唯識的に、この世界が存在するのは、私が見ているからだ。
しかし、私が、世界と思っている世界は、自分だけのプライベートな世界で、他人の世界とは違うのだ。
絶対的な世界を、個人は主観的にしか感じることはできない。
ほへと的に、個人的な世界を「現実」という表現を使っている。
世界対自分の関係だけでは孤独で寂しいものだ。
複数の人々の現実が折り重なっている世界を「場」と呼んでいる。
コミュニケーションは、この絶対的な世界で行われているのではない。
他人という個別の別世界の住人と関わっているのだ。
目の前に他人がいても、手の届く距離に、他人のエゴ、セルフはいない。
たまに、小さいお子さんに手を焼いているお母さんに、チビちゃんの気持ちを勝手に推測する前に、チビちゃんから見たこの世界をイメージするようにいいます。母親目線ではなく、チビちゃんになりきってみる。
そうして、自分だけの「現実」から、「場」を意識していく。
「場」が、良い場になるように、プロデュースしてみる。
逆の、自分の現実だけに執着することはダメ。
「場」から浮いてしまう。
「場」を良くするのです。
もっと積極的に「遊んでみる」、もっと「要求してみる」
もっと、いろいろ引き出してみて下さい。
お互いの世界が広がります。
「現実」は、エゴ個人だけの世界のこと。
「場」は、複数の人の現実の交わり。
「世間」は、多くの場の集合。
「世界」は、すべての人の現実を合わせたもの。
的な感じ。
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2016年06月16日
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