2017年11月12日

掃除などの言葉のイメージについて

掃除が苦手な人はいるが、
そもそも「掃除」という言葉にネガティブな意味付けをしているのかもしれない。

「キレイする」、単にそれでいいのに。

掃除を嫌いな人はいても、キレイなものを嫌いな人はいて?(ララァ風)

要するに、「掃除」に邪魔臭さ、汚れたものとの関わり、労働などのイメージを持たない。
キレイになったトイレや部屋など、そっちだけをイメージする。
掃除しなきゃと、掃除しているところをイメージしない。

キレイだけをイメージできたら、あとは無心でキレイにしていくだけです。
このときにあまり時間など決めずに、とはいえ、ダラダラではなく、ある程度、集中することが大切。
こうしないダメとか、手際や効率を追求しないように。

また、逆に「掃除」にネガティブなイメージがこびりついているなら。
何か悪いこと?をしたときに、懺悔の気持ちで、掃除するのも良いのかもしれない。
とても悪いことをしたら、大掃除だな。(許されるかは不明だが)

同じように、「仕事」に関しても、あれこれ考えずに、シンプルにお金を儲けるためと割り切るのも精神的に良い。
鑑定していて思うのに、仕事にこだわりすぎだ。
まぁ、言葉の問題だが、「仕事」ではなく、「働く」という言葉のほうが好きだ。

イメージとして、「仕事」は、お金を欲しているような、社会→自分という感じ。
「はたらく」は、自分→社会という、主体が自分な感じがする。
まぁ人によって違うから、ほへとの感じです。

また、掃除という作業は、肉体労働である。
なので、ボディワークの一部と考えたり、同時につま先立ちなど何らかのボディワークを一緒にする工夫もおもしろい。

デスクワークや、またはテレビの前でゴロゴロしている人が、いきなり掃除モードには移行はできない。
それは身体が温まってないからだ。
先も言ったが、肉体労働である。
仕事帰りは辛いが、買い物帰り、散歩帰りなど、ある程度歩いて身体が温まっている、
この状態を無駄にせずに掃除に生かそう。
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2017年11月02日

自分らしく生きる。

私らしく生きる。
自分らしく生きる。

言葉は簡単だが、常に問う。
「私」や「自分」とは?
「生きる」とは?

100%自分を生きる。
それを道元のいう、「全機現」のことだと気づいた。

それは、(ほへと)数秘11の境地。タロット#11「力」
まさにセルフのことだ。

心というエゴは、無にしないといけない。
心から、エゴから、欲した、自分や私は内であり、外からは見えない。
自分や私が影響したものが、本当の私。
本当の私は、外に居るのだ。

100%、外に現す。
それは、姿形ではなく、行動した影響力やエネルギー。

それが私という働きだ。
働き=生きるということだ。

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2017年10月23日

般若

「般若」とは、般若心経の般若で、それは人間レベルでは到底理解の及ばない「智慧(ちえ)」のことだ。

が、一般的には、「般若の面」として、「嫉妬に狂った女が鬼に変じたもの」というある意味真逆とも言える意味で理解されている。
WIKIによれば、「『源氏物語』の葵の上が六条御息所の嫉妬心に悩まされ、その生怨霊にとりつかれた時、般若経を読んで御修法(みずほう)を行い怨霊を退治したから、般若が面の名になったともいわれる。」

絶対的真理である智慧が、生命を生み、生命は生き物に進化し、適応と淘汰という、壮大な試行錯誤の知性の果に、心を手に入れる。
心は、感情を生み、愛情は嫉妬や憎しみに化し、それをコントロールできなければ、鬼(霊)に落ちる。
人が亡くなってても、その強く低い感情の波動は、霊として、アストラル界に、または憑依することにより、現実界に現象化する。
まぁ、それまさに「般若の面」だな。

「般若波羅蜜多時」
般若心経の冒頭、「觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時」というのがある。

観音様が、まさか悟りを求めての修行中だったというにも驚いたが、人間の上位クラスである、菩薩レベルが慈愛で人間クラスをサポートするという修行し、そして悟り、智慧を得る。
「照見五蘊皆空。度一切苦厄。」
人間クラスは「空」であり、苦しみなどは一切ないことを見つけたと続く。

一度発した感情は、やがては薄れて消えていく。
それを、消さないためには、何度も思い出す。
それが、相手に向かうのが、「恨み」であり、穴を2つ掘り。
それを、悔しさとして、自分に向かわせば、成長のエネルギー源となる。

さて、我々人間レベルが、菩薩クラスに向かうには?

