2017年07月19日

清く正しく生きる

誰からに言われたからやるのではない。
そうやることが、無意識となる。

ある境地に達してくれば、人は自ずと清く正しく生きてくる。
無意識(第5チャクラ)にきちんとするようになる。

考えてやるのでも、感情的にやるのでもない。気合を入れるわけでもない。

罪と犯すことは良くないが、
それより、良くないこともあるのだ。

その罪を、自ずと罪と気づけること。

常識的に罪だと言われているから、それ以上自分では踏み込んで考えない。

ルールと照らし合わせての、善悪判断だけでは、
「自ずと」が足りない。

清く正しく生きる。ことは、何かのルールを厳守し、自らを制限することではない。

自ら、自由にして、その中で、何かに気づき、そして、清く正しく生きる。ようになるのだろう。
posted by ほへと at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月06日

テスト読み上げ動画「やりたいことをやる。(少し辛口)」

先のブログ「やりたいことをやる。」をテキスト読み上げ動画にしました。

「読み上げてもらう方が、すんなり入ってきます、消化しやすい。」
という意見をいただきました。

しかし、なかなか、作成は難しいですね。
今回も、文字が重なって見にくかったりする場所がありますが、、直し方がわからない。

良ければ、御覧ください。

posted by ほへと at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

やりたいことをやる。

「やりたいことをやる。自力でやる。
やることが良いか悪いか考えている時点で、やりたくないのだ。
例えば飲みたければ、そのコーヒーが毒でも、止められても、飲む。
やりたいことと善悪は別。」

これは、以前反響があったツイートです。
今回は、これを少し掘り下げてみました。

「やりたいことをやる」

やりたいことを見つけられた人は幸せだろう。
なぜ、やりたいことができないのだろうか?
なぜ、やりたいことが見つけられないのだろうか?
そもそも、「自分のやりたいもの」を探していない。


「自力でやる」
やりたいことをする前に、あれこれクリアする条件を並べる。
そりゃ一生できない。それはクリアする条件ではなく、やらない言い訳だろう。
「やりたいこと」は、とりあえず一人でやるべきだし、他人をあてにしては絶対にダメだ。
自力にならない。 力にならない。


「やることが良いか悪いか考えている時点で、やりたくないのだ。例えば飲みたければ、そのコーヒーが毒でも、止められても、飲む。 やりたいことと善悪は別。」

良いことしかしない、損することはしない。そんなことを先考える人は、自分で何も判断できないだろう。
「やりたいこと」を常識に照らし合わせている間は、自分が無いのかもしれない。
自分の無い人は、社会や常識といったルールを見すぎているのかもしれない。
そういう意味では、やりたいことをやっている人は、「自分がある」のだ。
やりたいことを、やる前に善悪、損得判断が先に来ている、
そんな、大人と称した、やりたいことも見つけられてない子供は、
勉強して賢くなる前に、バカになる必要がある。
いや、本当に、大人になって、友達の作り方がわからない。話し方がわからないという。
幼稚園児を見習うべきだ。

「やりたいこと」は決して、
考え抜いて見つかるものではない。
いろいろ考えて絞り出した「やりたいこと」は、
逃げだったり、安心したいだけだったりする。
そういう「やりたいこと」はやらない。

本当に「やりたいこと」にピントを合わせる。

「やりたいこと」は、ブレーキである思考する前に、
落ちているものだから。

「やりたいこと」は、「今」に落ちている。
「未来」に落ちているわけではない。

「やりたいこと」は、意志であり、情熱であり、衝動である。
そして、そのチャレンジした結果が「感情」となる。

「やりたいこと」を実現するために、
闇雲に行動し、無い頭を振り絞って「考える」のだ。

そんな感じで、「やりたいこと」が
いまいちピンと来ない人は参考になれば幸いです。
posted by ほへと at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

エゴが強くなる原因は過去に生きるから。

未来が今の自分を作ったら、過去は必然に作られたことになる。
多くは、過去が今の自分を作っているから、そんな自分が未来を想像するので、
自由である未来を過去が束縛するのだ。

