2016年09月16日

友人は暇つぶし

友人をうまく作れない人は、友人というものを誤解している。
友人とは、尊敬や、分かり合える、信頼できるなど、いきなり意味不明な定義をしない。
だから、信頼を裏切り裏切られたら、分かり合えなかった、など変な心配して、最初の一歩が踏み出せない。
友人を作るのは、単に、暇つぶしで。遊びなのだ。

時間と空間を共有し、時には、尊敬し、時にはバカにして、長い期間を経て、わかり合うとか、信頼などが生まれる。

子供が、友達を作るのに、あれこれ考えない。
友人を作るのが下手な人は、考え過ぎの傾向を感じる。

長い人生、暇つぶしは重要。
posted by ほへと at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月02日

低糖質生活と脳

低糖質生活は快適で、すでに炊飯器は片付けました。

実は、低糖質生活を始めたきっかけは、ダイエットでも健康目的でもありません。

人間の本質は何なのか?
エゴ→セルフ

そして、セルフを越える意識境地を垣間見た時、
一般的に人間の本質と思われる部分が、実はまったく違う事に気づく。
別に神秘体験というより、思考が行き着いた理論的答えでもある。(ほへと数秘論)

身体には、自らの意志で動かせる手足などと、内臓のように自律的に動いている部分がある。
一般的には、脳を生かすために、内臓が存在していると考える。
脳が自分自身という考えだ。脳死という言葉など。

ところが、生命側から見ると、60兆もの細胞を生かすために内臓が存在しているのだ。
細胞は、太古の海の成分に似た環境を血液から得ている。
また、子宮内の羊水もまた太古の海の成分なのだ。

細胞は、太古の海から出られたのも。内臓という生命維持装置のお陰で。
内臓は、生存能力そのものなのだ。

身体を動かす、運動能力は脊椎動物の特徴だ。
眼の出現は、その画像認識→判断処理→行動命令という脳の機能を生み出した。
さらに、哺乳類となり、それまで無意識・機械的な行動が、心によっても、感じ、考えて、行動するようになる。
最終的には、我々人間となり、文明社会のルールの海で、もがきながら泳いでいる。

これは、ステージというほへと数秘論の概念で表すとこうなる。
ステージ5 細胞
ステージ4 内臓
ステージ3 セルフ:身体(脊椎動物)
ステージ2 エゴ:心(哺乳類)
ステージ1 文明社会ルール

道元の禅(只管打坐)は、「身心脱落」の為に只座る。
頭で悟るとかそういうのは一切考えない。
それってまさしく、ステージ4の境地への行き方だ。
また道元は「自分を習うことは、自分を忘れることだ。」という有名な言葉を残しているが、
これもまさしくだ、
結局悟りの道というものや、精神的に向上、アセンションなどいろいろな言葉はあるが、
単に、進化の歴史を遡ることではないかと思っている。

そうそう、話がそれてしまうが、
ようするに、低糖質の食事は、脳の抑制なのだ。
「私」の持ち主を、脳から開放する。
posted by ほへと at 22:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月22日

運が悪いというより

運が悪いというより、マイナス運が強い。

分かりやすい例では、健康運。
健康な運を求めるより、マイナス健康運な、ストレスからいつも胃薬飲むような日常を見直す。

何かの運を上げる前に、その運を下げる意志を持って行動していないか?

もちろん、上辺では、「お金が欲しい」「パートナーが欲しい」と言うだろうが、
実際の行動を見れば、それは逆の努力をしていないか?という場合もあるということ。
相談者が、こういう運が欲しいという場合、その前にブレーキを外せとアドバイスする。

金運が無いという人の中には、貧乏運を呼ぶわという、ネガティブな考えがある。
「お金」という言葉を発した時に、ネガティブな感情が湧いたりすればそう。
無意識にお金に苦労する行動をしている。

人脈運のない人も、繋ぐ前に、切られることをやっている。
人脈は人と人を繋いで得られるもの、人の紹介を自分の縁と誤解しない。
要するに、友達の友達は、友達ではない。

異性運のない人も、せっかくできたパートナーを無駄に疑ってダメにしてしまう。
違う極を意識できれば、極同士引き合う。また違う極を意識するために出会いは起こる。
それを自信がないと、上辺のエゴが台無しにする。もったいない。

何かの運が欲しいと思ったら、逆の努力をしていないか確認して下さい。
その努力をやめれば、マイナス運はなくなります。

ポイントは、「欲する」よりも「受け入れる」という事。
お金、人、パートナーそのものを見るのではなく、自分とそれらの関係、接点をみよう。
自分とそれらが、何を生み出しているのか?
「〜が欲しい」を単純所有的な発想ではダメ。
posted by ほへと at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月09日