般若←菩薩→人間
  菩薩←人間→般若の面

という対比は面白いかなと思う。
「照見怨霊皆空。度一切嫉妬。」
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2017年10月01日

子供とウソ

子供にウソをつくなと言うしつけに少し考えよう。

塾をさぼった。
ちゃんと行っているとウソをついた。

楽しくないから、塾には行きたくない。
でも、親に心配させたり、言い訳するのが邪魔くさい。

まぁ、誰もが一度は経験していることかもしれない。

それを、過剰に脅かすように叱っても、事の本質は解決しない。

大人は、楽しくなくても仕事に行く。

ウソを言うから素直じゃない?
楽しくないことから逃げることは素直なことだと思う。

それより、大人(多く)は、楽しいことを諦めている。
子供に、楽しいことを、諦めさせたい?

子供の目的は、「勉強」?
人生の目的は、「仕事」?

楽しいことって?

将来が楽しいように、勉強や仕事をするのじゃないかな?

でも大人のように、素直に楽しいことがわからなくなっているものは、素直な子供から学んだり、ヒントになったりする。

大人が、また政治家が、テレビで平気で嘘を言う。

ウソをつくのは、弱い部分があるからだ。隠したい部分があるから。
強くなれば、隠さなくてもいいのかもしれない。

またいろいろな気遣いでウソも必要な場合もあるだろう。
うそをつけと言ってるのではない。
詐欺的に騙すためのウソは、いけないと教えるべきだと思う。

ウソをつかなければ、良い人間になるのではない。
ウソをつかなければ、幸せで楽しい人生になるのではない。

良い人間になれば、ウソをつかなくてもいいのかもしれない。
幸せで楽しい人生になれば、ウソをつかなくてもいいのかもしれない。

要するに、子供のかわいいウソに、カウンターで叱る前に、少し考えてあげてください。
そして、これを機会に、親自身、良い人間、楽しい人生というのを考えてみよう。
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2017年09月21日

占いと運命

運命を信じるということは、
自分を信じるということ。
起こってくる出来事に対して、ネガティブに捉えず、最後まで力を出し尽くすこと。
結果や評価は見ない。
人生の先を眺める。

エゴを信じるは、目先に、こういうことが起これと期待すること。欲望。
それ自体が運命(自分)の否定である。
無論、起こっている運命と一致すればいいが、大体乖離しているために、期待は裏切られるのが常である。
いちいち考えたりせず、いたずらにエゴの感情を刺激せず、さっさと手放そう。

占いは、占いを信じるのではなく、エゴの愚かさを学び、意識を上げ、自分を信じ、自分自身である人生を学ぶためのツールのひとつ。

占いに凝っている人で、我の強い人は、自分の思い通りに事が成ったと見えても、ダメになる。
占いのパワーは、過去(エゴ)を強めるためではなく、未来(セルフ)と繋がるために使うこと。

一般的に占いは、英語で「fortune telling」と言われているが、ほへとは「divine」の方を採用している。
「divine」は、神や神聖という形容の意味と、占うという動詞がある。
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2017年09月19日

自分を変える・牢屋から出るには?

鑑定をしていて、あぁーこれは中々硬いなと感じる人がいる。
逆に、悪い意味でゆるゆるだなと感じる人もいる。

そもそも、そういう人は「変わりたくない」人が多い。


牢屋にいる人の2パターン。
牢屋から出たくない人と牢屋から出れない人。

世間の目を気にする人と、世間知らずの2パターン。

・牢屋から出たくない人
鍵という、絶対条件を手放すことができない人は、自分で鍵をかけている。

やはり、あまり仕事にこだわらないほうがいい。
収入にこだわらないほうがいい。

生活のレベルを一定にすること、そのマンションに住み続けること。
何かあったときのために親のそばで暮らすことなど。

それを全部リセットして、自分にとって一番良いところへ行こう。

世間からの目を気にしすぎて、自分を自分の幸せを無視している。


・牢屋から出れない人
目標が自分に合っていない、自己把握できていない。世間からの評価を自意識過剰が受け入れない。

世間を知ること、世間を受け入れること。世間と一体になること。
主体を自分に置かない。
世間に置く。
自分のために、世間があるのではない。
自分を認めない世間を批判しても仕方なし。
結局自分のためにある、狭い牢屋に戻る。