多くの人のエゴ意識
過去→私→未来 :過去が私を作ってる。そんな私が未来を想像する。

逆意識
未来→私→過去 :未来が今の自分を作る。よって過去も必然と成る。

今ここ:未来←私←過去、と過去→私→未来を統一すること。すれば ↑ 今ここ(上位次元;セルフ)が何となく分かる。
これが真の意味の「今を生きる」

多くの人は、今を生きていると思っているが、多分違うんだな。過去寄りに生きている人が多い。
無論、未来寄りというか、見栄で高価な買い物して、未来(この場合モノ)の奴隷なる人もいるが、、

エゴが強くなる原因は過去に生きるから。苦しむエゴが未来を見ても、過去に生きている限り未来は変えられない。いわゆる引き寄せというか、素敵な未来を拒んでいる。

エゴの強い人は、結局現実(未来)をエゴの一部にしてしまう。
逆は、現実がエゴを見た場合、エゴは現実(未来)に作られる。

古来、お天道様が見ている。や、神仏をご利益信仰でなく拝んでいれば、現実がエゴを作るということは容易にわかるはずだ。それをお陰様でという。

エゴの強い人は、それがわからないのだ。

現実を見ようとする意識が強いとダメだ。
現実から、見られているという意識だ。
無論、自意識過剰的な外見の話ではない。
現実に向かってレーザー光線のように意識を出すのではなく、逆に受ける訓練をしましょう。

基本、オリジンタイプA、数秘1,数秘5は未来→私→過去を理解しやすいが、未来(見栄のモノ)の奴隷に注意。
オリジンタイプB、数秘6、数秘2は、過去→私→未来と陥りやすい。

風水的には、未来→私→過去は「東のパワー」、過去→私→未来は「西のパワー」
今ここは「南のパワー」
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2017年05月10日

明るくなろうと思わないほうがいい。

明るくなろうと思わないほうがいい。
自然にそうなるもので、なろうとなったものは、なんか違う方向へ行ってる。

私は暗い、あの人は明るいと感じるけど、
実際、明るそうな人で、明るい人は少ない。
そんな明るいフリしている人を目標にすれば、おかしくなるね。

金持ちのフリも時には良いかもしれないが、基本は身の丈の振る舞いでいい。
それと一緒で、真の明る人にはインスタントになれるもんじゃない。
その裏には、多くの経験が埋まってる。

声のテンションはウソをつかない。
明るくても、暗くても、自分の声で語れることが大切。
それが、自分を表現する第一歩。
人の声で話してはいけない。(人の言葉で)
自然と出てくる自分の声で話していけば、
自分がアカラサマに表現できてくる。
多分そっちが、明るい自分=表現できている自分だ。

天真爛漫な子供ちゃんは、明るいね。
大人に成るにつれ、元気な大声に、ボリュームを絞ることを覚え、
自分を出さないようになっていく。

暗さとは、自分を出さないこと。

風水的には、南の方位が、自分を表現するパワーの方位。
言霊的には、「あ」の発声が、明るさや表現力をアップさせる。
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2017年03月31日

現実とエゴのメモ(2)

相手のことも、考えたり、想像するということは、それほど意味がない。

現実という空間に、私の身体と、相手の身体は存在する。
しかしながら、私の心の領域には、私のエゴしか居ない。

相手の心の領域は、直接知ることはできないのだ。

よくカマをかけて、相手の心を察しようとする人は、永遠に相手のことはわからない。
そして、自分を理解してもらうチャンスを失っていく。

現実に存在する、相手の身体、その向こう側の相手の心の領域に居る、相手のエゴ。
私の心(エゴ)ー現実(双方の身体)ー相手の心(エゴ)
それを、現実をすっ飛ばして、自分の心の領域で、相手の心を想像し、決めつける。
自分のエゴすらも、正確に判断できないのに。
そのロジックで、相手のエゴを判断しているだけだ。

特に、勝手に悲観的な状況を想定する人は、勝手に自分も相手を悲観的に判断する癖がある。

相手の心を見ようとしてはいけない。
判断してもいけない。
見るべきは、現実の姿だ。
顔は笑って、言葉ではそう言っていても、
指先の動き、声のトーン、肩の緊張などから、感じることはある。
感じたら、カウンターで動けばいい。

