2016年05月30日

社会ルール、「所有」

社会ルールというものを考えた時に、かなり強力に「所有欲」が存在する。
それでも最近は、「個人所有」から「シェアリング」というのも増えてきました。
音楽などのソフトも、「所有」から、「ストリーミング」という形態に進化してきました。
PCのデータもクラウド化の時代です。

そもそも、所有というルールを考えた時。
人間の世界(ステージ1)では、所有者、所有物というのが明確になっている。
何を所有するか?より良いものを所有することが「幸せ」に映り、それに憧れる。

ステージ1は物の世界。良い物を所有することがステータスの世界。ものと交換できる「お金」は重要と考え執着する。
でもお金で幸せを生み出しているか?

ステージ2は心の世界、ここには「物」は存在しない。記憶という思い出や想像の世界だ。存在するのは「事」なのだ。
心を豊かにするということは、「良い物」の所有ではなく、「良い事」の所有。

高次の世界(ステージ3)では、心(ステージ2)での経験が気付きとなり「智」が生まれてくる。
ここから考えれば、現実の「物」を所有するというのは、どうでも良い。
ここ「セルフ」という本当の自分ある意味で言えば、「魂」というべき場所。
魂を朽ちらすな、魂を肥やすには、「物」のみに囚われてはいけない。

別荘を所有していても、結局使わなかったら、所有していないのと同じ。
逆に、知人の別荘を借りられたら、その時は所有しているのと同じ。

突き詰めて考えれば、「所有」というのは、幻なのだ。
むしろ、所有したことによる、「油断」が生じて、それをしっかり感じることが薄れてきていないか?

感じたものは、全て自分のものだ。
感じてないものは、自分のものではない。

感じるとは、五感とは、現実であるステージ1を、心のステージ2に引き上げることだ。
「物」から「事」に変えること、そこではじめて、「私だけのもの:事」になる。

例えば、実際に所有していないものでも、バーチャル(仮想)的に所有しているとイメージしたり、
所有しているものでも、「これは自分のものではない」、と自分に言い聞かせてみたり。

それを発展していれば、全てを所有していないという境地に達すれば、それは逆に全てを所有しているという感覚におちいる。
太陽の日差しの温かさ、風の気持ちよさ、この街も、この世界も、感じているなら、実は全て自分のもの(思い出)なのだ。

まぁ単に自分は自然の一部ということ。自然(世界)が誰かの所有物ということが問題だ。

一度、「所有」とう社会ルールを少し考え疑ってみてください。
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2016年05月13日

器官や臓器、ステージ4レベルの意識

人間には、各現実(ステージ1)、心(ステージ2)、潜在意識(ステージ3)という個体の意識があるが、その上に個体を超えた、集合意識(ステージ4)がある。

実は、私たちの各身体には、器官や臓器、多くの組織などが集まっている(ステージ4)。
もとはひとつの受精卵(ステージ5)から始まっている。

そんな身体は、体内の器官や臓器は、
傷ができても塞がり、病気になっても治癒する。
治そう、生きようという意志を持っている。
それらは、病気等に対して倍以上の治癒力がある。
でなければ、私たちは生きられない。

ステージ4レベルの意識が、ステージ2レベルのエゴ意識を見てどう思っているのだろう?

ステージ4は、集合意識の世界。個別の意識ではない。
自身の身体の器官や臓器、細胞達にもし意識があるなら、その膨大な意識達を、一つの集合意識として感じてみよう。

今日は、きれいな夜空だった。月も星も空もきれいだった。
何を意識しているのかは、我々のエゴ意識ではわからないけど、少しは、この身体、器官や臓器、細胞の為に、生きてあげようか。
肥田式のトレーニング後そんな事が頭に浮かんでいた。
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2016年04月13日