もっと世間を知ること。
それは、今まで知っていたことを捨て去るということ。
今まで信じてたことから開放されること。


どっちのパターンにしても、実は牢屋に鍵はかかってない。
牢屋と戦わないように。
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2017年08月30日

趣味の上達

趣味でも仕事でもなんでも、あるレベルまでは、まるでわからないものだ。

だから、すぐに才能がないだ、向いていないだと諦めないこと。

それが、あるレベルに達した途端に、自由になり、良し悪しがわかるようになる。

それまでは、どうしても、どうしたら良いか?というHowto?を求めてしまう。
迷いである。

でも、結局、Howto?を知っても、できるようになるかもしれないが、何も知ったことにはならない。

例えば料理にしても、今やネットを見れば、レシピから手順から親切に説明されている。
それを、トレースしてみても、または、料理教室に通ってみても、
確かに、おいしい料理は作れるかもしれないが、

本当の趣味という点からすれば、本当の知識という点からすれば、
レシピそれには中身のおいしいところは何もない、セミの抜け殻のようなものだ。

美味しいものが作れることが、料理上手さんではないのだ。

料理に関しては、話がそれるが、自分様や家族様を大切に考え、何を食べさすか?と、食材を活かすこと2点が大事だと思う。
美味しさは2の次、3の次だ。

ちなみに京料理、おばんさいという家庭料理は、わざと味気ないように、美味しくなりすぎないように薄味で作るという。

生きているうちは、ずっと何か食べないといけないのだから、料理は、楽しみながら、時間をかけて、自力で学んでいこう!
うまいものはたまに店で食えばいいから、

ダンスにしても、ゴルフなどにしても、釣りにしても、写真にしても、プロやオリンピックなど真剣に目指していないなら、
いたずらに、階段抜かし的な知識はいらない。
続けてやっていれば、分かってくる。塩梅が分かってくる。

最短コースを行くほどつまらないものはない。
だから、しばらく道を迷いながら彷徨ってみてください。

誰かの方法ではなく、自分の方法を見つけてください。
もちろん、自分のものにしたなら問題はないが、
先生から学ぶのではない、経験から学ぶ、人生から学ぶのであること。

その姿勢が定まってからの、先人の知恵を活かすのだ。

生きるということは、知るということ。
自分を知ってください。

人生を楽しんで、知っていってください。
知ったことが、それがあなた自身です。

ライフワークとはよく言ったものだ。
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2017年07月19日

清く正しく生きる

誰からに言われたからやるのではない。
そうやることが、無意識となる。

ある境地に達してくれば、人は自ずと清く正しく生きてくる。
無意識(第5チャクラ)にきちんとするようになる。

考えてやるのでも、感情的にやるのでもない。気合を入れるわけでもない。

罪と犯すことは良くないが、
それより、良くないこともあるのだ。

その罪を、自ずと罪と気づけること。

常識的に罪だと言われているから、それ以上自分では踏み込んで考えない。

ルールと照らし合わせての、善悪判断だけでは、
「自ずと」が足りない。

清く正しく生きる。ことは、何かのルールを厳守し、自らを制限することではない。

自ら、自由にして、その中で、何かに気づき、そして、清く正しく生きる。ようになるのだろう。
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2017年07月06日

テスト読み上げ動画「やりたいことをやる。(少し辛口)」

先のブログ「やりたいことをやる。」をテキスト読み上げ動画にしました。

「読み上げてもらう方が、すんなり入ってきます、消化しやすい。」
という意見をいただきました。

しかし、なかなか、作成は難しいですね。
今回も、文字が重なって見にくかったりする場所がありますが、、直し方がわからない。

良ければ、御覧ください。

posted by ほへと at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

やりたいことをやる。

「やりたいことをやる。自力でやる。
やることが良いか悪いか考えている時点で、やりたくないのだ。
例えば飲みたければ、そのコーヒーが毒でも、止められても、飲む。
やりたいことと善悪は別。」

