?なぜダメなのか、自分の言葉で説明できるのだろうか?

いや、社会的な常識程度の考えでは、、

社会的な常識は、その社会を全面的に否定にした立場においては、無意味である。

故に、その生命は誰のものなのか?
お盆なので、ちょっと思いを巡らしてみてはどうでしょうか?
posted by ほへと at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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