2017年03月07日

なんだろう、自然が恋しい!?メカが恋しい?

近年は、若者の何々離れが取り沙汰されているが、車離れもそうだ。

改めて思うことは、今の車は、便利で安全で、高性能だが、、魅力がない。
ハイブリッドや水素に電気。
走るハイテクだ。

しかし、なんかこう、、魅力がない。
おそらく、科学文明が行き過ぎたと感じているのか?
プリウスなど、UFOみたいな音で、スーっと動いているのを見ると、違和感がある。
いやいや嫌いではない、多くの人の苦労の末の、日本を代表する車だ、と頭では理解している。

自然と科学は、対立するのか共存するのか、、意識の中では、いや現実的にも、自然は薄れていき、
科学は満ち溢れている。

多分、過度な、科学文明は、生命力を奪うというか、無気力を増産していく。

この前、ふとバイク、原付きだけど、購入しようかと思って調べたときに驚いた。

バイクが、、無い。いやあるにはあるが、、マジか!?2ストバイクは撲滅しているだと!
魅力的なバイクも、10年前の排ガスか環境基準かなんかで、生産終了。
まったく知らない間に!

ほへとは、最初、原付きスクーターに乗り、250ccの2ストバイクに乗り、車へ移行していった。
コンピューターはどんどん進化し、今やスマフォは、手のひらの上のスーパーコンピューだ。

しかし、バイクは、ほへとが乗っていた頃がピーク。
各メーカーから多種多様なラインアップがあったが、、
あの時から、時間は止まってるというか、むしろ退化している。いや絶滅危惧種だ。

高校の友人が乗っていた「モンキーR(1987年発売)」、当時、「猿アール」と半分小バカにされたいたバイクが今や当時より高く、プレミヤ価格で取引されている。

そういえば、バイク屋のおっさんが言ってた。
50ccのスクーターのエンジンも、ちゃんとしてれば(メンテナンス)、
「一生動く!、そう簡単に壊れるか!ボケ!ワハハッ」
という言葉を思い出した。(なぜか当時のバイク屋やオヤジはそんな感じで笑う)

そうか、コンピューター系は新しいほど良いが、メカ系はもうアンティークかよ。

なんか、古いバイクでも手に入れようか、、
できれば、ICチップの入ってない、などと考える。

そして山に行こう、林道走って、昔みたいに。

ほへとは決してヤンキーではないが、
エンジン音はテンション上がる。
ディストーションギターみたいな感じかな、、

昔、バイクや、車は、そんな音を叫んでた。
それが、なんとなく、胸を熱くしていたんだな。
多分DNAが、何か荒ぶる動物の叫び声と勘違いしているのかな?

まぁ、今は、環境問題で、排ガス規制、騒音規制。エンジンは限りなく大人しく静かになる。
そうだな、バイクや車は、動物みたいな感じだったが、今はとてもクールで、感情(ハート)に訴えかけない。
その先は、やはり自動運転やね。

そう考えたら、自分で運転する感がもっとも強いのがバイクだな。
たまにコケるし。もっとも危険だし。
ちょっと真剣に考えるか。
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2017年03月04日

最近の宗教家について

信仰心だけでは成長しない。

心が弱いのに、信仰心だけが強いのも問題だ。

心が成長するとともに、信仰心も深まっていくのが良いと思う。

むしろ、心が強く、しかし無宗教の経営者の一言のほうが、わかっている。

情熱の無い、頭だけの宗教家は、成長するために世に出なさい。

でなければ、上に立ったとき、信者は去っていく。

信者さんは、いわば、親方と弟子だ。
弟子を育てるのが、親方なのに、

信者さんをお客さんと間違っている。

ともかく、経験値の低い宗教家は、もっともっと、他の勉強をしてください。
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2017年03月01日

なぜ自分らしく生きれないのか?

なぜ自分らしく生きれないのか?