チャレンジ

昨日、東京から着物の若旦那の友人が京都に来てて、若旦那の工房メンバーと友人たちが集まって、居酒屋で呑んでいた。

みんな、楽しく呑んでいる仲間だけど、みんな人生や仕事には、悩み迷い、そして頑張っている。

自分の経験を言えば、最初はコンピューター系ITで世に貢献したかった。天職にしたかった。
何故か、一見、理系なコンピューターと真逆の「占」を生業としている。

大体、今の社会を見ても分かるのだが、、
実は、生きていくには、それほど働く必要はない。
これは本当に良いことだ。

えっ?と思う人もいるともう。

幾つかの仕事は、実は必要ないのだけど、雇用を生み出すための仕事というのがある。

この世界(現実)で生きていく最低限必要なことは、衣食住だ。

ほんの100年前以前は、衣食住のために人口の大半が働いていた。

こういうことはあまり言いたくない部分ではあるのだが、
日本はなんだかんだ恵まれている。
不平不満をブヒブヒいうのもいいが、もっと良い部分を見つけて欲しい。

理屈や常識ではなく、「幸せ」になるのに、誰かを悪者にしてはダメ。
生きていることと、幸せは違う。

社会や常識が幸せにはしてくれない。

死なないこと、ではなく、幸せに生きることにフォーカスするにはどうすればいいか?

存在している理由はある。

そんな感じで、チャレンジは大切です。

一時は大変になるかもしれないけど、

現実を見れば見るほど、動けなくなる。
心の感じるものを信じて動くことが、後の幸せに繋がる。(とアドバイスはする)
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2016年04月06日

桜を眺めつつひとりごと(2016)

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最近のお気に入りは、スマフォに広角&接写スマホレンズ(DIMEのオマケ)で撮影することだ。
デジカメは見事に現実を写してくれるが、このセットの低い解像感も歪みも、心を写してくれている感じがするからだ。

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私とあなたが、ステージ1(現実)でまったく同じものを見ても、ステージ2(心)では、まったく違うものになるのです。

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桜は、身体を通じて、ステージ2の心に映っている。
視覚は、五感というものは、ステージ1の情報をステージ2に伝える。
現実の情報を、心に伝えるために脳内で変換する。

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心に映る映像は、各個体の見方を作り出す。
そこに、何かしらの思いも添付されるのだろう。
散る花びらのように、それもきっと忘れてしまうだろう。

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もし、ステージ1の現実という世界が幻なら、実際この目の前の桜は存在しないということなのか?

唯識では、私が見るから(意識するから)、「桜」は存在するという。
まったく桜に興味が無い人には、「桜」は存在しないということ。

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同じ風景を見ても、人によって意識する場所は個々に違う。
まったく同じ場所を見ても、「思い」は違う。

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あいつは、どんな「思い」で、桜を眺めていたのだろうか?
同じ桜を眺め、酒を呑んでいたのに、それがわからない。

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毎年、眺めるが、同じ形の花の形を、飽きずにいくつも眺めるものだ。
意識は花びらを見つめて、湧き出る思いは、確かに毎年違う。

ある日の絶対的な状況、そんな記憶も、歳を重ねれば、違った見方ができるようになっている。

毎年同じものを見るから、今年の自分がわかるのだろう。
来年はどんな思いで眺めるか?

過去の記憶も、絶対的な状況も、エゴが成長すれば意味合いは変わっていく、というだけのこと。

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ステージ1の絶対的な、「桜」が目の前にある。
ステージ2の相対的な、「桜」が心の中にある。
ステージ3の潜在意識の中に、「私」にとっての「桜」が、この思いを作る。

ステージ4で私が消えた時、全ての「桜」と全ての「人」の接点(全意識)が溶けあって、星(生命)のカケラ(集合)を書き換えているだろう。
ステージ5のひとつの生命(星)へ帰る。
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2016年03月03日

本当の感情

それを、幸せや愛とか慈悲とか言葉の違いはどうでもいいのですが、

幸せを感じることと、幸せになることは違う。

エゴが感じる感情と、エゴを超えた自分が感じる感情がある。

数秘1から9の数秘エゴを超えた、潜在意識、上位意識、セルフが感じる感情が、喜びや幸せではないかと思う。

逆に、数秘エゴの求める、数秘エゴの感じる、幸せや愛は、偽物とまでは言わないが、
その向こうに、エゴを超えた自分が感じる本当の感情がある。
そのからエゴを見れば、今まで、エゴが感じてきた、様々な感情、喜怒哀楽も肯定される。

