例えば、腕立て伏せをするとして、無論その時の体力の限界にもよるが、やる回数を数秘的に見ていこう。
0ゼロ。
0は無である。1が有である。
その観点から、そもそも腕立て伏せができない。というのは0である。
できないこと=0とすれば、できるというのは1以上ということになる。
しかし、単純に腕立て伏せができない。だけではない。
腕立て伏せができないとしても、できるようにチャレンジするのと、
そもそもチャレンジすらしないのと、同じ0でよいのか?という考えだ。
もし、いつか必ず、、腕立て伏せができていると信じてチャレンジする場合。
それは0であっても、「無」ではなく、「空」である。
無は、存在していないが、空はここに存在していないだけだ。どこかに存在している。未来に。
同じように、昔はできたのに、今はできないのも、「無」ではなく、「空」である。try again!
ここでもポイントは、できる、できないの0と1がある。
そして、やる、やらないの0と1がある。
できない=0とやらない=0は、空と無だ。
できないは、いつかできる可能性があるが、
日々、356日x年数に、やらない0を掛けても、それは0にしかならない。
腕立て伏せの回数に話を戻そう。
1は有であり、腕立て伏せが1回でも、できたということは、物凄く意味がある。
そして腕立てが、1回できたら、次は2回、次は3回となるが、その次は4回ではなく5回のケースが多い。
次は、6でもなく、7回となんとなく奇数1,3,5,7と進むが、どうせ9回ならと、切りの良い10回へいくので、9も飛ばされる。
10は偶数だけど、数秘変換では1となり奇数に変換される。
そう数秘は9進数なので、9と10のところで奇数がかぶるのだ。
そこで大体は、切りの良い10回を目指す。
なんとなくだが、10回を超えたら、奇数の13,15より、偶数の12や16を目指す気もするが、数秘変換奇数だな。
10回できたということは、これまた新たな1で、新たな有であり、物凄く達成感がある。
そして、次の物凄く達成感があるポイントは100回だな(笑)
京都で夏、愛宕の千日詣りとかあるな。1→10→100→1,000
これは数秘1ラインだ。
例では腕立て伏せだけど、応用は利く、ボディワークだけでなく、貯金額など。
大事な点は、いつかできる0から1を生み出す。
やらない0を掛けても、それは0にしかならない。
let's try!
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2022年11月19日
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