人間関係の必要性

人間関係をうまく作れない理由として、その人を固定化して見てしまう事がある。
その人は、こういう人だと、定義してしまう事だ。
これは、良くない。
人は、常に流動的に変化していくもの。

前に仲良かった人と、突然今は嫌いだった人とつるんでいるかもしれない。
突然グループから離れることもある。

その人を自分の思い通りにしたいなら、それは友人ではない。
その人の選択を尊重してあげること。
それが友人というものです。

そういう意味でも、あまりその人の上っ面の部分に意識を合わせないことです。
そうすればより、お互いの深い部分を、場に出すことができるということです。

見た目以上に、いろいろなことを人は隠し持っているものです。

人を理解したい気持ちは大事だが、決して理解することはない。

一番大切なことは、その人の事を、「理解」したと思わないこと。
その人を理解することはできない。
その人の何もわかっていない。
なのに、理解したと、うぬぼれ、誤解した時が、自分の器の限界であり、
やがてその人が去ってしまう原因になる。

同じように、自分自身の事を、何もわかっていない。
自分の事を「理解」したとうぬぼれ、誤解している人には、人間関係が必要ないのだ。
どれだけ、自分を理解して欲しいと思っても、人はやってこない。

本当に、自分を見つめたいと、理解したいと思うとき、必ず人間関係が必要となります。
posted by ほへと at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月06日

まったりと話しませんか?

ある人の会話で、まぁざっくり言うと、アメリカのなんとか?って人の(細かいところは忘れた)100年に渡る研究で、幸福感というのは、金銭的な裕福の格差でなく、対人関係の充実にあるという話。
要する、金持ちでも、貧乏でも、対人関係の豊か人は幸せで、金持ちでも貧乏でも、孤立していては、等しく幸福感が低いということ。

一生懸命働き、スキルアップ、キャリアアップし、マンション購入し、これで老後も安泰という人生を歩もうとする人は多いと思う。

問題は、そういう人のうちで、仕事以外の人間関係が極端に少ない人。
そんな人は未来のお金の心配はわかるが、友人関係をもっと開拓した方がいい。
鑑定して、たまにそういう人に出会う。

大げさではなく、将来のための老後の貯金のようなものを、
今もっと、友人を作るために使うべきだと思う。まぁそうアドバイスはするが、、

人間関係が少ない人は、自分が思っているよりも我が強い。
我の強い人は、孤立しやすい。場に入っていけない。
話に、楽しさがない。生命感がない。
普通にまた会おうと、思えない。

話というのが重要。
ヒントとしては野生を忘れている。

4歳児にもなると本当によく話す。(野生児)

1歳児が、初めて立って、初めて歩いて、そのただ歩くことだけが、驚きで、発見で、楽しいことなのだろう。
同じように、話すことも、それ自体が、楽しいことであり、幸せなのだ。

常識という檻の中で、それを忘却し、野生はくたばってしまったのか?

ステージ2(野生有り)で話している人と、ステージ1(野生無し)で話している人の差がある。

ステージ1は人間の文明社会。常識の世界。
よそよそしい話に質問、遠慮がちな、要らない気の使いはある。
場を無視して、考えて(意識が内向き)話そうとする。考えて、話せるものではない。
話された方は、このエゴ(ロボ)な部分に合わせないといけないので気疲れする。

ステージ2は、心、哺乳類の性質、野生。
リラックスして、思ったことを、話せばいい。
動物や鳥が、鳴き合うようなこと。それが基本。
多少喧嘩しても良い。
目的など無く、ただおしゃべりしているだけで幸せなのです。
空間が、場が、話題を作る(意識が外向き)。そういう状況の変化の中、話題が自然と出てくるものだ。


頭が良ければ、お金は稼げるかもしれないが、
心許せる友人やパートナーを作ることは別問題だ。
もっとお金を使って、友人達の多い人から学ぶべきだ。

(何故か友人を作るのは、友人だから無料と思っている、勝手にできると思ってる)

金銭に余裕があっても、幸せでないなら、そんな人を上から見るべきではない。
ステージ1で勝っても、ステージ2で負ければ、肝心のステージ3では勝てないのだ。

RPGのような虚像な世界ではなく、ステージ2で、ステージ3で交流してみないか?