それに辿りつけてないエゴは、怒り、恨みや悲しみなど、決して許されない思いがあるだろう。

幸せとは、不幸では無いという二重否定ではない。
単純な平和が幸せではない。戦争が不幸なのだ。
平和な中でも、幸福も、不幸もある。

今日はひな祭り、
特に女性は(男女差別?)、ひな祭りに込められた思いなどを想像して
是非幸せになっていただきたい。
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2016年02月14日

幸せについて

この世は、幸せで溢れている。
この世は、不幸と嘆く人もいるけど、この世は、幸せで溢れている。
この世を意識してください。
逆にあまりエゴを意識しないでください。
本当の私とは、この世(現実)の方なのだから。

幸せとは何か?エゴが問うべからず。
不幸とはエゴの感情・感覚だけど、
幸せは、エゴの感情・感覚ではない。
幸せなら、エゴは消滅するからだ。
まわりの全てに感謝し。おかげですと歓喜する。

エゴとは、個別性の意識。
エゴが強いほど、自分が、自分だけが、、となる。
幸せは、回りを含めるので、自分だけではない。
感謝、ありがたさ。意識の広がり、高まり。

人と関わること、そうすれば、「幸せ」が訪れた時に感謝できる人がいるということ。

食事の時の「いただきます。」
エゴから自分の外に意識を向ける儀式。
それは、神社での祈りもそうだ。
エゴ外しだ。

基本「幸せ」という言葉の意味は、人によって様々だ。
でも、エゴの考える「幸せ」をたまには、手放してみよう。

それはエゴが考える「幸せ」は、本当の幸せではなく、単に、物(ステージ1)、心(ステージ2)の足りないものが満たされるだけなのかもしれない。

エゴが鬱になっても、私(セルフ)が鬱になるわけではない。
逆に、私(セルフ)が幸せになるために、エゴは鬱になることもあるかもしれない。

現実(セルフ)側とエゴ側、エゴ側ばかりの利だけを考えれば、本当に幸せにはなれない。

「損して得取れ」この前の女社長さんが言ってた。

私の幸せというものも、時々考え、バージョンアップしていきましょう。

精神的にも、幸せにならないといけないのだ。
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2016年02月04日

立春(2016)

節分が過ぎ、立春を迎えました。

とはいえども、まだまだ寒い。
今日から春に向かうという感じです。

だからむしろ今が一番寒い時期です。

それでも冬至から春分に向けて、太陽は少しずつ高く上がってきています。
日差しは確実に熱を帯びてきています。

今日は、東京からわざわざ2名、ほへと亭に取材に来られました。
そんな大したアレでは無いのですが、、
面白かったです。
今後に繋がれば良いですが、、
無事終わってホッとしてます。

今月2月28日(日)14時〜16時(仮予定)に、京都でボディワーク教室します。
やっと本腰入れていきます。

とりあえずは、やってみないと。
ボディワークの展開も模索中です。
posted by ほへと at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月12日