言葉を信じてはいけないし、誘導的に言葉を求めてもいけない。
相手の言葉からしか、判断できない人、動けない人は、社交力は低い。
言葉で自分も相手も縛るからだ。

そういう意味で、「考えるな、感じろ(Don't Think. Feel!)」を説明すれば、

考えるは、現実を遮断し、心の領域(エゴ)に向かう。現実とエゴの分離。
感じるは、現実とエゴの一体化。
今ここにいることは、心の世界にいることではない。
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2017年03月28日

現実とエゴのメモ

・現実とエゴ
・エゴとセルフ
・個と全体
と、対立は存在する。
対立の無くなる状態が、一つ。

エゴは、現実を意識するゆえに、現実と対立する。

対立は、さらなる反発に向かうか、統合に向かうか。

反発は、現実とエゴの分離が起こり、状況の否定、拒絶感が起こる。
気持ちが重くなる。というやつだ。

現実を、引いて見て、エゴが判断している状態。
今ここにいない。

逆に気持ちが軽くなるとき。
現実とエゴの一体化し、状況の肯定、受入れが起こる。
現実に生きている。
このときは、(現実とエゴ)がセルフと対立している。
背後にセルフがいるということ。

現実 ステージ1
エゴ ステージ2
セルフ ステージ3
全体 ステージ4
ひとつ ステージ5
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2017年03月07日

なんだろう、自然が恋しい!?メカが恋しい?

近年は、若者の何々離れが取り沙汰されているが、車離れもそうだ。

改めて思うことは、今の車は、便利で安全で、高性能だが、、魅力がない。
ハイブリッドや水素に電気。
走るハイテクだ。

しかし、なんかこう、、魅力がない。
おそらく、科学文明が行き過ぎたと感じているのか?
プリウスなど、UFOみたいな音で、スーっと動いているのを見ると、違和感がある。
いやいや嫌いではない、多くの人の苦労の末の、日本を代表する車だ、と頭では理解している。

自然と科学は、対立するのか共存するのか、、意識の中では、いや現実的にも、自然は薄れていき、
科学は満ち溢れている。

多分、過度な、科学文明は、生命力を奪うというか、無気力を増産していく。

この前、ふとバイク、原付きだけど、購入しようかと思って調べたときに驚いた。

バイクが、、無い。いやあるにはあるが、、マジか!?2ストバイクは撲滅しているだと!
魅力的なバイクも、10年前の排ガスか環境基準かなんかで、生産終了。
まったく知らない間に!

ほへとは、最初、原付きスクーターに乗り、250ccの2ストバイクに乗り、車へ移行していった。
コンピューターはどんどん進化し、今やスマフォは、手のひらの上のスーパーコンピューだ。

しかし、バイクは、ほへとが乗っていた頃がピーク。
各メーカーから多種多様なラインアップがあったが、、
あの時から、時間は止まってるというか、むしろ退化している。いや絶滅危惧種だ。

高校の友人が乗っていた「モンキーR(1987年発売)」、当時、「猿アール」と半分小バカにされたいたバイクが今や当時より高く、プレミヤ価格で取引されている。

そういえば、バイク屋のおっさんが言ってた。
50ccのスクーターのエンジンも、ちゃんとしてれば(メンテナンス)、
「一生動く!、そう簡単に壊れるか!ボケ!ワハハッ」
という言葉を思い出した。(なぜか当時のバイク屋やオヤジはそんな感じで笑う)

そうか、コンピューター系は新しいほど良いが、メカ系はもうアンティークかよ。

なんか、古いバイクでも手に入れようか、、
できれば、ICチップの入ってない、などと考える。

そして山に行こう、林道走って、昔みたいに。

ほへとは決してヤンキーではないが、
エンジン音はテンション上がる。
ディストーションギターみたいな感じかな、、

昔、バイクや、車は、そんな音を叫んでた。
それが、なんとなく、胸を熱くしていたんだな。
多分DNAが、何か荒ぶる動物の叫び声と勘違いしているのかな?

