善光寺の小松貫主は、チベット仏教のコスプレで何か意志表示をして欲しい。
同じ仏教のちょうど善光寺のような影響力の大きいところが、
同じ仏教徒であるチベット人をなんとかしようとは思わないのだろうか?
善光寺は、長野県の聖火リレーの出発地点である。
この場所で聖火リレーというのも何かの暗示な気がする。
チベット騒動に見る、混沌とした中で、ヨーロッパやアメリカをはじめ、政治家からアーティスト、スポーツ選手、各方面の人から一般人まで、決してチベット仏教徒でない人が、チベットの人の自治権、独立を支援し、中国政府へ抗議している。
やはり世界は宗教、文化の自由は人間として大切なモノだと、そこから感じることが出来る。
そんな流れの中、日本の対応は?
オリンピックは政治不介入以前に、日本の政府はあんな状態である。
日本は、古来大陸から文化と宗教を受け入れつつ、我が国独自の哲学、宗教感、道徳観を作り、持ち続けた。
これは、すごいことである。
もともと宗教とは、ご当地料理のようなモノで、その時代、地域、ニーズによって、様々に変化したモノだ。どんな国にも独自の宗教感的なモノは存在していた。
それは決して統一できるモノではない。
日本は世界的にも珍しいく、我が国独自の文化宗教を捨てずに、新たな文化・宗教を受け入れていった。
統一ではない、適材適所か、聖徳太子の「和」か?、神仏習合か?
日本も、仏教伝来で、葛藤しつつも神道を捨て去ることなく、仏教も神道も互いに信仰することとなった。聖徳太子の「和」だ。
奈良時代、それが仏教に偏った。
それを桓武天皇の神仏習合の考えの平安京で、聖徳太子の理想とする仏教も神道も互いに信仰する都市が完成した(明治まで)。
時は流れ、鎌倉時代、大衆に宗教は降りてきた。やがて西洋文明と共にキリスト教も入ってきたが、
一人一宗教がグローバルスタンダードだが、日本人には関係ない。
(日本の総信者数は2億人を超える)
日本人は、根本的に、複数の宗教をうまく使える能力がある。
(排他的な教団もあるが)
クリスマスも、初詣も、墓参り、大文字焼きも、なんでもオッケーよ。
それは、優柔不断ではなく、非常に優れたセンスなのである。
いわば、世界の宗教対立に対する一つの姿があるのではないかと思っている。
宗教の自由とは文化の自由でもある。
宗教の制限は文化の制限である。
(なお、近代の新興宗教は分からない)
だから、日本の宗教者は、宗教、宗派、関係なく、この事態に対して、壁を越えて協力しあえるのだということを世界に示して欲しい。
だから、善光寺は何タラ教の代表ではなく、日本の宗教者を代表して、チベット仏教のコスプレで何か世界にメッセージを送って欲しい。
と思った。
追記
そういえば、善光寺の小松貫主さんとは、数回お会いしました。
当然、人の紹介でちょこっとあっただけですが、、
今回はそんな理由でこんな記事となりました。
チベット問題はみなさん各自考えて下さい。
頂いた色紙。(和顔)
チベットの人も和顔になるように。
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2008年04月14日
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リレーされるもの
Excerpt: 善光寺さんが、聖火リレーのスタート地点となることを辞退されました。 理由について、「安全面」と、そしてはっきりと 「チベット問題」 と仰いました。 2週間前に、「ハナイロさんのところは、関西テレビ..
Weblog: ハナイロ・イロ
Tracked: 2008-04-18 20:55
ちょうどチベット問題とかダライ・ラマについて記事を書こうかと思っていたところです。
しかし、それらの問題について何の知識もないので、いまだに何もかけずにいます。
こういう意見を持っている人とお話しできる機会でもあればいいんですけどねぇ。
では、ランキングに投票して帰ります。
一応このブログに対するコメントをお願いします。
コピペはご遠慮下さい。
アポロさんへ
本当の所、何が真実かは分からないです。
自分が感じたことを書けば良いと思います。