悪い風水で起こる事は、半端な神頼みでは防げない。 風水は「信」ではなく、「理」だからだ。
数秘術はもちろん、方位や風水、占いには、理論、理屈、アルゴリズムというのがある。
決して、信仰ではいけない。
占いが当たるのも、外れるのも、八卦ではなく、考え方が正しいか間違っているかが大きいと考えている。
すごく悪い風水に住む人がいて、引っ越しを強く勧めた。
結局引っ越ししなかったが、もしこういう事態が起これば、風水の原因だろうし、その時は家族のことを考えて必ず引っ越するよう忠告した。
結局、当たって欲しくない事態は起こった。
残念なのは、これを信仰心が足りなかったや、違う神様を詣ってしまったからと回りから言われて宗教問題ということにされてしまった。
決めるのは本人達だし、それはそれでいい。言うことはちゃんと伝えたから。
それでも、信仰というのは、時にやっかいだ。
風水という「理論」を宗教と同じ「信仰」という、どっちを信じるのだ?という土俵で捉えられるからだ。
よって、アドバイスを聞き入れてもらえなかったのは、残念で力不足である。
ほへとは、占いは宗教ではないと考えている。「ほへと占い」はだな。
困ったときだけ、すがる藁を、いくらハシゴしても、迷いが増えるか、真実が見えなくなる。
肥田春充の話で、病人を看病する人は、ひとりが望ましい。複数いれば、気疲れし、病人の回復が遅れたり悪化する。というのがある。
結構、信仰をもっているけど、困れば占い師をハシゴする人は多い。
あの有名な占い師さんが、ほへとと同じ様なことを言っていた。とわざわざ報告は失礼と思いつつ、常に占いは信仰であってはいけないと思う。
まして多数決が正しいでもないだろう。
今日も、方位マネージャーの質問があった。的中率をオーバーな話で信じさせることはしない。
経験で分かっていく。まずは距離・時間を短めで試していくこと。
自分の経験なら、「信じる」必要はない。
無料数秘占いや書籍で、「当たっていた」と鑑定を頼まれるなら、経験上の話だけど、
口コミや紹介、まぁはじめての人は、「信じる」という要素が入ってくるのは仕方ない。
占いを研究することは、見えない世界の構造を探求すること。
研究は、ゆっくりでも進んで行かないといけない。
過去の教えを、守り、信仰するものではない。
それは伝統的な占いでもと思う。
まぁ、そんなストイックな感じで、占い等を研究している。
だから、「信じる」という要素は必要かもしれないが、「信仰」という要素は要らない。
占いは「理」であるからだ。
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2015年10月02日
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