シンプルに気づく

シンプル。
世の中は本当にシンプル。

ただ、なぜか、それは自らの多くの勉強や経験のみで、シンプルだと気づくことであり、本や人が教えられる事ではないのかな。

分かっていても分からない。

本当に自ら気づくようにならなければ。

迷いは大切。
簡単に分かる答えは、真実ではない。
言葉が同じでも。
解釈(デコード)にはパワーがいる。

だから、同じような言葉に、なんとなくわかったような、意味のない言葉だけを、軽く軽く語ったりする。

シンプルな一言だけど、それを説明するにはどれだけの言葉が必要だろうか。

言葉は伝達できても、それを示すものは、相手が持ってなければ伝わらない。

というかシンプルなことを大きな声では語れない。
一般常識とはあまりにもかけ離れている。

いやそんな気がしている人もいると思うけど、それは言えない。

社会が潰すだろう。

本当に素直に純粋になれば、そうなんだけどね。

自分の人生を、無駄にややこしく考えずに、
無駄に未来を心配せずに。

本当に行かなければ行かない所へ行ってみよう。

シンプルに考えること。

シンプルに気づくこと。

そのために大いに無駄なことをしよう。


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2016年01月09日

神仏のすがる前に強くなろう。

心の弱さというものには、逆に悪魔の仕業のような、つらい経験、試練は必要ではある。

どんなに泣いても、手に入らないものは入らないし、時間を戻すこともできない。

しかし、それは神仏が裏切ったわけでもなんでもない。

力が足りなかったのだ。

「力」とは、総合力で、腕力から知力、財力から権力、人脈から経験。

もっとも大事なのは意志力ではないかと考えている。

そして、運もあるだろう。

要するに、運の部分だけに頼っているだけの人生ではダメダメということ。
同じように、金の力だけ、若さだけ、ではいずれ行き詰まるだろう。

足りない力は、頑張って足していかなければいけない。

自分の意志を実現するために必要な力は何か?
運は必要としても、運だけでは無い。
むしろ、運があるように見えている人は、力があるのだ。

神仏にすがる前に、まずは自力をつけよう。でないと本当の自分の実力がわからない。

自分が力を充分発揮する準備ができてからの、神仏にすがるのが良いと思う。

神仏だけではなく、占しかり、友人知人しかり。

願いを叶えるのは、神仏ではなく、自分ということです。
また、神仏の願いを、自分を通して実現するという稀な人には、さらに心の強さの要求は高い(?)。
posted by ほへと at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

性格と性質

何度か言ってますが、性質と性格の違いは、性格は善悪などを常識で判断したもの。
性質は、純粋な仕様のようなものです。

性質が短気と、性格が短気は一見似ているようで全然違う。
それは、性質が短気は習性や仕様のようなもの。
性格が短気は、褒め言葉ではないですね。

常識
知らない人と、安全に関わるには、常識は必要ですが、
さらに一歩、人と仲良くなったりするのに、一番邪魔なのは、常識です。

要するに、ほへと数秘占いは、性格を良くするのが目的ではなく、性質を活かすことを重要視しています。
占いによって決して、良い性格になることが目的ではない。
むしろ良い性格などになるなというスタンスです。
性質をうまく活かすことが、なにより大切なのです。


自分や相手を、性格で格付けするのではなく、性質として捉えてみよう。
そうすれば、自分も相手も活かしやすくなります。

性格は、人間が作り出すが、性質は神が創りだしたもの。
特に子供を、性格で見るか、性質で見るかで、
しつけや教育も変わってくる。
子供は神の子

また、男女を性格で見るか、性質で見るかもとても重要だと思う。

性格ではなく、性質を捉えるには、「エゴ」を中和して、社会や自分にとって、有益か否かを常識的に判断しないこと、考えないことです。
純粋に、その振る舞いを、見つめるのです。
そして、こういう生き物なのだ、こういう仕様なのだと気づいていくことです。
これは、ほへとのいう、純粋な観察力や洞察力です。

変な意図を持って、上から人を観察したり洞察するのは、監視やスパイのようなものです。

理解し合うこと。
お互いの性格を理解し合うのではなく、
どうすれば、お互いの性質を理解し合えるか?
うまく自分をさらけ出したり、甘えたり、迷惑かけたり、
流してみたり、受け入れたり、が大事。

そして、上手に生きていきましょう。

つまづいても、いいじゃないか、性質だもん、 ほへと
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2015年12月14日