この現実世界が、そういうふうにできているからだ。
常識が人が自分らしく生きたり、精神的に成長することに縛りをかけている。

成長には、経験が必要だが、常識という、エゴを不安で支配するものが、行動に制限をかける。
そして常識外れな振る舞いは、この羊たちの社会からは危険視か、まれにヒーローと映る。

常識外れを、強く推進するわけではない。
しかし、常識内では、はっきり言って何もできない。エゴは、ロボになるだけだ。

子供が、あれだめ、これだめと、教育される。常識を調教される。
その常識が足かせとなって、年頃になっても、恋愛や冒険ができなかったりする。
いや逆で、常識をぶち壊すために、恋愛や冒険をしないといけないと思う。

この社会で、過剰な常識外れは、社会とエゴのバランスが取れない。

そんなわけで、推進しているのは、常識外れギリギリを狙うこと。
このギリギリがポイント。

実は社会の常識は、思ってるほど狭くはない。
エゴが思っている、許される常識の範囲が狭いのだ。

生真面目なほど、範囲の狭さが際立ち、相手にもそれを求める、後ろ盾は常識だ。

自分が思う、常識の中心を見るのではなく、常識の範囲ギリギリ外を見つめてみよう。
そうしなければ、自分らしい生き方なんて絶対に見つからない。

たまたま、自分らしさが、常識の範囲内に収まることはあっても、
常識範囲内のことをして、本当の自分が見つかることはない。
むしろ、常識は、さっきも言ったが、本当の自分を気づかせない為にあるのだ。(と思ってる)

常識的な人は自分がない。
非常識な人が、自分があるのではない。
自分のある人は、常識の範囲内にいる。

自分を生きる。自分らしい生き方を見つけるために、
常識を疑うこと。
常識の範囲で生きても、自分は見つからない。
それは常識は、自分ではないからだ。

自分の考えと常識がごっちゃになっている人は常に葛藤は避けられない。
自分のある人は、自分の考えと常識が分けられている。

自分に素直か?常識に脅されて、それを厳守か?
多少の常識を破っても反省すればいいが、
後悔は、自分を裏切ったということ。

自分らしく生きるには、この現実の常識とやらと戦わなければいけない。
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2017年02月25日

性格について補足。

性格を変える?そんなんどうでもいい!人生どう生きるかであって、性格を生きるのではない。
生き方を変えるんだ。
という話をしたが、今回は「性格」について。

性格を変えれば、世の中が変わると思っているかも知れないが、
世が、性格を作っているのだ。
だから、世の方を先に変えなければいけない。
日常を変えてみよう、まぁ、結局、生き方を変えることになる。

まぁよく自分の性格は暗い、悲観的だという人がいるが、そんなもん大体皆経験する事だ。
そこで、上手く行かないことを性格のせいにすれば、ずっとその性格を引きずることになる。

そもそも、性格なんて、実は簡単に変えられる。
実にどうでもいいものなのだ。
性格に絶対的なものはない。
誰が見ているかで変わる。

例えば、京都では、せっかちと言われても、大阪ではトロいと言われるような感じ。
あなたは、いい性格ね、は自分にとって都合のいい人という意味だったり。

まずは、性格について、正確に知る必要がある。

性質と性格。

大事なことは、性格にこだわらないこと、性格を見過ぎないこと。
性格は、良し悪しの判断で出来ている。

性格の元となる、性質を生かすこと。性質の弱点を補うこと。
ダメなことは、性質を否定することだ。

性質とは、素の習性、純粋な仕様のようなもの。生年月日の数秘の性質だ。
性格は、性質が具体化した表現を、人が評価したものだ。
正確には、性質が具体化した表現を性能と呼び、それを格付けしたものが性格となる。

・性格を見ないこと。→まずは具体化した性質(性能)を評価しないということ。
・性質を見ること。→自分のエゴを知るということ。ここにほへと数秘術の肝がある。
・性質を否定せずに、活かす方向に考える。多少癖ある性質でも、クセのある食材程度に考える。

自分もそうだが、他人に対しても、性格を見るのではなく、性質を見ること。判断しないこと。
何より、その人の本質は、性格でも、性質でもなく、生き方ということを忘れてはいけない。

まぁ、性格が良いだ悪だと考えても、時間の無駄。
そんなことより目の前の壁をブレイクスルーするのは、性格の問題ではないので、
どう行動するのか、あまり考えずに試行錯誤するだけです。
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2017年02月23日

人生どう生きるか

性格を変える?そんなんどうでもいい!人生どう生きるかであって、性格を生きるのではない。
生き方を変えるんだ!