まぁ、今は、環境問題で、排ガス規制、騒音規制。エンジンは限りなく大人しく静かになる。
そうだな、バイクや車は、動物みたいな感じだったが、今はとてもクールで、感情(ハート)に訴えかけない。
その先は、やはり自動運転やね。

そう考えたら、自分で運転する感がもっとも強いのがバイクだな。
たまにコケるし。もっとも危険だし。
ちょっと真剣に考えるか。
posted by ほへと at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月04日

最近の宗教家について

信仰心だけでは成長しない。

心が弱いのに、信仰心だけが強いのも問題だ。

心が成長するとともに、信仰心も深まっていくのが良いと思う。

むしろ、心が強く、しかし無宗教の経営者の一言のほうが、わかっている。

情熱の無い、頭だけの宗教家は、成長するために世に出なさい。

でなければ、上に立ったとき、信者は去っていく。

信者さんは、いわば、親方と弟子だ。
弟子を育てるのが、親方なのに、

信者さんをお客さんと間違っている。

ともかく、経験値の低い宗教家は、もっともっと、他の勉強をしてください。
posted by ほへと at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月01日

なぜ自分らしく生きれないのか?

なぜ自分らしく生きれないのか?

この現実世界が、そういうふうにできているからだ。
常識が人が自分らしく生きたり、精神的に成長することに縛りをかけている。

成長には、経験が必要だが、常識という、エゴを不安で支配するものが、行動に制限をかける。
そして常識外れな振る舞いは、この羊たちの社会からは危険視か、まれにヒーローと映る。

常識外れを、強く推進するわけではない。
しかし、常識内では、はっきり言って何もできない。エゴは、ロボになるだけだ。

子供が、あれだめ、これだめと、教育される。常識を調教される。
その常識が足かせとなって、年頃になっても、恋愛や冒険ができなかったりする。
いや逆で、常識をぶち壊すために、恋愛や冒険をしないといけないと思う。

この社会で、過剰な常識外れは、社会とエゴのバランスが取れない。

そんなわけで、推進しているのは、常識外れギリギリを狙うこと。
このギリギリがポイント。

実は社会の常識は、思ってるほど狭くはない。
エゴが思っている、許される常識の範囲が狭いのだ。

生真面目なほど、範囲の狭さが際立ち、相手にもそれを求める、後ろ盾は常識だ。

自分が思う、常識の中心を見るのではなく、常識の範囲ギリギリ外を見つめてみよう。
そうしなければ、自分らしい生き方なんて絶対に見つからない。

たまたま、自分らしさが、常識の範囲内に収まることはあっても、
常識範囲内のことをして、本当の自分が見つかることはない。
むしろ、常識は、さっきも言ったが、本当の自分を気づかせない為にあるのだ。(と思ってる)

常識的な人は自分がない。
非常識な人が、自分があるのではない。
自分のある人は、常識の範囲内にいる。

自分を生きる。自分らしい生き方を見つけるために、
常識を疑うこと。
常識の範囲で生きても、自分は見つからない。
それは常識は、自分ではないからだ。

自分の考えと常識がごっちゃになっている人は常に葛藤は避けられない。
自分のある人は、自分の考えと常識が分けられている。

自分に素直か?常識に脅されて、それを厳守か?
多少の常識を破っても反省すればいいが、
後悔は、自分を裏切ったということ。

自分らしく生きるには、この現実の常識とやらと戦わなければいけない。
posted by ほへと at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

性格について補足。

性格を変える?そんなんどうでもいい!人生どう生きるかであって、性格を生きるのではない。
生き方を変えるんだ。
という話をしたが、今回は「性格」について。

性格を変えれば、世の中が変わると思っているかも知れないが、
世が、性格を作っているのだ。
だから、世の方を先に変えなければいけない。
日常を変えてみよう、まぁ、結局、生き方を変えることになる。

まぁよく自分の性格は暗い、悲観的だという人がいるが、そんなもん大体皆経験する事だ。
そこで、上手く行かないことを性格のせいにすれば、ずっとその性格を引きずることになる。

