古代遺跡は、そうした、夏至の日を意識して建てられている。
夏至の日は、次元上昇の日なのだ。
そもそも太陽が東から昇るというのは基本半分冗談だ。
確かに、春分と秋分では、太陽は真東の90/360度から昇り、真西の180/360度に沈む。
夏至の日 太陽は北東60/360度から昇り、北西300/360度に沈む。
そう、夏は北東から、冬は南東から、日は昇る。
今日は夏至としよう、平安京から、日の出である北東60度の方向に何があるかな?
げっ比叡山が出てきた、角度は60度に近似の58.2度だ!ヤバい!
そもそも、夏至の北東60度も大体の話だし、これはほぼ夏至の日の出の角度ではないか?
では、夏至の日の日の入り、北西300度の方向にあるものは?
、、愛宕山だ、やはり、角度はやはり300度に近似の294.9度だ!
驚いた、、まさかここまで正確とは!?
これは、平安京の御所が、夏至の日の日の出日の入りの角度まで計算している?
というのも、驚きだが、その位置に、愛宕と比叡が丁度存在しているという奇跡に驚愕だ。
神様いるね。

美しいシンメトリーが現れる。
大極殿→比叡山山頂 58.2度≒60度/360度
北東:方位中心レベルC[北東中心から+13.2度]です。距離は直線で約9.895kmです。標高は838.9mです。標高差は+792.2mです。
大極殿→愛宕山 294.9度≒300度/360度
北西:方位中心レベルC[北西中心から-20.1度]です。距離は直線で約10.825kmです。@南西 がおすすめ 標高差は+848mです。
60度、300度とくれば、夏至の最も太陽高度の高い方位、真南180度であり潮岬の方位だ、
この三方向を合わせれば、シンメトリーを超える、正三角形を形成する。無論中心は、平安京の御所だ。
愛宕山系の西山連峰と比叡山系の東山連峰の、白虎と青龍が陰陽統一され、朱雀・玄武が出現する。次元上昇だ。
さすがに、これは(これも)驚いたわ。
いやいや、割りと京都市内ならそうじゃないの?
比較に、現京都御所を調べてみた。
京都御苑→比叡山山頂 56.3度≠60度
北東:方位中心レベルB[北東中心から+11.3度]です。距離は直線で約7.993kmです。標高差は+784.5mです。
京都御苑→愛宕山 288.1度≠300度
北西: 方位中心レベルD(境界線付近)[北西中心から-26.9度]です。距離は直線で約12.178kmです。標高差は+839.6mです。
大極殿と京都御所自体が無茶苦茶離れている訳では無いが、明らかに、大極殿と比べると、60度、300度から離れていっている。
ということは、平安京の御所の方が、遥かに四神に守られていることだ。
まぁよくそんな風水を1230年前に設計したものだ。
ついでに言えば、現京都御所には致命的な欠点がある。
それは、朱雀の潮岬ラインだ。
潮岬とは遥か176キロ離れているので、京都御所自体も南Sレベルであるが、
問題は、大極殿が、朱雀大路からの気が、真っ直ぐ、応天門から大極殿にダイレクトアクセスしているのに対し、
現京都御所は、南からの大路である、烏丸通りと河原町通りは、現京都御所には直接ぶつからず、気は東西両脇から素通りするのだ。

残念ながら、平安京当時の御所は、度重なる火事と再建の末、1227年に当時の御所廃絶、位置を転々とし、平安時代後期から鎌倉時代に現在の今出川御所の位置になったそうだ。
やはり、火事の原因として、潮岬の陽の朱雀パワー(火)が強すぎに対して、玄武のパワー(水)バランスが弱かったか?
どうも、位置が変わってから、京都が陰になっていった気がする。
もし、千本丸太町に御所があれば、首都はまだ京都だったり、、なんてね。
なので、明治天皇は、抜け殻となった京都御所から、平安京の御所のように真南ラインの生きている江戸城(家康)へお行きになさったのじゃ。
次回は、真の平安京の姿へ
平安京の風水から学んだことパート6
東西である、青龍、白虎の風水アイテムは、あまり点にこだわらず、線や面で見ていこう。
南は、季節が変われど、お昼に真南に来るが、東西、日の出日の入りは、季節が変われば、その場所も変わる。
もし点的なアイテムなら季節とともに場所を変える必要がある。
もし南向きの部屋なら、東と西に四神のアイテムを設置というより、東の壁と西の壁のイメージの対比といった感じで捉えた方がいい。
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