性格はエゴ、生き方はセルフ。
車で例えれば、性能と行き先は関係ない。

自分のある人は、自分の生き方があり、その生き方をしているだろう。
自分のない人は、生き方?と聞いて、中にはピンとこない人もいるだろう。

生き方とは、その人らしい生き方です。
見た目が、裕福そうとか、幸せそうとは関係がありません。

自分の生き方をしていますか?

実は多くの人は、自分の生き方を見つけられてない。
生き方は、エゴではなく、セルフであり、人生を作るものです。

自分らしい生き方が、わかっていない人は、何のために生きているのでしょうか?
一度、何のために生きてきたか振り返って考えてみよう。

会社や家族、社会に文句を言っても、結局そこから自立できない。
知らずに、自分でないもののために生きる。

エゴである、性格や心を評価されることに気を使うより、人生の生き方に気を使おう。

そうそう、生き方は、自分以外の誰かが教えてくれるものではないし、
占いで、私はどう生きたら良いですか?というものでもありません。
今分からなくてもいいから、自分の行き方が見つかるように。

また、自分の生き方を生きている人も、
2017年、世の中は変わっていきます。
自分を持っている人も、生き方が変わることも十分考えられます。
新たな人生の生き方が見えてくるかもしれませんので楽しみに。
posted by ほへと at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月03日

自分を変えたいのに

良くない自分を変えたい、そして変えようと頑張ってもがくが、なかなか変わらない。

「変わりたいうちは変われないよ」

変わりたいと、思っているのがそもそもエゴである。

「私」が変わるとき、今の「エゴ」が消滅することを表す。
あなた最近変わったね、ということは、エゴが進化しているのではなく、エゴが変わっているのだ。

エゴの基本は、恐怖という部分。
もし、変わるチャンスが来ても、エゴ自身は、消滅の恐怖に耐えられない。
そして、エゴ自ら、チャンスを潰す振る舞いを起こす。

では、どうすれば、変われるのか?
いつも言っていることだけど、経験積んで、気づくことで、潜在意識が書き換えられる。
それが、セルフの成長。セルフが成長すれば、それに伴って表現されるエゴが変化するということ。

例えば、前はあれが気になったけど、最近はどうでも良くなった。という感じだな。

エゴの成長は、経験を積むこと。

恐怖を元とした、それから逃げる経験は、結局恐怖を生む。
別に怖くないというが、恐怖が「心」に現れるとき、過去か未来に対極化するので、
過去に出れば、後悔。未来に出れば不安。
変わるチャンスが、今の恐怖となる。
後悔や不安から自分を変えようとしても、難しいということだ。

では、どうすればいい?

恐怖は、現実の否定ともいえる。
逆の現実の肯定は、楽しさ、好奇心だ。

現実から、自分の好きな「事」を見つけ出して、それをどんどん経験していくこと。
将来の不安から、何か専門の学校に行って学んでも、結局役に立たないが、
好きでのめり込んだ、何か専門の分野は、仕事になる。

入り口は遊び、出口は仕事。

そうそう、変わるということだったな、

例えば、話すのが苦手な人は、不安や後悔にピントを合わせるのではなく、
会話の中に、少しでも、「楽しさ」が心に感じてないか、感じればもっと感じてみたくないか?
好奇心、現実を肯定していくことにピントを合わしてみよう。
くだらない、「話せますよ」的なハウツー情報はいらない。
会話に上手い下手はない。

幼稚園児、チビちゃん達は、話せることが「ただ楽しい」のだ。
幼稚な会話でも、高度に洗練された会話でも、「楽しさ」があるかだ?
楽しい会話が、良い会話だ。
不安から勉強せずに、初心に帰ってみる。

良くない自分を変えたい。

でも、後悔や不安から事を起こさないように。
まずは、楽しいと感じること。
遊び心が大切です。
posted by ほへと at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月17日

心についてのつぶやき

心は現実の世界には存在しない。
我の強い人は、現実の世界で心を確かめようとする。
心は物ではない、事や智なのだ。
そして心の世界には物は存在しない。

多くの場合、心は現実からの影響や縛りを受ける。
心を強くするというのは、現実からの影響に強くなること。
そのためには、心を無視できる精神力が必要で、
精神力は潜在が心を支配する力のこと。

