あらためて、見るということについて、ぼーっと考えていた。
(※注意、だらだら系でまとまってない話なので、、)
「見る」という視覚というやつは、光が対象に当たり、その反射光をレンズ眼で焦点させ、現実世界を認識するのだが、
現実世界のオブジェクトを認識する、すなわち画像処理には、多くの脳みそが必要となる。
その結果、高度な画像処理により、目の前のコップがコップなのだ。
視覚とは、対象を離れていないと見ることはできない。
空間にある対象を認識する。それは光を見ている。
光を解析分析している。
結果対象として認識する。
「見る」というのは、現実世界だけでもない。
「見る」というのは、例えば、鮮明に夢を見ることもある。
誰かを、何かを、思い浮かべるて、それを思い出し見ることもある。
現実に見たものを、記憶する。
光をそのまま記憶している?いや光を解析分析した結果だけを記憶している?
記憶するときに、いろいろな思い、感情といった、主観も一緒に記憶される。
また、時には、自身も見る。
自分を見つめる。それは鏡ではなく、心の中で、自分と距離を取り、自分のイメージや自分の感情や、自分の行動を見る。
反省するときなど、動画を再度見るように、確かめるように。
そうなるとやはり、純粋に見るというのが大事になってくる。
主観が決して大事ではないというわけでもない、ある程度、感情や感動など心が動かなければ、記憶もされないだろう。
そんな感じで、あれこれ、考えていたら、「見る」から脱線してしまっていた。
結局、言葉にするのは難しいが、
純粋に、現実世界を見る。
それは、主観的に見ようとするエゴと、セルフという純粋な色となる。
例えば、偉大で有名な画家の絵を、安易に判断できないように、
実はこの世界も、安易に判断してはいけないと思う。
判断とは、思考だけでもなく、無意識の感情もそうだ。
睨みつけるような目も、ニコニコ笑う目も、純粋ではない。
純粋な子どの目のように、やはり、物事を見る時には、目には力を入れてはいけない。
そんな、純粋な目は、一番輝いている。
ということは、やはり、私の本質は光なんだ。
全てを忘れたように、生まれて初めて見るように、
たまには、純粋に、「見る」ということ、やってみましょう。
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2023年01月17日
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