これは、以前反響があったツイートです。
今回は、これを少し掘り下げてみました。

「やりたいことをやる」

やりたいことを見つけられた人は幸せだろう。
なぜ、やりたいことができないのだろうか?
なぜ、やりたいことが見つけられないのだろうか?
そもそも、「自分のやりたいもの」を探していない。


「自力でやる」
やりたいことをする前に、あれこれクリアする条件を並べる。
そりゃ一生できない。それはクリアする条件ではなく、やらない言い訳だろう。
「やりたいこと」は、とりあえず一人でやるべきだし、他人をあてにしては絶対にダメだ。
自力にならない。 力にならない。


「やることが良いか悪いか考えている時点で、やりたくないのだ。例えば飲みたければ、そのコーヒーが毒でも、止められても、飲む。 やりたいことと善悪は別。」

良いことしかしない、損することはしない。そんなことを先考える人は、自分で何も判断できないだろう。
「やりたいこと」を常識に照らし合わせている間は、自分が無いのかもしれない。
自分の無い人は、社会や常識といったルールを見すぎているのかもしれない。
そういう意味では、やりたいことをやっている人は、「自分がある」のだ。
やりたいことを、やる前に善悪、損得判断が先に来ている、
そんな、大人と称した、やりたいことも見つけられてない子供は、
勉強して賢くなる前に、バカになる必要がある。
いや、本当に、大人になって、友達の作り方がわからない。話し方がわからないという。
幼稚園児を見習うべきだ。

「やりたいこと」は決して、
考え抜いて見つかるものではない。
いろいろ考えて絞り出した「やりたいこと」は、
逃げだったり、安心したいだけだったりする。
そういう「やりたいこと」はやらない。

本当に「やりたいこと」にピントを合わせる。

「やりたいこと」は、ブレーキである思考する前に、
落ちているものだから。

「やりたいこと」は、「今」に落ちている。
「未来」に落ちているわけではない。

「やりたいこと」は、意志であり、情熱であり、衝動である。
そして、そのチャレンジした結果が「感情」となる。

「やりたいこと」を実現するために、
闇雲に行動し、無い頭を振り絞って「考える」のだ。

そんな感じで、「やりたいこと」が
いまいちピンと来ない人は参考になれば幸いです。
posted by ほへと at 15:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月29日

エゴが強くなる原因は過去に生きるから。

未来が今の自分を作ったら、過去は必然に作られたことになる。
多くは、過去が今の自分を作っているから、そんな自分が未来を想像するので、
自由である未来を過去が束縛するのだ。

多くの人のエゴ意識
過去→私→未来 :過去が私を作ってる。そんな私が未来を想像する。

逆意識
未来→私→過去 :未来が今の自分を作る。よって過去も必然と成る。

今ここ:未来←私←過去、と過去→私→未来を統一すること。すれば ↑ 今ここ(上位次元;セルフ)が何となく分かる。
これが真の意味の「今を生きる」

多くの人は、今を生きていると思っているが、多分違うんだな。過去寄りに生きている人が多い。
無論、未来寄りというか、見栄で高価な買い物して、未来(この場合モノ)の奴隷なる人もいるが、、

エゴが強くなる原因は過去に生きるから。苦しむエゴが未来を見ても、過去に生きている限り未来は変えられない。いわゆる引き寄せというか、素敵な未来を拒んでいる。

エゴの強い人は、結局現実(未来)をエゴの一部にしてしまう。
逆は、現実がエゴを見た場合、エゴは現実(未来)に作られる。

古来、お天道様が見ている。や、神仏をご利益信仰でなく拝んでいれば、現実がエゴを作るということは容易にわかるはずだ。それをお陰様でという。

エゴの強い人は、それがわからないのだ。

現実を見ようとする意識が強いとダメだ。
現実から、見られているという意識だ。
無論、自意識過剰的な外見の話ではない。
現実に向かってレーザー光線のように意識を出すのではなく、逆に受ける訓練をしましょう。