動物と癒やし

動物には癒やされる。

実は、動物は非常に癒やされるのだ。

そんなことはわかっているとは思うけど。

どうしても、世間は、植物=自然という意識がある気がする。

しかし、動物がいる自然が癒やされる、
動物もいない自然は結構過酷な環境ということだ。

動物園、野鳥園、水族館など、あまり気にしてない人も、思い出したように行けば結構面白いと思う。

人間が忘れてしまった、大切なものを、無意識(テレパシー)で教えてもらえる気がする。

そういう意味では、逆に残酷と思われる、その動物を食べるという行為は、決してその動物を嫌いではないということだ。

まぁヘビーな例えとして、イルカなどがあると思うが、イルカを食べるから、イルカを嫌いではない。

鶏も、鯖も、牛もブタも、、はたまた、米や野菜、

我々が食すものに、敬意を表さないものは無い。


そういう意味では、動物は、愛玩的にも、味覚栄養的にも、人間の役に立っている。
そのことに、感謝し、愛情を返すような気持ちが大切だと思う。

何より、その生命を頂いている我々の生き方に、襟を正さないと行けないと思う。

動物が全て食用でも、植物が全て食用だから栽培しているのではない。

その癒やしを得て、もう一歩有意義さを求めたい。


posted by ほへと at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月12日

箱と中身

現代社会からの見た目→箱
自分自身の力→中身

どうか、箱の中身を充実させて欲しい。
箱はどうでもいい。もしくは中身に見合った箱ならいい。

大体、そんな若くで、箱を求める生き方をしない方がいい。
若いなら、ちゃんと中身に納得できるまで、外箱に力を注ぐべきでないと思っている。

外箱が中身を作るということは無い。

中身が大事で、外箱はどうでもいいのだ。(無くてもいいとは言っていない)

人目を気にして生きないために、
どうか力(中身)を付けて下さい。
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2015年12月03日

運を上げるには?

運というのは、なんだろう?

サボってる人間に、チート的な力を与えるものか?

やはり、何かしら、チャレンジしたり、行動した結果、思った以上にいい感じになったな。というものではないか?

要するに、動かない人には、運は来ない。

占いすることは、運を上げる事でも何でもない。
占いの結果、何かしら行動した結果、良くなる。開運するということだ。

まぁしかし、世の中、慎重というか、疑り深いというか、

よくアドバイスした内容に関して、絶対それで良くなるのか?と聞き返す人がいる。
それで、悪くなった人はいないのか?、中には責任持てるのか?と聞く人がいる。

占いという性格上、全員に信じろとは思ってないし、そういう努力もしない。
まぁそうしたら、そのまま行くとこまで行けばいいのだが、、
それにしても、占いに来て、責任持てるのか?というのは、ある意味それだけ占いが信用されているとポジティブに考えるが、、

ちょっと考えて欲しい、

逆にすべてが成功する。絶対に失敗しない。信用してくれ。
そこまで言われなければ動けない人は、そもそも運が無いと言い切れるのではないか?

判断するのは、壁にぶち当たってからでは遅い。
壁にぶち当たって、初めて行動を起こすような人に、運はやってこない。

幸運は、全員にやってこない。
それをつかむなら、失敗する心配より、成功するかもしれないチャンスに動けるかだと思う。

もし、神さまがいるなら、積極的な人に、運を与えるはずだ。
なぜなら、そうしなければ、世界は前に進んでいかないからだ。
と思う。
posted by ほへと at 19:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

治癒力とエゴの暴走

病気は、いろいろな原因で起こります。
その中で、大事なものが、自己治癒力です。
身体は、科学で治るのではなく、自然治癒力で治るのです。

しかも、治癒力は、病気になる力よりも本来は強いものです。

それでも、病気が悪化していくのは、治癒力を邪魔しているものがあるからです。

食べ過ぎなどの暴飲暴食や栄養の偏りなどの原因は数々ありますが、

その中でも、大きなものに、「エゴ」の暴走があります。
エゴの機能である、欲望、思考、感情。
欲望の暴走は、欲しいという激しい思い。
答えの出ない苦悩、感情の中で最も悪いのは、恨みです。

エネルギー、生命力を大量に消費します。

ある病気の方と話した時に、感情の不安定さがわかります。

治りたい一心で、いろいろな事を試そうとします。
気持ちはわかります。

感情を抑えること。

エゴをコントロールすることは大切。

エゴの暴走は、病気を引き起こす。

不満な世の中だろうけど、不満不満で、さらに病気になる。

セルフから、エゴを睨みつける。
そうすれば、エゴはおとなしくなる。

病気を恨んでも、他人を恨んでも、治るものも治らなくなる。

難しい病気ほど。難しい心の問題がある。

恨まないためには、強くなるしかない。

祈るような気持ち。感謝。いろいろあるが、

まずは、無心になること。

何も考えない時、一番治癒能力はあがります。
posted by ほへと at 18:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

