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2008年04月01日

平安京の風水(1)

ちょっとした、シリーズで、京都市の原型である、平安京、
その平安京の風水から、当時の平安京のコンセプトを読み取ろうと思う。

794年、桓武天皇は平安京に政治の中心を移した。

平安京の御所は、現在の御所の位置ではない。
当時は千本丸太町、ちょい北西に、平安京の心臓、太極殿跡がある。
当時の御所の規模は、そこを中心に南北は1.4Km、東西は1.2Kmの規模だったそうだ。

奈良時代に仏教が政治に介入してくるほど、仏教が巨大になっていく。
おそらく、桓武天皇は、以前の飛鳥時代に原点回帰も意識していたのかもしれない。

これを方位チェッカーでいろいろ調べてみる。

丁度、平安京の真南に飛鳥京が現れる。
また、聖徳太子の、法隆寺は、御所の大きさを考慮すれば、完全に真南である。

・法隆寺[34.614562,135.73411]
「方位は南です。 目的地へは 南の中心180度から+0.934度(180.934度)です。 距離は直線で32.261kmです。」

また、西には、広隆寺がある。
・広隆寺[35.015499,135.707288]
「方位は西です。 目的地へは 西の中心270度から-7.14度(262.86度)です。 距離は直線で3.889kmです。 」

すなわち、平安京は、南に飛鳥、法隆寺と西は広隆寺の交差点に位置するのだ。

これは、ほへとが思うに、聖徳太子の考えを体現する街を目指したのではないかと考えられる。

逆側、東を、3.88Kmほど探すと、、
平安神宮が「方位は東です。 目的地へは 東の中心90度から+6.136度(96.136度)です。 距離は直線で4.591kmです。 」
というか、当時絶対無いし、、

とりあえず、広隆寺のまったく逆を探しました。
京大医学部です(笑)、これも当時無いです。
「方位は東です。 目的地へは 東の中心90度から-7.183度(82.817度)です。 距離は直線で3.899kmです。」

そうして、いると太極殿から、真東に大文字山を見つけました。
「方位は東です。 目的地へは 東の中心90度から-0.725度(89.275度)です。 距離は直線で7.732kmです。」

当時から、大文字焼きはしていないだろうが、平安京を守る山ですね。
では、真西、7.7kmは何があるかな?
なんと、真西は、嵐山ですね。
大文字山、山に対しては川か?

嵐山も亀山公園、天竜寺、宝厳院、野々宮神社他、、いろいろあります。

ということは、平安京を守る四神の青龍と白虎は、大文字山と嵐山か?

そんな感じですが、実は平安京で、嵐山は非常に重要なポイントとなるのです。

th_P1050810.jpg
千本丸太町の交差点

th_P1050816.jpg
桜に彩られた、太極殿跡
緯度経度[35.019078,135.742127]

th_P1050818.jpg
太極殿跡の説明

th_P1050819.jpg
ついでに、お花見。
見に行ったお昼過ぎは良いお天気でした。
しかし、このあと突然の雨に見舞われる。(車だけど)
天気予報は完全に、昼から晴れだったのだが、、、

いつも、重要な所にいくと雨が降るが、基本は晴れ男。

この急な雨もほへとのせいぢゃ無いよ。(ごめーん)
posted by ほへと at 20:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 占術に関係する事柄 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 ほへとさんは晴れ男なんですか。てっきり雨男かと(失礼)龍神系には間違いないですよ。
 本題と関係ありませんが、女性が後ろ髪を伸ばす意味があると以前書いてありましたが、是非お聞きしたいので、ブログで紹介して下さい。私は長い髪をばっさり切って、すっきりした反面、いろんな事が起こります。偶然かな??
Posted by みわ at 2008年04月02日 11:58
みわさんへ

ほへとは思いっきり晴れ男です。
雨も事が終わってから降ります。

髪を切って何があったのでしょうか??
Posted by ほへと at 2008年04月04日 13:17
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