基本、オリジンタイプA、数秘1,数秘5は未来→私→過去を理解しやすいが、未来(見栄のモノ)の奴隷に注意。
オリジンタイプB、数秘6、数秘2は、過去→私→未来と陥りやすい。

風水的には、未来→私→過去は「東のパワー」、過去→私→未来は「西のパワー」
今ここは「南のパワー」
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2017年05月10日

明るくなろうと思わないほうがいい。

明るくなろうと思わないほうがいい。
自然にそうなるもので、なろうとなったものは、なんか違う方向へ行ってる。

私は暗い、あの人は明るいと感じるけど、
実際、明るそうな人で、明るい人は少ない。
そんな明るいフリしている人を目標にすれば、おかしくなるね。

金持ちのフリも時には良いかもしれないが、基本は身の丈の振る舞いでいい。
それと一緒で、真の明る人にはインスタントになれるもんじゃない。
その裏には、多くの経験が埋まってる。

声のテンションはウソをつかない。
明るくても、暗くても、自分の声で語れることが大切。
それが、自分を表現する第一歩。
人の声で話してはいけない。(人の言葉で)
自然と出てくる自分の声で話していけば、
自分がアカラサマに表現できてくる。
多分そっちが、明るい自分=表現できている自分だ。

天真爛漫な子供ちゃんは、明るいね。
大人に成るにつれ、元気な大声に、ボリュームを絞ることを覚え、
自分を出さないようになっていく。

暗さとは、自分を出さないこと。

風水的には、南の方位が、自分を表現するパワーの方位。
言霊的には、「あ」の発声が、明るさや表現力をアップさせる。
posted by ほへと at 23:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月31日

現実とエゴのメモ(2)

相手のことも、考えたり、想像するということは、それほど意味がない。

現実という空間に、私の身体と、相手の身体は存在する。
しかしながら、私の心の領域には、私のエゴしか居ない。

相手の心の領域は、直接知ることはできないのだ。

よくカマをかけて、相手の心を察しようとする人は、永遠に相手のことはわからない。
そして、自分を理解してもらうチャンスを失っていく。

現実に存在する、相手の身体、その向こう側の相手の心の領域に居る、相手のエゴ。
私の心(エゴ)ー現実(双方の身体)ー相手の心(エゴ)
それを、現実をすっ飛ばして、自分の心の領域で、相手の心を想像し、決めつける。
自分のエゴすらも、正確に判断できないのに。
そのロジックで、相手のエゴを判断しているだけだ。

特に、勝手に悲観的な状況を想定する人は、勝手に自分も相手を悲観的に判断する癖がある。

相手の心を見ようとしてはいけない。
判断してもいけない。
見るべきは、現実の姿だ。
顔は笑って、言葉ではそう言っていても、
指先の動き、声のトーン、肩の緊張などから、感じることはある。
感じたら、カウンターで動けばいい。

言葉を信じてはいけないし、誘導的に言葉を求めてもいけない。
相手の言葉からしか、判断できない人、動けない人は、社交力は低い。
言葉で自分も相手も縛るからだ。

そういう意味で、「考えるな、感じろ(Don't Think. Feel!)」を説明すれば、

考えるは、現実を遮断し、心の領域(エゴ)に向かう。現実とエゴの分離。
感じるは、現実とエゴの一体化。
今ここにいることは、心の世界にいることではない。
posted by ほへと at 15:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月28日

現実とエゴのメモ

・現実とエゴ
・エゴとセルフ
・個と全体
と、対立は存在する。
対立の無くなる状態が、一つ。

エゴは、現実を意識するゆえに、現実と対立する。

対立は、さらなる反発に向かうか、統合に向かうか。

反発は、現実とエゴの分離が起こり、状況の否定、拒絶感が起こる。
気持ちが重くなる。というやつだ。

現実を、引いて見て、エゴが判断している状態。
今ここにいない。

逆に気持ちが軽くなるとき。
現実とエゴの一体化し、状況の肯定、受入れが起こる。
現実に生きている。
このときは、(現実とエゴ)がセルフと対立している。
背後にセルフがいるということ。

現実 ステージ1
エゴ ステージ2
セルフ ステージ3
全体 ステージ4
ひとつ ステージ5
posted by ほへと at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月07日

なんだろう、自然が恋しい!?メカが恋しい?