本当に謙虚さと、適当なバカさは必要だ。

最初の話ではないが、年収月収が、肩書が、幸福感を作るのではない。(安心ではある)

まったりと心から話せる友人関係を生み出しましょう。
posted by ほへと at 18:08| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月16日

「現実」と「場」

唯識的に、この世界が存在するのは、私が見ているからだ。

しかし、私が、世界と思っている世界は、自分だけのプライベートな世界で、他人の世界とは違うのだ。
絶対的な世界を、個人は主観的にしか感じることはできない。

ほへと的に、個人的な世界を「現実」という表現を使っている。

世界対自分の関係だけでは孤独で寂しいものだ。

複数の人々の現実が折り重なっている世界を「場」と呼んでいる。
コミュニケーションは、この絶対的な世界で行われているのではない。
他人という個別の別世界の住人と関わっているのだ。

目の前に他人がいても、手の届く距離に、他人のエゴ、セルフはいない。

たまに、小さいお子さんに手を焼いているお母さんに、チビちゃんの気持ちを勝手に推測する前に、チビちゃんから見たこの世界をイメージするようにいいます。母親目線ではなく、チビちゃんになりきってみる。

そうして、自分だけの「現実」から、「場」を意識していく。
「場」が、良い場になるように、プロデュースしてみる。

逆の、自分の現実だけに執着することはダメ。
「場」から浮いてしまう。

「場」を良くするのです。
もっと積極的に「遊んでみる」、もっと「要求してみる」
もっと、いろいろ引き出してみて下さい。
お互いの世界が広がります。

「現実」は、エゴ個人だけの世界のこと。
「場」は、複数の人の現実の交わり。
「世間」は、多くの場の集合。
「世界」は、すべての人の現実を合わせたもの。
的な感じ。
posted by ほへと at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月14日

最近のツイートから(160614)

最近、なかなかまとめられないが、Twitterでメモ代わりにツイートしたものをブログに投稿します。
気になる人は、ほへと(@standing_art) Twitterでフォローして下さい。


夢がない→シビアな社会常識に潰されている。

常識的な成功は、あなたにとって成功ではない。
お金があれば安心し、お金がなくなれば不安になる。
常識的な成功(妄想)を求めようと思いつつ、結局逆の常識的な不幸(妄想)を避けることを求めてしまう。

頭で考えたこと、→ダメ。
内臓で考える。命を活かす。
頭を喜ばすのではなく、全身の全細胞を喜ばす。
嬉しいという上位感情、「歓喜する感動」を求めよ。

人と会うこと。夜話し込むこと。
夜の非常識で昼の常識に対抗する。

とりあえず、作ってみる。世に出してみる。形にしてみる。
インスタンス。現象化。
現象化できれば、次のアイデアが生まれる。

頭は、自分に都合良く考える。または、否定に考える場合もあるだろう。
結局後からくる事実は、考えていたこととズレる。

正しく生きる。の正しいを、社会ルール(ステージ1)、自分の本心(ステージ2)、人生の生き様(ステージ3)、のどれを指しているのだろうか?
社会ルール(ステージ1)に合わしている、ロボット人間は、目を覚まさないと大変だぞ。

人生で好きなことができれば、それは嬉しいことだ。
それと、好きなことだけする人生とは、ニュアンスが違う。
問題は、「好きなこと」という目標がわからない迷い人だ。

生命は強いものが生き残る反面、
幸運なものが最後まで生き残る。

運を上げて、第8波動を乗り切るという感じではなく、
第8波動でいかに実力を発揮できるか?が重要です。

数秘10以上が難解という意見は多々頂きます。m(_ _)m
目に見える数秘1〜9のエゴが自分ではなく、潜在意識の数秘11が本当の自分。

どの数秘何がいいとか悪いとかの問題ではない、世間から見えない、数秘11部分の為に、現実も顕在意識のエゴも存在する。
数秘11部分がしっかり出来ているなら、一件幸せに見えても、一件不幸に見えても問題はない。

エゴにとって、エゴが変わることは、自分が消滅するに等しい。
故に、我の強い人は、自分を変えようとしない。ブーブー文句は言うが。

環境の変化は、エゴの進化ではない、人間としての進化ということ。
エゴを0ベースで再構築するくらいの気合をいる。
まぁ今はあまり使いたくないが、生まれ変わった気持ちというやつだな。

進化が求められている環境で、エゴにこだわれば、、適応できずに滅ぶ。
適応は、自分を捨て、新たな自分を引き出すこと。エゴは本来、水のように無形である。

一番大事なのは、運、運命を信じる。信じるというのは思い込むことではない。
この環境を本当の自分「セルフ」が求めていたのだと理解できるか?
もしセルフが導いたなら、自分は必ずうまく行く。その能力は内に備わっているはずだ。