選択ミスと結果

人間の成長というのには、経験が必要ですが、経験とは、壁にぶつかった数が重要ではありません。
どういう選択点を、どう選択してきたか?が大事です。
また、同じように見えても、人生にまったく同じ選択点もやってこないので、
成功イメージに囚われると、選択ミスをしてしまう。

壁にぶつかったのは、自分の選択ミスだが。
それを、壁にぶつかった痛みから行動をすれば、また選択ミスを繰り返す。
特に壁に向かって、感情をぶつけても意味は無い。

あくまで、壁にぶつかった理由を探り、今度のための経験にしなければいけないが、痛みという感情にこだわれば、冷静に分析ができなくなる。

ちょいと例をいうと、食べ過ぎて腹痛になる。というのがある。

事の問題は、食べ過ぎであり、腹痛は結果だ。
食べ過ぎないように、選択する余地はあったが、選択ミスをしたのだ。

腹痛というメッセージに対して、食べ物や店を責めたり、薬で治すから大丈夫では、人間成長しないということ。

また、常に、ベストな、または腹痛にならない食べる量というのは、一定ではない。
体調や年齢によっても変わる。
だから、最近胃腸薬を飲みだした。歳で胃が弱ったからね。というのではダメだということです。

特に、オリジンタイプB、数秘2,6の人は注意してください。
posted by ほへと at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月11日

マイナンバー

11月11日
ゾロ目ですね。
ちなみに、今日生まれた人は 3 EX Std4 となります。

11といえば、11桁で、マイナンバーというのがあります。
12桁?実はあれは中身は11桁で最後の一桁は、1桁の検査用数字とのことで、
番号の入力ミスを防止するチェックサムのようなものらしいです。

だから、もし、マイナンバーの数秘など出そうなどと思う場合は、12桁で出してもダメなのですね。

間違っても、ネット上で、マイナンバー占いや、マイナンバー数秘などがあっても、絶対、自分のマイナンバーを入力してはダメですよ。

最近は、マイナンバーに関わる可能性のある、セキュリティー会社に、変なのがいるとかいたとかで、
やっぱり、マイナンバーで一括した個人管理は危険な気がします。
特に、こういうネット時代は、、と思うのだが、、

マイナンバーまだ来ていないけど。

将来は、監視カメラに映る、自分の頭の上に、この番号が載っているのでしょうか?
posted by ほへと at 14:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月08日

若者は夜更かししろ

若かかりし頃、ある和尚さんのアドバイス。それは意外に常識的に真逆的な話だった。

「若いものは、夜更かししろ。夜中に仲間と語り合え。夢を語り合えと。」

まぁ和尚に言われなくてもそうしていたかもしれないが、その言葉で罪悪感なく、夜更かしすることになる。

また和尚はこうも言った。
「グループの中で1番になり、違うグループの1番と交流していけとも。」

違う世界の人は、敵対するものではない。同じグループだから同じレベルではない。

うーむ、ほへとはグループではなく個人を見るように心がけている。まぁどのグループでもおかしなヤツはいる。(いい意味)

違うグループでもレベルの合う人はいる。やってること信条が違っても。

「グループを作っても、そのグループで満足するな。違うグループと交流しながら、互いに必要な出会いを探し。

自分のレベルを上げていけと。」

最近の若者は、あまり呑みにも行かないそうですね。
無駄なことだと思うけど、意外と役に立つことは後で気づく。

刺激だけでない。
たまには期待せず呑みに出よう。

壁にぶつかった時に、
そもそも、動き出そうという時に、
「やり方がわからない」
ということがある。

そういう時に経験というのが大事だけど、
他人の酒の席でしか聞けない他人の経験というのは、
以外に役に立つ、というかみんな昼間は涼しい顔をしているけど、
本当は結構いろいろあるのだなと知れることは大事だな。