近年は、若者の何々離れが取り沙汰されているが、車離れもそうだ。

改めて思うことは、今の車は、便利で安全で、高性能だが、、魅力がない。
ハイブリッドや水素に電気。
走るハイテクだ。

しかし、なんかこう、、魅力がない。
おそらく、科学文明が行き過ぎたと感じているのか?
プリウスなど、UFOみたいな音で、スーっと動いているのを見ると、違和感がある。
いやいや嫌いではない、多くの人の苦労の末の、日本を代表する車だ、と頭では理解している。

自然と科学は、対立するのか共存するのか、、意識の中では、いや現実的にも、自然は薄れていき、
科学は満ち溢れている。

多分、過度な、科学文明は、生命力を奪うというか、無気力を増産していく。

この前、ふとバイク、原付きだけど、購入しようかと思って調べたときに驚いた。

バイクが、、無い。いやあるにはあるが、、マジか!?2ストバイクは撲滅しているだと!
魅力的なバイクも、10年前の排ガスか環境基準かなんかで、生産終了。
まったく知らない間に!

ほへとは、最初、原付きスクーターに乗り、250ccの2ストバイクに乗り、車へ移行していった。
コンピューターはどんどん進化し、今やスマフォは、手のひらの上のスーパーコンピューだ。

しかし、バイクは、ほへとが乗っていた頃がピーク。
各メーカーから多種多様なラインアップがあったが、、
あの時から、時間は止まってるというか、むしろ退化している。いや絶滅危惧種だ。

高校の友人が乗っていた「モンキーR(1987年発売)」、当時、「猿アール」と半分小バカにされたいたバイクが今や当時より高く、プレミヤ価格で取引されている。

そういえば、バイク屋のおっさんが言ってた。
50ccのスクーターのエンジンも、ちゃんとしてれば(メンテナンス)、
「一生動く!、そう簡単に壊れるか!ボケ!ワハハッ」
という言葉を思い出した。(なぜか当時のバイク屋やオヤジはそんな感じで笑う)

そうか、コンピューター系は新しいほど良いが、メカ系はもうアンティークかよ。

なんか、古いバイクでも手に入れようか、、
できれば、ICチップの入ってない、などと考える。

そして山に行こう、林道走って、昔みたいに。

ほへとは決してヤンキーではないが、
エンジン音はテンション上がる。
ディストーションギターみたいな感じかな、、

昔、バイクや、車は、そんな音を叫んでた。
それが、なんとなく、胸を熱くしていたんだな。
多分DNAが、何か荒ぶる動物の叫び声と勘違いしているのかな?

まぁ、今は、環境問題で、排ガス規制、騒音規制。エンジンは限りなく大人しく静かになる。
そうだな、バイクや車は、動物みたいな感じだったが、今はとてもクールで、感情(ハート)に訴えかけない。
その先は、やはり自動運転やね。

そう考えたら、自分で運転する感がもっとも強いのがバイクだな。
たまにコケるし。もっとも危険だし。
ちょっと真剣に考えるか。
posted by ほへと at 21:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月04日

最近の宗教家について

信仰心だけでは成長しない。

心が弱いのに、信仰心だけが強いのも問題だ。

心が成長するとともに、信仰心も深まっていくのが良いと思う。

むしろ、心が強く、しかし無宗教の経営者の一言のほうが、わかっている。

情熱の無い、頭だけの宗教家は、成長するために世に出なさい。

でなければ、上に立ったとき、信者は去っていく。

信者さんは、いわば、親方と弟子だ。
弟子を育てるのが、親方なのに、

信者さんをお客さんと間違っている。

ともかく、経験値の低い宗教家は、もっともっと、他の勉強をしてください。
posted by ほへと at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月01日

なぜ自分らしく生きれないのか?

なぜ自分らしく生きれないのか?

