まぁ、話し半分に読むべし。
古事記の神話と仏教の十界。
まさか実は同じ世界を語っていたというなら驚きである。
それを解く鍵が、ほへと数秘術であり、タロットであり、生命進化40億年の歴史なのだ。
まずは、仏教の十界は、仏に至るための精神境地を段階的に表している。
ある日に、ほへと数秘の「適応レンジ」の概念と同じものだと気づいた。
適応レンジは、「物・事・心・智・空」というやつだ。
数秘でいうと「数秘1,2・数秘3,4・数秘5,6・数秘7,8・数秘9」の陰陽セットだ。(数秘9以外)
これが、十界の「地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界」と対応している。
簡単に適応レンジと十界を対応して説明してみる。
各適応レンジが陥りやすい点がよく分かる。
物 地獄界 物質欲に縛られ恐怖と苦しみの最低の境地 数秘1,2
事 餓鬼界 快楽が得られず満たされない境地 数秘3,4
心 畜生界 強い思いで、理性が働かない愚かな境地 数秘5,6
智 修羅界 自分と他人とを比較し勝ろうとする境地 数秘7,8
空 人間界 穏やかで平静な人間らしい境地 数秘9
これに、生命の進化とステージを重ねていくと、
ステージ1 現実の世界/人間の時代
地獄界、餓鬼界
人間の時代である現実世界は、物欲と快楽に縛られ苦しむということだ。
ステージ2 心の世界/哺乳類の時代
畜生界、修羅界
偶然にも、哺乳類と畜生とはまったく同じことではないのか?修羅とは生存競争を勝ち抜く思考。
ステージ3 潜在意識/脊椎動物の時代
人間界
数秘9の部分、おだやかな人多し。タロット9は隠者。
さらに高位数秘に行くと。
己 天界 意志が叶った、喜びの境地。数秘11セルフ。
ここまでは人間レベル。仏教では六道輪廻と呼ぶ。
ここから、ステージ4 集合意識/原生生物
仏教で言う六道輪廻からの解脱。
集 声聞界 教えを得て、真理に目覚める境地。
因 緑覚界 自らの力で真理に目覚める境地
ステージ5 星意識/細胞、DNA
星 菩薩界 仏界という最高の境地を求めつつ、利他を実践する境地、細胞。
命 仏界 何者にも侵されない絶対的な幸福の境地、DNA。
仏教の十界は、ステージ1からステージ5へ至る、クライム(ステージ上昇)を表しているのだ。
それに対して、神道、古事記の神話は、逆にステージ5(本当はステージ6)からステージ1に至る、ディセント(ステージ降下)を表している!
簡単に
高天原は、ステージ6を表している。
アメノミナカヌシという三角の頂点C。
三角の底辺は、線Dがウマシアシカビヒコヂ
タカミムスビとカミムスビのAB極。
そして、線D上の一点、アメノトコタチ。
永遠に輝く、ひとつの恒星(アメノトコタチ)は太陽系(クニノトコタチ)にディセントする。
ステージ5 星意識/細胞、DNA
神代七代の世界。太陽系ができていくプロセス。
DNAという設計図が細胞という形になる。
ステージ4 集合意識/有性生殖
有性生殖とは、まったくイザナギ・イザナミのシンボルではないか。
そして、多くの神々、世の法則や働きなどが生まれていく。
ステージ3 潜在意識/脊椎動物の時代
衝撃的だったのは、太古の海で生命の進化の大爆発が起こった。その理由は温度や環境的な部分も多いが、
その時の生命体が「眼」を獲得したのだ。
「眼」とは世界を見ることであり、光そのものの事。まったくアマテラスのシンボルだ。
対してスサノオは力?心?。ツキヨミは無意識とか。
ステージ2 心の世界/哺乳類の時代
出雲国譲りの話などに出てくる、因幡の白兎。ここで「ウサギ」という哺乳類的なシンボルが出てくる。
ワニは、鮫のことと云われているが、素直に恐竜の話のこと?だとすれば、辻褄も合う。
ステージ1 現実の世界/人間の時代。
天孫降臨、神武天皇〜
神道、古事記が示すのは、神が、生命が、繰り返し下次元ステージにディセントし、人間の精神階層を創りだした。仏教は、その精神階層の最下層から仏に至る道を説き、実践する。
ほへと数秘論で、理想であるオリジンタイプCを現実的に具体化して表現したものがオリジンタイプDとしている。そこで、Cを発見して、それをDと表現すればバッチリなのだが、Cに気づかずに、Dだけ見れば、それがカオスなのだ。
ステージ1はステージ5の頂点、数秘19の境地、タロット19「太陽」を間違いなく具体的に表現している。
しかし、ステージ5が、神や仏、太陽の意味が見えないために、この世界はカオスとなり、仏教で云う「地獄界」となる。
だから、中途半端な、霊能力者や神秘家は、この世界が、さも地獄や監獄な言い方をするというわけだ、見えてないのだ。上が。
そこで仏教は、修行や苦行という名で、煩悩を抑え、
そらに禅では、ステージのディセント(降下)で、付け加えられた数々ものを、「無」とすることにより、ステージをクライム(上昇)していく。その上昇段階を示したのが、十界でその目的の場所、境地が「仏」なのだ。(とりあえずは六道輪廻からの解脱)
それに対して、神道は、始めっから、我々は「神」のインスタンス(具体化)ということを示している。
「神」が降臨して、世界を作っていく。それも古事記の神話では、スマートでカッコイイ話ばかりではなく、試行錯誤して、神代からこの時代までの話し、またそれは生命進化の歴史を語っている。
最初から神(悟っている)というのは、日蓮に、神道の考え方に近いのかもしれない。(大雑把に言えば)
要するに、真理というものがあり、神道と仏教はそれを違う角度から見つめているのだ。
それに気づいた偉人が日本には存在した。
聖徳太子は「和」という言葉で、神道(OR)仏教という選択から、「和」足し算(AND)という概念を示した。
桓武天皇は、平安京を造るが、仏教に偏った平城京から、神と仏が互いに学び合うという「神仏習合」の都市を作った。そして空海や最澄が現れた。
紀元前660年、神武天皇、建国。
そこから、約1200年後、仏教がやって来る。
さらに、約1200年後、時代は江戸幕末。キリスト教とともに西洋文化がやって来る。
キリスト教も、タロットも、神智学も、真理をまた違う角度で見ているのだ。
抽象的な「真理」を具体化したものは違って見えるのだ。
それだけ。
実はこっそり、今時代の「神仏習合」を目指しているのが、「ほへと数秘術、数秘論」なのだ。
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2015年10月28日
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『ステージ1は間違いなくステージ5の頂点、太陽を具体的に表現している』について、もう少しくわしくお聞きしたいです。どういうことですか?