気付きは、現実のカラクリを見破り、複雑カオスの現象を、シンプルにまとめ上げる。
気付きは、現実を固い世界を、夢の世界へ引き上げる。
よって、現実の影響や縛りは薄れ、より心は強くなっていく。

現実に現れる現象を、現実として見ている限り、気がつかない。
心に突き刺さる出来事は、心が穏やか(透明)でないと、その本質を見逃したり、
心の防御によって、突き刺さるに至らない。

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2016年12月05日

運命を信じるについて、

運命を信じる。
というのは、失敗しないということや、成功すると思い込むことではない。
どんな経験も受け入れるという気合のようなものだ。

エゴ的な思考を捨てるということ。
どうしても、人はエゴ的な思考に縛られ、運命を信じられない。

今、現実があるのは、気付きのためだ。

ある気付きを生み出すために、エゴや経験がある。
だが、具体的な細かい経験が大事ではない。
つじつま合わせの出来事は多い。
早いか遅いかの場合もある。

そんな気付きのための、経験をするための、現実に、逆に入り込み過ぎれば、
今の現実に執着してみたり、不安が、未来の確約を求めて悩んでしまう。

エゴの悩みは消えない。
仏教で云う四苦八苦だ。
エゴの悩みを消すために人生はあるのではない。

固い現実に、執着するのではなく、
現実は柔らかいということ、まるで夢のような世界ということを気づけば、
ことの本質は、物から事へ移る。

エゴはリスクを避けるが、運命はリスクを勧めてくる。
エゴの好きなことや嫌いでないことが、ワクワクではない。

運命お勧めリスクは、エゴにとって恐怖心でしかないが、

運命お勧めリスクをエゴが受け入れたときに、本当のワクワク感が来るのだ。
それが、運命を信じたということ。
posted by ほへと at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月28日

絶対に付き合う。はダメ。

絶対に付き合うと、思わないこと。

好きになり、絶対欲しいと思うのは理解できる。

人とお付き合いをするということは、
相手があってのこと、相手の心があるということ、
決してバッグや車を買うような、「絶対欲しい」「必ず手に入れる」というような感じは持たない事。
相手はモノではない、人間なんだから。

だから、ほへとの占い的に、絶対に付き合える方法はない。

それでも、付き合うために、やるべきことをやり、全力を出すことは大事。
後悔しないように。

後は、祈るだけ。(念ではないぞ)
posted by ほへと at 20:13| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月15日

「私」と「この場所」2

今、ここ。この場所に、私(セルフ)は存在している。

しかし、それは、ステージ1の現実世界のことではない。
そこには、私はいない。
しかし、そこを見ている。この場所から見ている。

現実の風景が移り変わっても、私は動くことはない。

私とはエゴのことではない。
ゆえに私に住む家も着る服も、欲望もない。

エゴの思考停止により、私は自在にそれを使う。

名は、私に付けられたもの。

この場所の名でもある。
posted by ほへと at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月08日

「私」と「この場所」

どこへ行けばいいか?と迷っている時には、「私」がいない。
「この場所」にしか、「私」はいないのだから。

迷いの主は、エゴだ。
エゴがいない時、透明な私がいる。

雲が晴れて、青い空が見えている。

姿勢を決めた時、身体の重心と現実の中心に「私」はいる。

どこにいても、「この場所」に「私」はいる。
posted by ほへと at 15:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月16日

友人は暇つぶし

友人をうまく作れない人は、友人というものを誤解している。
友人とは、尊敬や、分かり合える、信頼できるなど、いきなり意味不明な定義をしない。
だから、信頼を裏切り裏切られたら、分かり合えなかった、など変な心配して、最初の一歩が踏み出せない。
友人を作るのは、単に、暇つぶしで。遊びなのだ。

時間と空間を共有し、時には、尊敬し、時にはバカにして、長い期間を経て、わかり合うとか、信頼などが生まれる。

子供が、友達を作るのに、あれこれ考えない。
友人を作るのが下手な人は、考え過ぎの傾向を感じる。

長い人生、暇つぶしは重要。
posted by ほへと at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月02日

低糖質生活と脳

低糖質生活は快適で、すでに炊飯器は片付けました。

実は、低糖質生活を始めたきっかけは、ダイエットでも健康目的でもありません。

人間の本質は何なのか?
エゴ→セルフ

そして、セルフを越える意識境地を垣間見た時、
一般的に人間の本質と思われる部分が、実はまったく違う事に気づく。
別に神秘体験というより、思考が行き着いた理論的答えでもある。(ほへと数秘論)