ステージ3の魚類(脊椎動物)は、多くの卵を産み、種の存続が重要と見える。自然淘汰。環境適応。神道的な感じ。自然の一部。神の一部。

ステージ2の哺乳類となると、種ではなく、自分が重要となる。ここにエゴ的な問題と感情的な問題が発生していく。仏教的だ。
感情が中心の生き方である。

ステージ1に人間の文明となると、神は金か?、法か?。
ここのみの生きることは、確かに地獄であり、助からない。
大脳が中心の生き方である。
生命からすれば、大脳は内臓より優先順位が低い。


ほへと(@standing_art) Twitterでフォロー

posted by ほへと at 20:45| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月30日

社会ルール、「所有」

社会ルールというものを考えた時に、かなり強力に「所有欲」が存在する。
それでも最近は、「個人所有」から「シェアリング」というのも増えてきました。
音楽などのソフトも、「所有」から、「ストリーミング」という形態に進化してきました。
PCのデータもクラウド化の時代です。

そもそも、所有というルールを考えた時。
人間の世界(ステージ1)では、所有者、所有物というのが明確になっている。
何を所有するか?より良いものを所有することが「幸せ」に映り、それに憧れる。

ステージ1は物の世界。良い物を所有することがステータスの世界。ものと交換できる「お金」は重要と考え執着する。
でもお金で幸せを生み出しているか?

ステージ2は心の世界、ここには「物」は存在しない。記憶という思い出や想像の世界だ。存在するのは「事」なのだ。
心を豊かにするということは、「良い物」の所有ではなく、「良い事」の所有。

高次の世界(ステージ3)では、心(ステージ2)での経験が気付きとなり「智」が生まれてくる。
ここから考えれば、現実の「物」を所有するというのは、どうでも良い。
ここ「セルフ」という本当の自分ある意味で言えば、「魂」というべき場所。
魂を朽ちらすな、魂を肥やすには、「物」のみに囚われてはいけない。

別荘を所有していても、結局使わなかったら、所有していないのと同じ。
逆に、知人の別荘を借りられたら、その時は所有しているのと同じ。

突き詰めて考えれば、「所有」というのは、幻なのだ。
むしろ、所有したことによる、「油断」が生じて、それをしっかり感じることが薄れてきていないか?

感じたものは、全て自分のものだ。
感じてないものは、自分のものではない。

感じるとは、五感とは、現実であるステージ1を、心のステージ2に引き上げることだ。
「物」から「事」に変えること、そこではじめて、「私だけのもの:事」になる。

例えば、実際に所有していないものでも、バーチャル(仮想)的に所有しているとイメージしたり、
所有しているものでも、「これは自分のものではない」、と自分に言い聞かせてみたり。

それを発展していれば、全てを所有していないという境地に達すれば、それは逆に全てを所有しているという感覚におちいる。
太陽の日差しの温かさ、風の気持ちよさ、この街も、この世界も、感じているなら、実は全て自分のもの(思い出)なのだ。

まぁ単に自分は自然の一部ということ。自然(世界)が誰かの所有物ということが問題だ。

一度、「所有」とう社会ルールを少し考え疑ってみてください。
posted by ほへと at 20:58| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月13日

器官や臓器、ステージ4レベルの意識

人間には、各現実(ステージ1)、心(ステージ2)、潜在意識(ステージ3)という個体の意識があるが、その上に個体を超えた、集合意識(ステージ4)がある。

実は、私たちの各身体には、器官や臓器、多くの組織などが集まっている(ステージ4)。
もとはひとつの受精卵(ステージ5)から始まっている。

そんな身体は、体内の器官や臓器は、
傷ができても塞がり、病気になっても治癒する。
治そう、生きようという意志を持っている。
それらは、病気等に対して倍以上の治癒力がある。
でなければ、私たちは生きられない。

ステージ4レベルの意識が、ステージ2レベルのエゴ意識を見てどう思っているのだろう?