そもそも、性格なんて、実は簡単に変えられる。
実にどうでもいいものなのだ。
性格に絶対的なものはない。
誰が見ているかで変わる。

例えば、京都では、せっかちと言われても、大阪ではトロいと言われるような感じ。
あなたは、いい性格ね、は自分にとって都合のいい人という意味だったり。

まずは、性格について、正確に知る必要がある。

性質と性格。

大事なことは、性格にこだわらないこと、性格を見過ぎないこと。
性格は、良し悪しの判断で出来ている。

性格の元となる、性質を生かすこと。性質の弱点を補うこと。
ダメなことは、性質を否定することだ。

性質とは、素の習性、純粋な仕様のようなもの。生年月日の数秘の性質だ。
性格は、性質が具体化した表現を、人が評価したものだ。
正確には、性質が具体化した表現を性能と呼び、それを格付けしたものが性格となる。

・性格を見ないこと。→まずは具体化した性質(性能)を評価しないということ。
・性質を見ること。→自分のエゴを知るということ。ここにほへと数秘術の肝がある。
・性質を否定せずに、活かす方向に考える。多少癖ある性質でも、クセのある食材程度に考える。

自分もそうだが、他人に対しても、性格を見るのではなく、性質を見ること。判断しないこと。
何より、その人の本質は、性格でも、性質でもなく、生き方ということを忘れてはいけない。

まぁ、性格が良いだ悪だと考えても、時間の無駄。
そんなことより目の前の壁をブレイクスルーするのは、性格の問題ではないので、
どう行動するのか、あまり考えずに試行錯誤するだけです。
posted by ほへと at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月23日

人生どう生きるか

性格を変える?そんなんどうでもいい!人生どう生きるかであって、性格を生きるのではない。
生き方を変えるんだ!

性格はエゴ、生き方はセルフ。
車で例えれば、性能と行き先は関係ない。

自分のある人は、自分の生き方があり、その生き方をしているだろう。
自分のない人は、生き方?と聞いて、中にはピンとこない人もいるだろう。

生き方とは、その人らしい生き方です。
見た目が、裕福そうとか、幸せそうとは関係がありません。

自分の生き方をしていますか?

実は多くの人は、自分の生き方を見つけられてない。
生き方は、エゴではなく、セルフであり、人生を作るものです。

自分らしい生き方が、わかっていない人は、何のために生きているのでしょうか?
一度、何のために生きてきたか振り返って考えてみよう。

会社や家族、社会に文句を言っても、結局そこから自立できない。
知らずに、自分でないもののために生きる。

エゴである、性格や心を評価されることに気を使うより、人生の生き方に気を使おう。

そうそう、生き方は、自分以外の誰かが教えてくれるものではないし、
占いで、私はどう生きたら良いですか?というものでもありません。
今分からなくてもいいから、自分の行き方が見つかるように。

また、自分の生き方を生きている人も、
2017年、世の中は変わっていきます。
自分を持っている人も、生き方が変わることも十分考えられます。
新たな人生の生き方が見えてくるかもしれませんので楽しみに。
posted by ほへと at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月03日

自分を変えたいのに

良くない自分を変えたい、そして変えようと頑張ってもがくが、なかなか変わらない。

「変わりたいうちは変われないよ」

変わりたいと、思っているのがそもそもエゴである。

「私」が変わるとき、今の「エゴ」が消滅することを表す。
あなた最近変わったね、ということは、エゴが進化しているのではなく、エゴが変わっているのだ。

エゴの基本は、恐怖という部分。
もし、変わるチャンスが来ても、エゴ自身は、消滅の恐怖に耐えられない。
そして、エゴ自ら、チャンスを潰す振る舞いを起こす。

では、どうすれば、変われるのか?
いつも言っていることだけど、経験積んで、気づくことで、潜在意識が書き換えられる。
それが、セルフの成長。セルフが成長すれば、それに伴って表現されるエゴが変化するということ。

例えば、前はあれが気になったけど、最近はどうでも良くなった。という感じだな。

エゴの成長は、経験を積むこと。

恐怖を元とした、それから逃げる経験は、結局恐怖を生む。
別に怖くないというが、恐怖が「心」に現れるとき、過去か未来に対極化するので、
過去に出れば、後悔。未来に出れば不安。
変わるチャンスが、今の恐怖となる。
後悔や不安から自分を変えようとしても、難しいということだ。

では、どうすればいい?