身体には、自らの意志で動かせる手足などと、内臓のように自律的に動いている部分がある。
一般的には、脳を生かすために、内臓が存在していると考える。
脳が自分自身という考えだ。脳死という言葉など。

ところが、生命側から見ると、60兆もの細胞を生かすために内臓が存在しているのだ。
細胞は、太古の海の成分に似た環境を血液から得ている。
また、子宮内の羊水もまた太古の海の成分なのだ。

細胞は、太古の海から出られたのも。内臓という生命維持装置のお陰で。
内臓は、生存能力そのものなのだ。

身体を動かす、運動能力は脊椎動物の特徴だ。
眼の出現は、その画像認識→判断処理→行動命令という脳の機能を生み出した。
さらに、哺乳類となり、それまで無意識・機械的な行動が、心によっても、感じ、考えて、行動するようになる。
最終的には、我々人間となり、文明社会のルールの海で、もがきながら泳いでいる。

これは、ステージというほへと数秘論の概念で表すとこうなる。
ステージ5 細胞
ステージ4 内臓
ステージ3 セルフ:身体(脊椎動物)
ステージ2 エゴ:心(哺乳類)
ステージ1 文明社会ルール

道元の禅(只管打坐)は、「身心脱落」の為に只座る。
頭で悟るとかそういうのは一切考えない。
それってまさしく、ステージ4の境地への行き方だ。
また道元は「自分を習うことは、自分を忘れることだ。」という有名な言葉を残しているが、
これもまさしくだ、
結局悟りの道というものや、精神的に向上、アセンションなどいろいろな言葉はあるが、
単に、進化の歴史を遡ることではないかと思っている。

そうそう、話がそれてしまうが、
ようするに、低糖質の食事は、脳の抑制なのだ。
「私」の持ち主を、脳から開放する。
posted by ほへと at 22:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月22日

運が悪いというより

運が悪いというより、マイナス運が強い。

分かりやすい例では、健康運。
健康な運を求めるより、マイナス健康運な、ストレスからいつも胃薬飲むような日常を見直す。

何かの運を上げる前に、その運を下げる意志を持って行動していないか?

もちろん、上辺では、「お金が欲しい」「パートナーが欲しい」と言うだろうが、
実際の行動を見れば、それは逆の努力をしていないか?という場合もあるということ。
相談者が、こういう運が欲しいという場合、その前にブレーキを外せとアドバイスする。

金運が無いという人の中には、貧乏運を呼ぶわという、ネガティブな考えがある。
「お金」という言葉を発した時に、ネガティブな感情が湧いたりすればそう。
無意識にお金に苦労する行動をしている。

人脈運のない人も、繋ぐ前に、切られることをやっている。
人脈は人と人を繋いで得られるもの、人の紹介を自分の縁と誤解しない。
要するに、友達の友達は、友達ではない。

異性運のない人も、せっかくできたパートナーを無駄に疑ってダメにしてしまう。
違う極を意識できれば、極同士引き合う。また違う極を意識するために出会いは起こる。
それを自信がないと、上辺のエゴが台無しにする。もったいない。

何かの運が欲しいと思ったら、逆の努力をしていないか確認して下さい。
その努力をやめれば、マイナス運はなくなります。

ポイントは、「欲する」よりも「受け入れる」という事。
お金、人、パートナーそのものを見るのではなく、自分とそれらの関係、接点をみよう。
自分とそれらが、何を生み出しているのか?
「〜が欲しい」を単純所有的な発想ではダメ。
posted by ほへと at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月09日

人間関係の必要性

人間関係をうまく作れない理由として、その人を固定化して見てしまう事がある。
その人は、こういう人だと、定義してしまう事だ。
これは、良くない。
人は、常に流動的に変化していくもの。

