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2020年09月30日

この世界に来た日、から帰る日

昔のブログで、生年月日とは、無限の輪から有限宇宙である現実世界にやってきた日。と書いた。

占いでは、生まれた日を重視する。占星術や四柱推命、数秘占いもだ。
生まれた日より、受精した日が大事という占いもある。掘ればそういうのも当然あると思う。

考え方で、ほへとは、この世界に、誕生した日、生まれた日が重要と考える。

それでも、昔、変わった友人が、お母さんの子宮に帰りたいと、切なく語っていた。
でも、それは、その(自分の)お母さんの子宮ではないそうだ。

当時は、???と思っていたが。

たまに、前世?的な記憶を持つ人と話すことがある。
人それぞれ、シュチエーションは違うのだが、大体、内容は似通っているのが面白い。

それは、子宮内で見た世界(夢)。
子宮内で受精卵は、永遠の命の元より、40億年の生命の歴史(進化)を経験する。

神社のお宮は、子宮のことといわれている。
お宮への道は、参道、産道と呼ぶ。

お参りして、再び、子宮から出てくる。
生まれ変わる。
神社にはそういう意味もある。

人間の意識下で、自ら命を断つ人がいる。
当然、しないほうが良いのは誰もが分かっている。

そもそも、形をもつ生命体には、見えない心(意識)がある。
見えない心(意識)が、いくら死にたくないと思っても、形あるものはいずれ崩壊する。

そういう意味では、生命体とは、常に自ら命を断つようになっている。
いやいや、そうではなく、寿命という話だ。
心や身体が生まれる前から、この有限宇宙の現実世界に形を持って存在するには、
始まりと終わりはセットだ。

大事なことは、見えない意識が、身とともに無になるのか、それとも永遠なのか。

形(かたち):身体(からだ)があるから、この世界に入れるし、動けるし、世界を変えられる。

そして、形とは、身体とは、この世界とは、いずれ、おサラバしなければいけない。

ピントを合わすのは、けして、日の出の生まれたときでも、日が沈んだときでもない。

頭上に輝く南天の太陽。

どうせ、最後は避けられないから、
灯るロウソクを、守るように生きても、必ずろうは尽きる。

やはり、今をいかに、命をいかに、輝かせるかだ。
感動は、身体と心が一致しなければ起こらない感情だ。

なんか話逸れたけど、シンプルに、自分自身を楽しもう。
楽しめない人も、実はもっともっと楽しめる。
じっとしていても、時間は減っていくだけね。
posted by ほへと at 21:56| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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