この現実世界が、そういうふうにできているからだ。
常識が人が自分らしく生きたり、精神的に成長することに縛りをかけている。

成長には、経験が必要だが、常識という、エゴを不安で支配するものが、行動に制限をかける。
そして常識外れな振る舞いは、この羊たちの社会からは危険視か、まれにヒーローと映る。

常識外れを、強く推進するわけではない。
しかし、常識内では、はっきり言って何もできない。エゴは、ロボになるだけだ。

子供が、あれだめ、これだめと、教育される。常識を調教される。
その常識が足かせとなって、年頃になっても、恋愛や冒険ができなかったりする。
いや逆で、常識をぶち壊すために、恋愛や冒険をしないといけないと思う。

この社会で、過剰な常識外れは、社会とエゴのバランスが取れない。

そんなわけで、推進しているのは、常識外れギリギリを狙うこと。
このギリギリがポイント。

実は社会の常識は、思ってるほど狭くはない。
エゴが思っている、許される常識の範囲が狭いのだ。

生真面目なほど、範囲の狭さが際立ち、相手にもそれを求める、後ろ盾は常識だ。

自分が思う、常識の中心を見るのではなく、常識の範囲ギリギリ外を見つめてみよう。
そうしなければ、自分らしい生き方なんて絶対に見つからない。

たまたま、自分らしさが、常識の範囲内に収まることはあっても、
常識範囲内のことをして、本当の自分が見つかることはない。
むしろ、常識は、さっきも言ったが、本当の自分を気づかせない為にあるのだ。(と思ってる)

常識的な人は自分がない。
非常識な人が、自分があるのではない。
自分のある人は、常識の範囲内にいる。

自分を生きる。自分らしい生き方を見つけるために、
常識を疑うこと。
常識の範囲で生きても、自分は見つからない。
それは常識は、自分ではないからだ。

自分の考えと常識がごっちゃになっている人は常に葛藤は避けられない。
自分のある人は、自分の考えと常識が分けられている。

自分に素直か?常識に脅されて、それを厳守か?
多少の常識を破っても反省すればいいが、
後悔は、自分を裏切ったということ。

自分らしく生きるには、この現実の常識とやらと戦わなければいけない。
posted by ほへと at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月25日

性格について補足。

性格を変える?そんなんどうでもいい!人生どう生きるかであって、性格を生きるのではない。
生き方を変えるんだ。
という話をしたが、今回は「性格」について。

性格を変えれば、世の中が変わると思っているかも知れないが、
世が、性格を作っているのだ。
だから、世の方を先に変えなければいけない。
日常を変えてみよう、まぁ、結局、生き方を変えることになる。

まぁよく自分の性格は暗い、悲観的だという人がいるが、そんなもん大体皆経験する事だ。
そこで、上手く行かないことを性格のせいにすれば、ずっとその性格を引きずることになる。

そもそも、性格なんて、実は簡単に変えられる。
実にどうでもいいものなのだ。
性格に絶対的なものはない。
誰が見ているかで変わる。

例えば、京都では、せっかちと言われても、大阪ではトロいと言われるような感じ。
あなたは、いい性格ね、は自分にとって都合のいい人という意味だったり。

まずは、性格について、正確に知る必要がある。

性質と性格。

大事なことは、性格にこだわらないこと、性格を見過ぎないこと。
性格は、良し悪しの判断で出来ている。

性格の元となる、性質を生かすこと。性質の弱点を補うこと。
ダメなことは、性質を否定することだ。

性質とは、素の習性、純粋な仕様のようなもの。生年月日の数秘の性質だ。
性格は、性質が具体化した表現を、人が評価したものだ。
正確には、性質が具体化した表現を性能と呼び、それを格付けしたものが性格となる。

・性格を見ないこと。→まずは具体化した性質(性能)を評価しないということ。
・性質を見ること。→自分のエゴを知るということ。ここにほへと数秘術の肝がある。
・性質を否定せずに、活かす方向に考える。多少癖ある性質でも、クセのある食材程度に考える。

自分もそうだが、他人に対しても、性格を見るのではなく、性質を見ること。判断しないこと。
何より、その人の本質は、性格でも、性質でもなく、生き方ということを忘れてはいけない。

まぁ、性格が良いだ悪だと考えても、時間の無駄。
そんなことより目の前の壁をブレイクスルーするのは、性格の問題ではないので、
どう行動するのか、あまり考えずに試行錯誤するだけです。
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2017年02月23日

人生どう生きるか

性格を変える?そんなんどうでもいい!人生どう生きるかであって、性格を生きるのではない。
生き方を変えるんだ!