前に仲良かった人と、突然今は嫌いだった人とつるんでいるかもしれない。
突然グループから離れることもある。

その人を自分の思い通りにしたいなら、それは友人ではない。
その人の選択を尊重してあげること。
それが友人というものです。

そういう意味でも、あまりその人の上っ面の部分に意識を合わせないことです。
そうすればより、お互いの深い部分を、場に出すことができるということです。

見た目以上に、いろいろなことを人は隠し持っているものです。

人を理解したい気持ちは大事だが、決して理解することはない。

一番大切なことは、その人の事を、「理解」したと思わないこと。
その人を理解することはできない。
その人の何もわかっていない。
なのに、理解したと、うぬぼれ、誤解した時が、自分の器の限界であり、
やがてその人が去ってしまう原因になる。

同じように、自分自身の事を、何もわかっていない。
自分の事を「理解」したとうぬぼれ、誤解している人には、人間関係が必要ないのだ。
どれだけ、自分を理解して欲しいと思っても、人はやってこない。

本当に、自分を見つめたいと、理解したいと思うとき、必ず人間関係が必要となります。
posted by ほへと at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月06日

まったりと話しませんか?

ある人の会話で、まぁざっくり言うと、アメリカのなんとか?って人の(細かいところは忘れた)100年に渡る研究で、幸福感というのは、金銭的な裕福の格差でなく、対人関係の充実にあるという話。
要する、金持ちでも、貧乏でも、対人関係の豊か人は幸せで、金持ちでも貧乏でも、孤立していては、等しく幸福感が低いということ。

一生懸命働き、スキルアップ、キャリアアップし、マンション購入し、これで老後も安泰という人生を歩もうとする人は多いと思う。

問題は、そういう人のうちで、仕事以外の人間関係が極端に少ない人。
そんな人は未来のお金の心配はわかるが、友人関係をもっと開拓した方がいい。
鑑定して、たまにそういう人に出会う。

大げさではなく、将来のための老後の貯金のようなものを、
今もっと、友人を作るために使うべきだと思う。まぁそうアドバイスはするが、、

人間関係が少ない人は、自分が思っているよりも我が強い。
我の強い人は、孤立しやすい。場に入っていけない。
話に、楽しさがない。生命感がない。
普通にまた会おうと、思えない。

話というのが重要。
ヒントとしては野生を忘れている。

4歳児にもなると本当によく話す。(野生児)

1歳児が、初めて立って、初めて歩いて、そのただ歩くことだけが、驚きで、発見で、楽しいことなのだろう。
同じように、話すことも、それ自体が、楽しいことであり、幸せなのだ。

常識という檻の中で、それを忘却し、野生はくたばってしまったのか?

ステージ2(野生有り)で話している人と、ステージ1(野生無し)で話している人の差がある。

ステージ1は人間の文明社会。常識の世界。
よそよそしい話に質問、遠慮がちな、要らない気の使いはある。
場を無視して、考えて(意識が内向き)話そうとする。考えて、話せるものではない。
話された方は、このエゴ(ロボ)な部分に合わせないといけないので気疲れする。

ステージ2は、心、哺乳類の性質、野生。
リラックスして、思ったことを、話せばいい。
動物や鳥が、鳴き合うようなこと。それが基本。
多少喧嘩しても良い。
目的など無く、ただおしゃべりしているだけで幸せなのです。
空間が、場が、話題を作る(意識が外向き)。そういう状況の変化の中、話題が自然と出てくるものだ。


頭が良ければ、お金は稼げるかもしれないが、
心許せる友人やパートナーを作ることは別問題だ。
もっとお金を使って、友人達の多い人から学ぶべきだ。

(何故か友人を作るのは、友人だから無料と思っている、勝手にできると思ってる)

金銭に余裕があっても、幸せでないなら、そんな人を上から見るべきではない。
ステージ1で勝っても、ステージ2で負ければ、肝心のステージ3では勝てないのだ。

RPGのような虚像な世界ではなく、ステージ2で、ステージ3で交流してみないか?