またそういう話のできる店はよい店と思う。

まぁ時間もコストも掛かるかもしれないが、人に会うことは、何よりも大事だと思う。
posted by ほへと at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月04日

同じ考え方。

考え方が同じという気持ち悪さ。
同じ考えの集まりは好きではない。

また、考え方で人が決まるものではないと思っている。

いろいろな考えも、それは自分を変えることはできない。
考えが変わっても自分は自分。

しかし、行動が変われば、あなたは変わったのだ。
例え、考え方は変わらずとも。

環境が変わったなら、あなたは変わったのだ。
例え、考え方は変わらずとも。

だから、あまり人の考え方に興味はない。
それより、どういう生き方、行動、出会いがあったのか?

宗教や政治団体などあるが、話すときは、人対人でしたい。
そういう意味で、同じような考えの人ばかりと固まっている人の主張はあまり耳に入らない。

どういう人が回りにいるか、付き合っているか、集まってくるか。
そういうところを見ていけば、考え方など、重要ではない。

考え方もエゴのひとつであり、その人の本質ではない。
その人がその考え方を、活かせているのか、活かせてないのか、むしろマイナスなのか。

そして、考え方は、その人の人生や経験を表すとても大切な物で、簡単に人に強いれるものではないと思っている。
posted by ほへと at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月02日

対人関係と主体性

よく、対人関係を外交問題と例えて話すのだけど、

国対国なら、互いの文化や価値観が違います。
しかし、同じ社会に住んでいると、自分の考えと相手の考えをごっちゃにしてしまいます。
だから、何かあると、あの人は、何々が常識ない、私は正しいでしょ?となる。
また、やたら回りの人に、同意を求めたりしがちです。
「あの人が悪い、あの上司がおかしい」など。

相手と自分は実は、全然文化も価値観も違うものです。
しかし、そういう人と関係を持つことでメリットが有るわけですね。
もし、一方的に、メリットが無かったり、デメリットばかりの属国のような扱いなら、対等な対人関係ではないわけですね。

よく、ほへとがアドバイスするのに、自由に自分の感情で決めたらいいやん。
しかし、決めるときは、自分の責任です。

相手や、回りから言われたなど、ではありません。

自分で、自分の判断で、決められるか?

また、判断を無理に思考的、弁護的に考える必要ありません。
自己弁護は、自分を被害者にしてしまい、自分の主体性を失ってしまいます。自分を失います。
無理に理由づけして、自分の正当性を示しても、そんなのは本当はどうでもいいです。

自分の感情に聞いて、、相手と自分との関係がマイナスなら、関係をやめたらいいのです。
多少問題があっても、関係をやめるほうが、マイナスになるなら、関係を続けたらいいだけです。

そう感情に聞いて、我慢できるなら、文句言わずに。
我慢できないなら、自分が主体性を持って、判断して下さい。

対人関係の下手な人は、主体性のない人が多いです。
単に、人間関係の輪や、何かのグループに属していれば安心するというだけでなく、
しっかり主体性を持って、人間関係を作っていきましょう。
posted by ほへと at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月29日

文章

文章というのは難しいですね。
(人が)分かり易く解釈してまとめられるとまったく違うものになる。
その点、「詩」というのは、素晴らしいですね。
文章も、詩のような文章が理想です。

抽象的なものを、文章に表すとき、分かり易く具体的に書きすぎると、大事なポイントが消える。
できるだけ、抽象的に書いて、解釈は、読み手のレベルに委ねる。そういう書き方が好きだな。
実際そういう書き方だ。

どこかに、その人のレベルで解釈できる余地を残す。

それが、何度でも読める、読む価値のある文章や書籍だと思う。

狭いターゲットに絞った文章は立ち読みや、読めば捨てられる。

とはいえ、ほへとの文章は全然むちゃくちゃで、具体的なようで詩的なので、
意外と昔の記事を読めば、新たな発見があるかもしれません。
(まず、誤字脱字直せよ)
posted by ほへと at 22:06| Comment(2) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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