恐怖は、現実の否定ともいえる。
逆の現実の肯定は、楽しさ、好奇心だ。

現実から、自分の好きな「事」を見つけ出して、それをどんどん経験していくこと。
将来の不安から、何か専門の学校に行って学んでも、結局役に立たないが、
好きでのめり込んだ、何か専門の分野は、仕事になる。

入り口は遊び、出口は仕事。

そうそう、変わるということだったな、

例えば、話すのが苦手な人は、不安や後悔にピントを合わせるのではなく、
会話の中に、少しでも、「楽しさ」が心に感じてないか、感じればもっと感じてみたくないか?
好奇心、現実を肯定していくことにピントを合わしてみよう。
くだらない、「話せますよ」的なハウツー情報はいらない。
会話に上手い下手はない。

幼稚園児、チビちゃん達は、話せることが「ただ楽しい」のだ。
幼稚な会話でも、高度に洗練された会話でも、「楽しさ」があるかだ?
楽しい会話が、良い会話だ。
不安から勉強せずに、初心に帰ってみる。

良くない自分を変えたい。

でも、後悔や不安から事を起こさないように。
まずは、楽しいと感じること。
遊び心が大切です。
posted by ほへと at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月17日

心についてのつぶやき

心は現実の世界には存在しない。
我の強い人は、現実の世界で心を確かめようとする。
心は物ではない、事や智なのだ。
そして心の世界には物は存在しない。

多くの場合、心は現実からの影響や縛りを受ける。
心を強くするというのは、現実からの影響に強くなること。
そのためには、心を無視できる精神力が必要で、
精神力は潜在が心を支配する力のこと。

気付きは、現実のカラクリを見破り、複雑カオスの現象を、シンプルにまとめ上げる。
気付きは、現実を固い世界を、夢の世界へ引き上げる。
よって、現実の影響や縛りは薄れ、より心は強くなっていく。

現実に現れる現象を、現実として見ている限り、気がつかない。
心に突き刺さる出来事は、心が穏やか(透明)でないと、その本質を見逃したり、
心の防御によって、突き刺さるに至らない。

posted by ほへと at 18:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月05日

運命を信じるについて、

運命を信じる。
というのは、失敗しないということや、成功すると思い込むことではない。
どんな経験も受け入れるという気合のようなものだ。

エゴ的な思考を捨てるということ。
どうしても、人はエゴ的な思考に縛られ、運命を信じられない。

今、現実があるのは、気付きのためだ。

ある気付きを生み出すために、エゴや経験がある。
だが、具体的な細かい経験が大事ではない。
つじつま合わせの出来事は多い。
早いか遅いかの場合もある。

そんな気付きのための、経験をするための、現実に、逆に入り込み過ぎれば、
今の現実に執着してみたり、不安が、未来の確約を求めて悩んでしまう。

エゴの悩みは消えない。
仏教で云う四苦八苦だ。
エゴの悩みを消すために人生はあるのではない。

固い現実に、執着するのではなく、
現実は柔らかいということ、まるで夢のような世界ということを気づけば、
ことの本質は、物から事へ移る。

エゴはリスクを避けるが、運命はリスクを勧めてくる。
エゴの好きなことや嫌いでないことが、ワクワクではない。

運命お勧めリスクは、エゴにとって恐怖心でしかないが、

運命お勧めリスクをエゴが受け入れたときに、本当のワクワク感が来るのだ。
それが、運命を信じたということ。
posted by ほへと at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月28日

絶対に付き合う。はダメ。

絶対に付き合うと、思わないこと。

好きになり、絶対欲しいと思うのは理解できる。

人とお付き合いをするということは、
相手があってのこと、相手の心があるということ、
決してバッグや車を買うような、「絶対欲しい」「必ず手に入れる」というような感じは持たない事。
相手はモノではない、人間なんだから。

