スタンディング・アート(Standing Art)のコンセプトは、精神探求とともに、自分の意識境地を高める事にある。
スタンディング・アート(Standing Art)とは「存在技法」的な意味合いだが、StandingのStandやArtという意味はいろいろとある。
もともと、「ほへと」、「ほへと占術研究室」以前から、スタンディング・アート(Standing Art)という名前は存在していました。
例えば「ほへと占術研究室」のHPのURLは、
http://www.geocities.jp/standing_art/hoheto/index.html
であるが、
ジオシティーズのユーザー名は「hoheto」ではなく、もともと「standing_art」なのですね。
すなわち、「ほへと占術研究室」は「StandingArt」の下位機関だったのですね。
もともと、数秘や占い、風水やボディワークは、存在や精神探求のスタンディング・アートのコンセプトのもとでの研究でした。すなわち、くだらない精神を堕落させる占いは否定してる。精神向上を指向した占いの研究とそのアドバイスを行ってきた。(辛口だが)
「ほへと占術研究室」は10年を突破し、いろいろ研究の成果も積み上がってきました。
ここらで、基本に立ち返り、精神探求とともに、自分の意識境地を高める事をつぶやいていくことにする。
カテゴリに「スタンディングアート」が追加されました。
と言っても、今まで言っていた事のまとめ的な感じとなりますが、精神探求中心で、やや怪しく胡散臭い話になるので、苦手な人はスルーして下さい。
占関連は、占術に関する事柄で語ります。このカテゴリでは占いではない、精神的で怪しいことを語ります。
好きな人は楽しみに。
そういえばこないだ。
ある人と怪しい話をしてて、「ウォークイン」と言葉を久々に聞いた。
ウォークインは、クローゼットの話ではありません。
もっと怪しい話です。なんらしかの本人以外の魂が肉体に入ってくるような話です。
その人は、地球の救済に関していろいろ活動しているそうです。
それに関しては、否定も肯定もしませんが、共感はしません。
もっと上の事をしなければいけないと話した。
活動は、理解して行わなければ意味は無い。
形だけ真似ているのではダメと考える。
意識と行動のマッチングですね。
ほへとのいう「セルフ」という概念は、このウォークインの反対だ。
むしろ、身体から、本人の魂が抜け出すようなことを指している。
幽体離脱、ウォークアウトだ。
胡散臭いレベルで話せば、
セルフは、5次元、ステージ3(潜在意識)に位置する。
エゴは、4次元、ステージ2(心)に位置する。
現実世界は、3次元、ステージ1だ。
エゴは通常、下位次元の現実世界や同次元の心に意識を持ってきている。
それを、逆方向の上位次元の潜在意識に意識を合わせるのだ。
エゴが理解や感じることができない、5次元を考えて欲しい。
自分(セルフ)とは人生の事である。心(エゴ)のことではない。
エゴは、5次元の存在(セルフ)が、4次元に次元降下(ディセント)したものである。
夢は、セルフがエゴを見ているだ。それはエゴが現実世界を見ているのと相似関係だ。
ほへと占術研究室のテーマにエゴの理解とコントロールがありました。
スタンディング・アートはその先です。
あの震災から5年が経った。
エゴを消滅させるほどの悲しみは、人生を変える。
多くの人は、失った命のことを思い、より良く生きようと、意志をまっすぐ未来に向けていると思う。
自分が自分がと言ってる状況ではない。
不平不満や恨みつらみは、意識を身体の中に閉じ込めロックしてしまう。
その意識はやがて、身体をも硬直させ、コリや異常の原因となる。
「自分が」「自分だけ」「自分を」などのエゴエゴの意識は流そう。
禅やヨガの目的は、健康ではないのだ。
ウォークアウトのために、意識を自由にさすために、エゴと身体に必要なボディワークなのだ。
神道的な考えは、
本来、あまり個人のエゴについては、どうでもいい。
それより、町や村レベルのグループ意識が強い。
神も人間も、森羅万象も自然の一部で、良い事も悪い事も天候のように、
感謝し、自然とともに生きる。
受け入れるというのが大事。
上から下なのだ。
授けてもらうのだ。
逆に仏教は、エゴは救われない。
エゴは「四苦八苦」から逃れられないからだ。
どうすればいいのか?
悟るしか無いのだ。
意識境地を上げていくこと。下から上なのだ。
それが仏教的な考えだ。
修行だ。
どっちが良いか、優れているかではない。
神仏習合は、この神道と仏教が習い合うという事。
スタンディング・アートには神仏習合の概念が必要だ。
古事記はステージ5からステージ1の次元降下の話、般若心経は「般若波羅蜜多」という、本物・真理(ステージ1)の追求・その修行が大事と。
神仏だけではない、いろいろなことを、習い合わなければわからない。
それは決して、寄せ鍋ではなく、ひとつのことに気づくための暗号解きなのだ。
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2016年03月12日
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