性格はエゴ、生き方はセルフ。
車で例えれば、性能と行き先は関係ない。

自分のある人は、自分の生き方があり、その生き方をしているだろう。
自分のない人は、生き方?と聞いて、中にはピンとこない人もいるだろう。

生き方とは、その人らしい生き方です。
見た目が、裕福そうとか、幸せそうとは関係がありません。

自分の生き方をしていますか?

実は多くの人は、自分の生き方を見つけられてない。
生き方は、エゴではなく、セルフであり、人生を作るものです。

自分らしい生き方が、わかっていない人は、何のために生きているのでしょうか?
一度、何のために生きてきたか振り返って考えてみよう。

会社や家族、社会に文句を言っても、結局そこから自立できない。
知らずに、自分でないもののために生きる。

エゴである、性格や心を評価されることに気を使うより、人生の生き方に気を使おう。

そうそう、生き方は、自分以外の誰かが教えてくれるものではないし、
占いで、私はどう生きたら良いですか?というものでもありません。
今分からなくてもいいから、自分の行き方が見つかるように。

また、自分の生き方を生きている人も、
2017年、世の中は変わっていきます。
自分を持っている人も、生き方が変わることも十分考えられます。
新たな人生の生き方が見えてくるかもしれませんので楽しみに。
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2017年02月03日

自分を変えたいのに

良くない自分を変えたい、そして変えようと頑張ってもがくが、なかなか変わらない。

「変わりたいうちは変われないよ」

変わりたいと、思っているのがそもそもエゴである。

「私」が変わるとき、今の「エゴ」が消滅することを表す。
あなた最近変わったね、ということは、エゴが進化しているのではなく、エゴが変わっているのだ。

エゴの基本は、恐怖という部分。
もし、変わるチャンスが来ても、エゴ自身は、消滅の恐怖に耐えられない。
そして、エゴ自ら、チャンスを潰す振る舞いを起こす。

では、どうすれば、変われるのか?
いつも言っていることだけど、経験積んで、気づくことで、潜在意識が書き換えられる。
それが、セルフの成長。セルフが成長すれば、それに伴って表現されるエゴが変化するということ。

例えば、前はあれが気になったけど、最近はどうでも良くなった。という感じだな。

エゴの成長は、経験を積むこと。

恐怖を元とした、それから逃げる経験は、結局恐怖を生む。
別に怖くないというが、恐怖が「心」に現れるとき、過去か未来に対極化するので、
過去に出れば、後悔。未来に出れば不安。
変わるチャンスが、今の恐怖となる。
後悔や不安から自分を変えようとしても、難しいということだ。

では、どうすればいい?

恐怖は、現実の否定ともいえる。
逆の現実の肯定は、楽しさ、好奇心だ。

現実から、自分の好きな「事」を見つけ出して、それをどんどん経験していくこと。
将来の不安から、何か専門の学校に行って学んでも、結局役に立たないが、
好きでのめり込んだ、何か専門の分野は、仕事になる。

入り口は遊び、出口は仕事。

そうそう、変わるということだったな、

例えば、話すのが苦手な人は、不安や後悔にピントを合わせるのではなく、
会話の中に、少しでも、「楽しさ」が心に感じてないか、感じればもっと感じてみたくないか?
好奇心、現実を肯定していくことにピントを合わしてみよう。
くだらない、「話せますよ」的なハウツー情報はいらない。
会話に上手い下手はない。

幼稚園児、チビちゃん達は、話せることが「ただ楽しい」のだ。
幼稚な会話でも、高度に洗練された会話でも、「楽しさ」があるかだ?
楽しい会話が、良い会話だ。
不安から勉強せずに、初心に帰ってみる。

良くない自分を変えたい。

でも、後悔や不安から事を起こさないように。
まずは、楽しいと感じること。
遊び心が大切です。
posted by ほへと at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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