だから、ほへとの占い的に、絶対に付き合える方法はない。

それでも、付き合うために、やるべきことをやり、全力を出すことは大事。
後悔しないように。

後は、祈るだけ。(念ではないぞ)
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2016年10月15日

「私」と「この場所」2

今、ここ。この場所に、私(セルフ)は存在している。

しかし、それは、ステージ1の現実世界のことではない。
そこには、私はいない。
しかし、そこを見ている。この場所から見ている。

現実の風景が移り変わっても、私は動くことはない。

私とはエゴのことではない。
ゆえに私に住む家も着る服も、欲望もない。

エゴの思考停止により、私は自在にそれを使う。

名は、私に付けられたもの。

この場所の名でもある。
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2016年10月08日

「私」と「この場所」

どこへ行けばいいか?と迷っている時には、「私」がいない。
「この場所」にしか、「私」はいないのだから。

迷いの主は、エゴだ。
エゴがいない時、透明な私がいる。

雲が晴れて、青い空が見えている。

姿勢を決めた時、身体の重心と現実の中心に「私」はいる。

どこにいても、「この場所」に「私」はいる。
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2016年09月16日

友人は暇つぶし

友人をうまく作れない人は、友人というものを誤解している。
友人とは、尊敬や、分かり合える、信頼できるなど、いきなり意味不明な定義をしない。
だから、信頼を裏切り裏切られたら、分かり合えなかった、など変な心配して、最初の一歩が踏み出せない。
友人を作るのは、単に、暇つぶしで。遊びなのだ。

時間と空間を共有し、時には、尊敬し、時にはバカにして、長い期間を経て、わかり合うとか、信頼などが生まれる。

子供が、友達を作るのに、あれこれ考えない。
友人を作るのが下手な人は、考え過ぎの傾向を感じる。

長い人生、暇つぶしは重要。
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2016年09月02日

低糖質生活と脳

低糖質生活は快適で、すでに炊飯器は片付けました。

実は、低糖質生活を始めたきっかけは、ダイエットでも健康目的でもありません。

人間の本質は何なのか?
エゴ→セルフ

そして、セルフを越える意識境地を垣間見た時、
一般的に人間の本質と思われる部分が、実はまったく違う事に気づく。
別に神秘体験というより、思考が行き着いた理論的答えでもある。(ほへと数秘論)

身体には、自らの意志で動かせる手足などと、内臓のように自律的に動いている部分がある。
一般的には、脳を生かすために、内臓が存在していると考える。
脳が自分自身という考えだ。脳死という言葉など。

ところが、生命側から見ると、60兆もの細胞を生かすために内臓が存在しているのだ。
細胞は、太古の海の成分に似た環境を血液から得ている。
また、子宮内の羊水もまた太古の海の成分なのだ。

細胞は、太古の海から出られたのも。内臓という生命維持装置のお陰で。
内臓は、生存能力そのものなのだ。

身体を動かす、運動能力は脊椎動物の特徴だ。
眼の出現は、その画像認識→判断処理→行動命令という脳の機能を生み出した。
さらに、哺乳類となり、それまで無意識・機械的な行動が、心によっても、感じ、考えて、行動するようになる。
最終的には、我々人間となり、文明社会のルールの海で、もがきながら泳いでいる。

これは、ステージというほへと数秘論の概念で表すとこうなる。
ステージ5 細胞
ステージ4 内臓
ステージ3 セルフ:身体(脊椎動物)
ステージ2 エゴ:心(哺乳類)
ステージ1 文明社会ルール

道元の禅(只管打坐)は、「身心脱落」の為に只座る。
頭で悟るとかそういうのは一切考えない。
それってまさしく、ステージ4の境地への行き方だ。
また道元は「自分を習うことは、自分を忘れることだ。」という有名な言葉を残しているが、
これもまさしくだ、
結局悟りの道というものや、精神的に向上、アセンションなどいろいろな言葉はあるが、
単に、進化の歴史を遡ることではないかと思っている。

そうそう、話がそれてしまうが、
ようするに、低糖質の食事は、脳の抑制なのだ。
「私」の持ち主を、脳から開放する。
posted by ほへと at 22:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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