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2007年11月23日

違いなんか分からない。偽装問題。

一流芸能人すらも、目隠しされれば、ワインの味も分からない。

良いか、悪いか、本物か、偽物か、
自分の感覚で判断できる、そんな人は稀で、
それは職人か鑑定士か、
我々民間人には到底無理な話だ。

そもそもそんなスキルがあれば、それを生かした商売をやっています。

但馬牛の里の人曰く、世の中で但馬牛という名を見ると思うが、実際は「本物の但馬牛」は本当に貴重で、そんな量流通しているはずはない。大抵はよその黒毛和牛を但馬でさばいた程度であろう。と話していたが、船場吉兆は他府県牛を但馬牛と偽装していた。

おいしければいいじゃないという人もいますが。

お前等みたいな味の分からんモンはこれを但馬牛と思ってありがたく食っとけって感じだろうか?もったいないの次元じゃないよね。

本物を食べたくて足を運んでくれたお客さんには、死んで詫びるほどの誠意を見せて欲しいのに。
船場吉兆さん。対応も悲しいね。

実際、完璧に計算された偽装は見抜けない。
簡単な偽装も見抜けないけど。


江戸時代
士農工商という、カーストがあった。
日本文化はピークに達し、そのパフォーマンスの高さは、
開国後、ヨーロッパ始め、世界を驚かせ認めさせた。
ひとつひとつの商品や食材はいまじゃ考えられないほど、良いものでしたね。
だから、ものを大切に、食べ物を大事にしていたのでしょう。

今は
商工農士という時代だ。

商人が一番エライ。
すなわち経済効率優先というやつか。
まず売れなければ話にならない。
何を売るかは二の次だ。
しかも、どんどん売れ!買え!消費しろ!
それが政治も社会も動かす。

商人が嘘をつくのが仕事になっていないか?
職人がごまかす技術を突き詰めてないか?
農民は種じゃなく毒を蒔いてないか?
政治家は国や魂を売っていないか?


国民は消費者の権利、消費者の安全と叫ぶけれども、
消費者も働いていますね。
その消費者って、士農工商ってどこなのだろうか?(江戸時代じゃないけど)

やはりエゴジー(エゴで自我)な国民主権では、未来はありませんね。

posted by ほへと at 17:31| Comment(5) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
深いものを考えさせられる日記でした。
そうですよね。買う側ばかりが、ぎゃーぎゃー騒いでる気がします。
ものを買うとき、自分でこれがいい、これにしようと選んでいるのだから、その人にも選んだ責任とまではいかなくても、見る目がなかった責任、というのは少しあるのかなと思います。

私は洗剤を、少し値段は高くても水分解率の高いものを使っています。界面活性剤については難しく調べきれてませんが、メーカーの安売り商品は買わないようにしてます。(いかにも環境に悪そうなもの)
自分の家から水で流すものには、出来る限り環境に負担のかからないもので流したいと思っています。
完璧にはできませんが、できることからやっている感じです。
マイバックとマイ箸は続けています^^
不思議と自分がやると、徐々にですがまわりに伝染、していくものですね〜
Posted by モグたん at 2007年11月25日 02:57
今更江戸時代に戻れと言っても無理な話だけど・・・本当に完成された循環型社会があったことを思うと、今からでも何かできるのではないかと思いあぐねます。

偽装に憤りを感じながらも、そういう消費者のひとりひとりも(自分も含めて)被害者でもあり、加害者でもあることを身に沁みて感じます。
Posted by maru at 2007年11月26日 12:00
モグたん、maruさんへ

国を治める者が、ダメなら、国はダメになります。

日本を治めているのは、独裁者でも支配者ではなく、あくまで、国民です。(の代表です)

でも国民は、商人に弱いですね(笑)
Posted by ほへと at 2007年11月26日 22:07
商人も国民ですよ。
Posted by mono at 2009年01月27日 03:30
monoさんへ
そりゃそーだ
Posted by ほへと at 2009年01月28日 17:46
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