あなたが目の当たりにする現実は、自分の意志によって、作り出されています。
習慣というものがある。
とりあえず、無意識にそれをやってる。
それは、幾日もそれを繰り返し、習慣となる。
あなたがその習慣を止めようとした場合は強い決意が必要ですね。
その意志と過去の習慣とが戦う事となる。
その習慣が、一ヶ月なのか一年なのかで止める容易さは違うと思う。
当然、長い方が止めにくいはずです。
習慣とまで意識しなくとも、自分というものは、流れの方向のようなものを持っている。
丁度川の流れの様ですね。
例えば自分の人生をマップ上のある地点から、ある地点へ向かうルートとします。
出発地点が出生、到着地点が死です。
そのルートがセルフです。
現在が今がエゴです。
エゴは今という地点を、過去にやって来た方向から、その方向の先の未来へ向かっている。
セルフというルートは単純な直線ではなく。
おそらく、時より折れ曲がっていることでしょう。
進行方向は、自分が決めます。
良いですか、進行方向は自分が決めます。
進行方向とは意志の方向です。
意志とは実現したい事のエネルギーです。
意志の強さは、その時と決意と継続時間で表される。
長さと濃さが大切です。
あれこれ実現したいでは、意志のパワーは分散され、薄くなりますね。
かといって、意志を強く持てば必ず叶うほど世は甘くない。
時には壁にぶつかり、崖から落ちるかもしれません。
進行方向の変更を余儀なくされる。
そんな理由でセルフというルートは単純な直線ではない。
真っすぐな時は、過去の意志を継続している状態で、順調に意志実現に向かっています。(当然実現に必要なカリキュラムは出てきます)
折れ曲がった場合は、意志が変更されたことを表します。
進行方向は、自分が決めますが、ここで重要なのは、自分とはエゴではないのです。
過去にやって来た方向から、その先の未来へ向かう直線が自分という感覚である。
今、現在地点でアクシデントなりイベントが発生し、進路変更を行おうとした場合。
例えば現在地点のエゴは進路を、東へ45°、面舵をとろうとします。
しかし、エゴは曲がろうとして、過去からの惰性、直進しようとするエネルギーに、それを抵抗されることになります。
先ほどの、習慣の例と同じ感じですね。しかし、実は無意識の抵抗などとそんな上辺の浅い問題ではない。
この発生する抵抗は、現実に、実際起こります。リアルに起こります。
今まで順調だったことが、急に上手く行かなくなる。
今まで仲良かった人は急に、コミュニケーションが取れなくなる。
今までは無かった障害物、事故などのアクシデントが起こる。
この運命的感覚に、エゴは、翻弄される事となります。
しかし、この抵抗は、自分が起しているのです。
自分が現実を通して現在のエゴに運命的な抵抗を起こしているのです。
先も言いましたが自分とは、過去にやって来た方向から、その先の未来へ向かう直線。
過去から未来を貫く、自分の意志です。
上手く行かないのは、未来を変更したからです。行き先を変更したからです。
今起こってくる事は、過去に設定した未来に丁度良い事です。
だから、今設定し直した、新たな未来には、合っていないわけです。
新たな行き先を設定した場合。過去の自分のサポートが受けられ無いどころか、抵抗されるという事です。
現実には自信喪失や挫折感、泣きっ面に蜂などと感じる場合もあります。
エゴは実際今という瞬間を動き回れますが、今の状況を作っているのは過去の自分ですよね。
ほへとが言っているのは、本当に自分というものは、実はエゴという今自由に動ける方ではなく、
エゴが動く現実世界、状況、フィールドを形成する、時間軸でいう過去から未来へ向かう直線の意志が本当の自分ではないか?ということ。
今の瞬間のエゴを軽視するわけではないが、かといって今の瞬間だけを自分と思えば、エゴは強くなります。
強いエゴは、過去から未来への時間軸が気薄な為に、意志の変更をその場その場で行ない、
またショートスパンの意志は願望達成前に、意志の変更により、キャンセルされた未来のリソースが無駄な抵抗を作り続けるのです。
ころころ方向を変える人は考えて下さい。
今が大事ということは大事です。
どうかそれを低レベルに、エゴレベルに、目先、自分勝手に解釈しないように願う。
ほへとが以前例えた、見られている、現実側、被写体側が自分である。
見てる側、カメラ側のエゴは自分ではないといった意味がここにあります。