本当に謙虚さと、適当なバカさは必要だ。

最初の話ではないが、年収月収が、肩書が、幸福感を作るのではない。(安心ではある)

まったりと心から話せる友人関係を生み出しましょう。
posted by ほへと at 18:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月16日

「現実」と「場」

唯識的に、この世界が存在するのは、私が見ているからだ。

しかし、私が、世界と思っている世界は、自分だけのプライベートな世界で、他人の世界とは違うのだ。
絶対的な世界を、個人は主観的にしか感じることはできない。

ほへと的に、個人的な世界を「現実」という表現を使っている。

世界対自分の関係だけでは孤独で寂しいものだ。

複数の人々の現実が折り重なっている世界を「場」と呼んでいる。
コミュニケーションは、この絶対的な世界で行われているのではない。
他人という個別の別世界の住人と関わっているのだ。

目の前に他人がいても、手の届く距離に、他人のエゴ、セルフはいない。

たまに、小さいお子さんに手を焼いているお母さんに、チビちゃんの気持ちを勝手に推測する前に、チビちゃんから見たこの世界をイメージするようにいいます。母親目線ではなく、チビちゃんになりきってみる。

そうして、自分だけの「現実」から、「場」を意識していく。
「場」が、良い場になるように、プロデュースしてみる。

逆の、自分の現実だけに執着することはダメ。
「場」から浮いてしまう。

「場」を良くするのです。
もっと積極的に「遊んでみる」、もっと「要求してみる」
もっと、いろいろ引き出してみて下さい。
お互いの世界が広がります。

「現実」は、エゴ個人だけの世界のこと。
「場」は、複数の人の現実の交わり。
「世間」は、多くの場の集合。
「世界」は、すべての人の現実を合わせたもの。
的な感じ。
posted by ほへと at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月14日

最近のツイートから(160614)

最近、なかなかまとめられないが、Twitterでメモ代わりにツイートしたものをブログに投稿します。
気になる人は、ほへと(@standing_art) Twitterでフォローして下さい。


夢がない→シビアな社会常識に潰されている。

常識的な成功は、あなたにとって成功ではない。
お金があれば安心し、お金がなくなれば不安になる。
常識的な成功(妄想)を求めようと思いつつ、結局逆の常識的な不幸(妄想)を避けることを求めてしまう。

頭で考えたこと、→ダメ。
内臓で考える。命を活かす。
頭を喜ばすのではなく、全身の全細胞を喜ばす。
嬉しいという上位感情、「歓喜する感動」を求めよ。

人と会うこと。夜話し込むこと。
夜の非常識で昼の常識に対抗する。

とりあえず、作ってみる。世に出してみる。形にしてみる。
インスタンス。現象化。
現象化できれば、次のアイデアが生まれる。

頭は、自分に都合良く考える。または、否定に考える場合もあるだろう。
結局後からくる事実は、考えていたこととズレる。

正しく生きる。の正しいを、社会ルール(ステージ1)、自分の本心(ステージ2)、人生の生き様(ステージ3)、のどれを指しているのだろうか?
社会ルール(ステージ1)に合わしている、ロボット人間は、目を覚まさないと大変だぞ。

人生で好きなことができれば、それは嬉しいことだ。
それと、好きなことだけする人生とは、ニュアンスが違う。
問題は、「好きなこと」という目標がわからない迷い人だ。

生命は強いものが生き残る反面、
幸運なものが最後まで生き残る。

運を上げて、第8波動を乗り切るという感じではなく、
第8波動でいかに実力を発揮できるか?が重要です。

数秘10以上が難解という意見は多々頂きます。m(_ _)m
目に見える数秘1〜9のエゴが自分ではなく、潜在意識の数秘11が本当の自分。

どの数秘何がいいとか悪いとかの問題ではない、世間から見えない、数秘11部分の為に、現実も顕在意識のエゴも存在する。
数秘11部分がしっかり出来ているなら、一件幸せに見えても、一件不幸に見えても問題はない。

エゴにとって、エゴが変わることは、自分が消滅するに等しい。
故に、我の強い人は、自分を変えようとしない。ブーブー文句は言うが。

環境の変化は、エゴの進化ではない、人間としての進化ということ。
エゴを0ベースで再構築するくらいの気合をいる。
まぁ今はあまり使いたくないが、生まれ変わった気持ちというやつだな。

進化が求められている環境で、エゴにこだわれば、、適応できずに滅ぶ。
適応は、自分を捨て、新たな自分を引き出すこと。エゴは本来、水のように無形である。

一番大事なのは、運、運命を信じる。信じるというのは思い込むことではない。
この環境を本当の自分「セルフ」が求めていたのだと理解できるか?
もしセルフが導いたなら、自分は必ずうまく行く。その能力は内に備わっているはずだ。

