東西、青龍と白虎は、陰陽対立というやつだ、
それに対して、玄武と朱雀は、次元対立であり、玄武のイメージを具体化して形にしたのが朱雀なのだ。
青龍、東とは未来であり、白虎、西とは過去である。
過去と未来を統一して、今という瞬間が、真南の太陽、と同時に真北が現れる。
船岡山の裏の玄武が今宮神社、今の宮だ。
平安京の東、青龍は、大文字山、西、白虎は嵐山といわれているが、
まず、大文字山(山頂)を見ていこう。
→東: 方位中心レベルS(ほぼ中心)[東中心から-0.6度]です。距離は直線で約6.337kmです。標高差は+401.2mです。
まじで、青龍やん。ドンピシャだな。
大文字山は、京都市東部に比叡山から伏見稲荷の稲荷山まで続く東山連峰のひとつ。
大文字山だけではなく、近くに椿ヶ峰という大豊神社の御神体もあり、天台宗の千日回峰行の修業の場となっている。
東に東山連峰があるように、西にも西山連峰が、南は天王山から北は愛宕、高雄まで連なる。
古来愛宕聖(あたごひじり)といった修験道の聖地であった。
京都で最も古いといわれている、平安時代以前、の神社、松尾大社のお神体である松尾山も西山連峰のひとつだ。
この対称的な、東山連峰と西山連峰の峰が実は、平安京の青龍と白虎かもしれない。
いや、これ以上無い青龍と白虎だ。
しかし、対称的で一見似たような連峰でも性質は真逆になる。
東の山は、実は朝が遅い、日の出を山が遮るからだ。
逆に西の山は、日が暮れるのが早い。
結果、東は、祇園など飲み屋街になりやすいが、
西の嵐山は、夕方になればどこも店が閉まるが、
どこよりも早く朝陽が山に当たるので、実は渡月橋などは朝がオススメだ。
だから、同じような山や峰に見えても、東西では性質が逆になるのだ。
では、西の白虎といわれる、その嵐山を見ていこう。
と思ったが、嵐山、という山は存在しているが、一般的に嵐山の山は小倉山、小倉百人一首の小倉の由来だ。
また、嵐山とは地名であり、特定の山を指すわけでは無いが、とにかく調べよう。
小倉山
←西:方位中心レベルB[西中心から+3.7度]です。距離は直線で約7.585kmです。標高差は+231.5mです。
微妙にズレてるな、では南の嵐山は、
←西:方位中心レベルC[西中心から-8.8度]です。距離は直線で約6.959kmです。標高差は+334mです。
こっちもズレているが、大極殿から嵐山の直線上に、広隆寺が現れている。偶然か、、??
あと西山連峰には、大文字山のような方位レベルSの山は無いな。
いや待て、嵐山は、山と川の対比が絶景なので、嵐山といっても、レベルSが山とは限らないぞ。むしろ川の方かも、
保津川(桂川)が、おそらく、それっぽいが、いかんせん川だから、ここって決められないな。(山頂とか無いし)
というか、多分、保津川(桂川)自体が、白虎(S)ではないかな?
風水において、蛇行する川は龍と呼ばれる。龍とは、風水のシンボルだ。
龍を傷つけたり、流れを断ったものは、死の報いを受けるという。
明治時代、田中源太郎という、亀岡で、貴族院等で政治や経済を発展させた人がいた。
関西電力の元や、京都銀行の元である亀岡銀行、京都証券取引所の元の京都株式取引所、そして、「京都鉄道株式会社」を設立。
亀岡と京都を結ぶ、悲願の鉄道を、資材を投げ打って作った。 山にトンネル掘ったりして。
悲運なことに田中源太郎は、自ら作った鉄道で、保津峡で列車事故に巻き込まれて死ぬこととなる。
原因は事故説や、暗殺説など流れるが、 どちらにしてもつじつま合わせだろう。
それはまちがいなく保津川という龍の逆鱗に触れたことだろう。
京都側から保津川を遡ると、亀岡の保津川下りの船着き場に当たった。
なんとここが、レベルSだ。
←西:方位中心レベルS(ほぼ中心)[西中心から-0.8度]です。距離は直線で約14.163kmです。標高差は+45.1mです。
保津川は、龍だ、見てこの川の蛇行のエグさ。
この保津川は、保津川下りの船着き場から嵐山がレベルS、その後桂川と名前を変えて京都の西側を流れる。
ちなみに船着き場は重要である。
長岡京の南の山崎津も船着き場である。
津とは港の意味だ。
ん?保津とは、保港か?