また、センス(感受)とは今を知る事=自分を知る事に他なりません。
出発地点から目的地の実際生きたルートの方に着目すれば、ルート上の点存在の自分の性格(エゴ)などとなります。
自分という感覚、直線は、幾度も折れ曲がり、目的地に到達しセルフをつくる。
ルートなセルフには個人的な生まれ変わりはありません。
ちなみにセルフはその後にお役目があります、エゴの終わりはスタート(謎)
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2007年11月01日
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最近、仕事をする中で色々な人から「お前は暗い」と言われてきました。
でも、僕はずーっとこの感じで生きてきました。それでここまで来れたから、それで良いじゃないかと思っていました。
暗い・影があるってのは、逆に格好良いとも思ってきました。
でも、仕事をする上では、やはりそれは変えていく必要があるように感じました。
今までの僕じゃ、この先やっていけない・・・。
最近、仕事を変えて、環境がまったく異なっていてすごく戸惑っています。
前は、あんなに出来ていたのに、今の所では本当に何も分からない。チンプンカンプン。
でも、やっぱり僕は今のところで頑張って行きたいと思っています。
ほへとさんの言われるように、すごく強い決意・濃さ・長さが必要になると思います。
今、本当に挫折感というか、そういう抵抗を感じてるのですが、それが自分で生み出した結果なんだと考えれば、少しやっていけそうな気がします。
頑張ってみようと思います。
良いですか、進行方向は自分が決めます。
・・・自分に言われている気がしてドキッとしました。
ほへとさんのされている相談のやり方は
カウンセラーのしている手順とほぼ変わらないですね
失礼かもしれませんがそのことに大変感心しました
ただ、ほへとさんのような方は
カウンセラーがこれまでに
学問として体系化できたことを基に
修行して認定機関に認定されているのに対して
自ら先を進んで検証して得た経験を
元にされてる
つまり、色々な部分で、まだ科学的なテストを
経て認定されていない、検証中のようなところすら
踏み込み、身につけられているのだ
と読んでいて感じました
自分で検証して導き出したことを
ご自分の言葉でわかりやすく
説明できるほど消化し体系化されていることに
それをごく自然に共有しようとされていることに
感服します
これを読んできっとたくさんの方が見失っている
自分を見つめるための指針を得るのでしょう
素晴らしい、ほへんさんの活動をみていて
私も自分の願いに向かって自分のできることをやろうと
励まされました
しかし、ほへと占いは不思議ですね
誕生にかかわる数字で導き出されているのに
多くの方がその結果に大変心当たりがあるようです
かくゆう私もその一人で前向きになるのに
手助けがほしい時にとてもお世話になっているのですが、
西暦というものが誕生しなければどうなったのかと思うと不思議です
しかし、西暦の誕生も、人の世界においての
大いなる運命のようなものだったのかと
考えると、不思議なりとも何故か信憑性を感じてしまいます
誕生月占いは人格の形成、自己の認識に
経験としてとても大きな影響をもちやすいものだと思うのですが
数字による占いの中にそういう分析も含まれているのでしょうか
とても興味深いです
ほへとさんはどちらかというと
占いを人の手助けをするツールのように
扱われているように感じます
山の頂上にあってそこから一番最良の方法を
探した結果が占いというかたちだったのではないか
そんな気がしてしまいます
憶測で勝手に語ってすいません
でもほへとさんの活動は本当に素敵だと思います
monaさんへ、何か道を決めてるときは脳内だけでなく、脳外の自分にも尋ねてくださいね。
雲 さんへ、西暦は不思議ですね。セルフの概念を模索中に、自分のCTスキャナーとしてほへと占いツールはできました。
占い以前に人としてどう生きるべきか、というのを考えさせられるので、読んでいてとても楽しいです。
信念が変わりやすい人は良くないですね。(自分のこと・・・)
今、決意して継続中のことが2つあります。
優先順位を自分の中でしっかりと考えて決めて、実行しています。
継続はやっぱり力なんですね。