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2016年04月06日
桜を眺めつつひとりごと(2016)
最近のお気に入りは、スマフォに広角&接写スマホレンズ(DIMEのオマケ)で撮影することだ。
デジカメは見事に現実を写してくれるが、このセットの低い解像感も歪みも、心を写してくれている感じがするからだ。
私とあなたが、ステージ1(現実)でまったく同じものを見ても、ステージ2(心)では、まったく違うものになるのです。
桜は、身体を通じて、ステージ2の心に映っている。
視覚は、五感というものは、ステージ1の情報をステージ2に伝える。
現実の情報を、心に伝えるために脳内で変換する。
心に映る映像は、各個体の見方を作り出す。
そこに、何かしらの思いも添付されるのだろう。
散る花びらのように、それもきっと忘れてしまうだろう。
もし、ステージ1の現実という世界が幻なら、実際この目の前の桜は存在しないということなのか?
唯識では、私が見るから(意識するから)、「桜」は存在するという。
まったく桜に興味が無い人には、「桜」は存在しないということ。
同じ風景を見ても、人によって意識する場所は個々に違う。
まったく同じ場所を見ても、「思い」は違う。
あいつは、どんな「思い」で、桜を眺めていたのだろうか?
同じ桜を眺め、酒を呑んでいたのに、それがわからない。
毎年、眺めるが、同じ形の花の形を、飽きずにいくつも眺めるものだ。
意識は花びらを見つめて、湧き出る思いは、確かに毎年違う。
ある日の絶対的な状況、そんな記憶も、歳を重ねれば、違った見方ができるようになっている。
毎年同じものを見るから、今年の自分がわかるのだろう。
来年はどんな思いで眺めるか?
過去の記憶も、絶対的な状況も、エゴが成長すれば意味合いは変わっていく、というだけのこと。
ステージ1の絶対的な、「桜」が目の前にある。
ステージ2の相対的な、「桜」が心の中にある。
ステージ3の潜在意識の中に、「私」にとっての「桜」が、この思いを作る。
ステージ4で私が消えた時、全ての「桜」と全ての「人」の接点(全意識)が溶けあって、星(生命)のカケラ(集合)を書き換えているだろう。
ステージ5のひとつの生命(星)へ帰る。
この記事へのトラックバック
そりゃあ同じ想いなら言う事ないかもだけど、
同じ時、同じ場所で、同じものを見れた事実が
きっと幸せで嬉しい。
たとえ心の中に生まれた想いが違っても、
一緒に見れたからこそ、
生まれた想いなんですから。
始まりと言われる季節の花なのに、
去っていくもの、亡くした人を思い起させる
不思議な花ですよね。
インフルこじらせて一週間ほぼ寝たきりしてました^^;
今年は満足に見られなかった。桜…。