亀岡の木材等のみならず、南丹の綾部、さらに日本海方面からの特産品などを
ここ亀岡から保津川で京都市内(平安京)へ輸送したのだろう。
あと船着き場地点から、南西に、亀山城(明智)がある。大極殿の南東にも二条城(家康)がある。
無論当時平安時代にあったはずはないが、、すごく位置的にシンメトリーだ。
まぁ、亀岡まで来たから、反対東を見れば、
滋賀県の大津だ、、大津とは、まさに大きな港だ。
→東: 方位中心レベルS(ほぼ中心)[東中心から+0.2度]です。距離は直線で約10.863kmです。標高差は+41.6mです。
平安京の御所は、西の亀岡と東の大津という港(港)挟まれているんだな。(後は南西の山崎津)
さすが、東西戦は一歩も引かんか。
亀岡の話に戻そう、
亀岡という場所は非常に重要なポイントだ。
亀岡の北の方で、いくつもの川が合流している。
それが保津川となるが、
その支流の中でひときわ重要な川が七谷川である。
その近辺には、 多くの神社仏閣があり、中でも出雲大神宮や、亀岡最大の古墳、車塚古墳がある。
この地は、非常に歴史のある場所で、しかもかなり古い。
出雲大神宮、なぜここに出雲系の神社がある?
保津川をどんどん上流へ行けば、若狭、日本海方面へ辿ることが出来る(由良川)。
そこから、京都(丹後)←兵庫←鳥取←島根(出雲)
実際、車塚古墳、丁度、この辺りで、先住していた出雲系と秦氏が争った記録があるそうだ。 秦氏が、結局勝って、亀岡を掌握する。リアル国譲りだな。
秦氏とははたを織るから秦氏という説もあるが、 亀岡には、桑畑、すなわち絹が盛んに作られていた。
この亀岡の地名には、桑田郡等の桑が付く地名が多い。
平安時代以前、京都西部(嵐山、嵯峨、太秦)から亀岡にかけて、秦氏が実質支配しており、朝廷の権力も及ばない治外法権だったらしい。
桓武天皇は、一度長岡京で失敗したが、平安京へ遷都し、復活できたのは、この秦氏のスポンサーのおかげであるという話だ。(絹で儲けていたか?)
対する、青龍、東にも、重要な川があったぞ、鴨川だ。
鴨川は、北から南へ、京都の東部を流れるが、蛇行はなく、直線である。
これはまた、非常に対照的である。
鴨川は、加茂川と高野川が合流して鴨川になるが、源流に貴船川がある。玉依媛命(たまよりひめ)は鴨川、貴船川を船で遡上し、貴船までいったと云われている。
貴船神社の名の由来だ。玉依媛命(たまよりひめ)は、神武天皇(初代天皇)の母である。
ということは、アマテラス系か、
京都(平安京)って、出雲、オオクニヌシ系の保津川(桂川)VSアマテラス系の鴨川が、これまた、対称的な青龍VS白虎になってるぞ。
話をまとめよう。
平安京の四神、青龍VS白虎
1大文字山VS保津川(保津川下り〜嵐山)
2東山連峰VS西山連峰
3鴨川VS桂川
4大津VS亀岡、港対決
壮絶な、龍撃虎VS虎破龍だな。
平安京の玄武がダブル玄武で、朱雀がぶっ飛び潮岬。
東西、青龍白虎は、共に、三重四重構造で対称的に陰陽対立しているのだ。
決して、平安京の青龍はココッて一つではないということだ。(平安神宮ではないぞ)
しかし、陰陽対立、東西分離では、統一である南北(朱雀と玄武)は生まれない。
次回をお楽しみに。
平安京の風水から学んだことパート5
都市を活性化させるには、津(港)が重要。これは個人の運気を上げるには、家の津(港)というべき、駅やバス等の交通機関のアクセスや、商店街やスーパーなどの買い物に便利、人が訪ねて来やすい場所。といった当たり前だけど重要な部分。だから、ほへとの風水では、そういう部分を見る。町外れの閑静な住宅街は勧めていない。
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2023年10月15日
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