ステージ3の魚類(脊椎動物)は、多くの卵を産み、種の存続が重要と見える。自然淘汰。環境適応。神道的な感じ。自然の一部。神の一部。

ステージ2の哺乳類となると、種ではなく、自分が重要となる。ここにエゴ的な問題と感情的な問題が発生していく。仏教的だ。
感情が中心の生き方である。

ステージ1に人間の文明となると、神は金か?、法か?。
ここのみの生きることは、確かに地獄であり、助からない。
大脳が中心の生き方である。
生命からすれば、大脳は内臓より優先順位が低い。


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2016年05月30日

社会ルール、「所有」

社会ルールというものを考えた時に、かなり強力に「所有欲」が存在する。
それでも最近は、「個人所有」から「シェアリング」というのも増えてきました。
音楽などのソフトも、「所有」から、「ストリーミング」という形態に進化してきました。
PCのデータもクラウド化の時代です。

そもそも、所有というルールを考えた時。
人間の世界(ステージ1)では、所有者、所有物というのが明確になっている。
何を所有するか?より良いものを所有することが「幸せ」に映り、それに憧れる。

ステージ1は物の世界。良い物を所有することがステータスの世界。ものと交換できる「お金」は重要と考え執着する。
でもお金で幸せを生み出しているか?

ステージ2は心の世界、ここには「物」は存在しない。記憶という思い出や想像の世界だ。存在するのは「事」なのだ。
心を豊かにするということは、「良い物」の所有ではなく、「良い事」の所有。

高次の世界(ステージ3)では、心(ステージ2)での経験が気付きとなり「智」が生まれてくる。
ここから考えれば、現実の「物」を所有するというのは、どうでも良い。
ここ「セルフ」という本当の自分ある意味で言えば、「魂」というべき場所。
魂を朽ちらすな、魂を肥やすには、「物」のみに囚われてはいけない。

別荘を所有していても、結局使わなかったら、所有していないのと同じ。
逆に、知人の別荘を借りられたら、その時は所有しているのと同じ。

突き詰めて考えれば、「所有」というのは、幻なのだ。
むしろ、所有したことによる、「油断」が生じて、それをしっかり感じることが薄れてきていないか?

感じたものは、全て自分のものだ。
感じてないものは、自分のものではない。

感じるとは、五感とは、現実であるステージ1を、心のステージ2に引き上げることだ。
「物」から「事」に変えること、そこではじめて、「私だけのもの:事」になる。

例えば、実際に所有していないものでも、バーチャル(仮想)的に所有しているとイメージしたり、
所有しているものでも、「これは自分のものではない」、と自分に言い聞かせてみたり。

それを発展していれば、全てを所有していないという境地に達すれば、それは逆に全てを所有しているという感覚におちいる。
太陽の日差しの温かさ、風の気持ちよさ、この街も、この世界も、感じているなら、実は全て自分のもの(思い出)なのだ。

まぁ単に自分は自然の一部ということ。自然(世界)が誰かの所有物ということが問題だ。

一度、「所有」とう社会ルールを少し考え疑ってみてください。
posted by ほへと at 20:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月13日

器官や臓器、ステージ4レベルの意識

人間には、各現実(ステージ1)、心(ステージ2)、潜在意識(ステージ3)という個体の意識があるが、その上に個体を超えた、集合意識(ステージ4)がある。

実は、私たちの各身体には、器官や臓器、多くの組織などが集まっている(ステージ4)。
もとはひとつの受精卵(ステージ5)から始まっている。

そんな身体は、体内の器官や臓器は、
傷ができても塞がり、病気になっても治癒する。
治そう、生きようという意志を持っている。
それらは、病気等に対して倍以上の治癒力がある。
でなければ、私たちは生きられない。

ステージ4レベルの意識が、ステージ2レベルのエゴ意識を見てどう思っているのだろう?

ステージ4は、集合意識の世界。個別の意識ではない。
自身の身体の器官や臓器、細胞達にもし意識があるなら、その膨大な意識達を、一つの集合意識として感じてみよう。

今日は、きれいな夜空だった。月も星も空もきれいだった。
何を意識しているのかは、我々のエゴ意識ではわからないけど、少しは、この身体、器官や臓器、細胞の為に、生きてあげようか。
肥田式のトレーニング後そんな事が頭に浮かんでいた。
posted by ほへと at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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