ステージ4は、集合意識の世界。個別の意識ではない。
自身の身体の器官や臓器、細胞達にもし意識があるなら、その膨大な意識達を、一つの集合意識として感じてみよう。

今日は、きれいな夜空だった。月も星も空もきれいだった。
何を意識しているのかは、我々のエゴ意識ではわからないけど、少しは、この身体、器官や臓器、細胞の為に、生きてあげようか。
肥田式のトレーニング後そんな事が頭に浮かんでいた。
posted by ほへと at 12:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月13日

チャレンジ

昨日、東京から着物の若旦那の友人が京都に来てて、若旦那の工房メンバーと友人たちが集まって、居酒屋で呑んでいた。

みんな、楽しく呑んでいる仲間だけど、みんな人生や仕事には、悩み迷い、そして頑張っている。

自分の経験を言えば、最初はコンピューター系ITで世に貢献したかった。天職にしたかった。
何故か、一見、理系なコンピューターと真逆の「占」を生業としている。

大体、今の社会を見ても分かるのだが、、
実は、生きていくには、それほど働く必要はない。
これは本当に良いことだ。

えっ?と思う人もいるともう。

幾つかの仕事は、実は必要ないのだけど、雇用を生み出すための仕事というのがある。

この世界(現実)で生きていく最低限必要なことは、衣食住だ。

ほんの100年前以前は、衣食住のために人口の大半が働いていた。

こういうことはあまり言いたくない部分ではあるのだが、
日本はなんだかんだ恵まれている。
不平不満をブヒブヒいうのもいいが、もっと良い部分を見つけて欲しい。

理屈や常識ではなく、「幸せ」になるのに、誰かを悪者にしてはダメ。
生きていることと、幸せは違う。

社会や常識が幸せにはしてくれない。

死なないこと、ではなく、幸せに生きることにフォーカスするにはどうすればいいか?

存在している理由はある。

そんな感じで、チャレンジは大切です。

一時は大変になるかもしれないけど、

現実を見れば見るほど、動けなくなる。
心の感じるものを信じて動くことが、後の幸せに繋がる。(とアドバイスはする)
posted by ほへと at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月06日

桜を眺めつつひとりごと(2016)

DSC_0863.JPG
最近のお気に入りは、スマフォに広角&接写スマホレンズ(DIMEのオマケ)で撮影することだ。
デジカメは見事に現実を写してくれるが、このセットの低い解像感も歪みも、心を写してくれている感じがするからだ。

DSC_0856.JPG
私とあなたが、ステージ1(現実)でまったく同じものを見ても、ステージ2(心)では、まったく違うものになるのです。

DSC_0857.JPG
桜は、身体を通じて、ステージ2の心に映っている。
視覚は、五感というものは、ステージ1の情報をステージ2に伝える。
現実の情報を、心に伝えるために脳内で変換する。

DSC_0872.JPG
心に映る映像は、各個体の見方を作り出す。
そこに、何かしらの思いも添付されるのだろう。
散る花びらのように、それもきっと忘れてしまうだろう。

DSC_0880.JPG
もし、ステージ1の現実という世界が幻なら、実際この目の前の桜は存在しないということなのか?

唯識では、私が見るから(意識するから)、「桜」は存在するという。
まったく桜に興味が無い人には、「桜」は存在しないということ。

DSC_0885.JPG
同じ風景を見ても、人によって意識する場所は個々に違う。
まったく同じ場所を見ても、「思い」は違う。

DSC_0892.JPG
あいつは、どんな「思い」で、桜を眺めていたのだろうか?
同じ桜を眺め、酒を呑んでいたのに、それがわからない。

DSC_0889.JPG
毎年、眺めるが、同じ形の花の形を、飽きずにいくつも眺めるものだ。
意識は花びらを見つめて、湧き出る思いは、確かに毎年違う。

ある日の絶対的な状況、そんな記憶も、歳を重ねれば、違った見方ができるようになっている。

毎年同じものを見るから、今年の自分がわかるのだろう。
来年はどんな思いで眺めるか?

過去の記憶も、絶対的な状況も、エゴが成長すれば意味合いは変わっていく、というだけのこと。

DSC_0898.JPG
ステージ1の絶対的な、「桜」が目の前にある。
ステージ2の相対的な、「桜」が心の中にある。
ステージ3の潜在意識の中に、「私」にとっての「桜」が、この思いを作る。

ステージ4で私が消えた時、全ての「桜」と全ての「人」の接点(全意識)が溶けあって、星(生命)のカケラ(集合)を書き換えているだろう。
ステージ5のひとつの生命(星)へ帰る。
posted by ほへと at 21:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月03日

本当の感情

それを、幸せや愛とか慈悲とか言葉の違いはどうでもいいのですが、

幸せを感じることと、幸せになることは違う。

エゴが感じる感情と、エゴを超えた自分が感じる感情がある。

数秘1から9の数秘エゴを超えた、潜在意識、上位意識、セルフが感じる感情が、喜びや幸せではないかと思う。

逆に、数秘エゴの求める、数秘エゴの感じる、幸せや愛は、偽物とまでは言わないが、
その向こうに、エゴを超えた自分が感じる本当の感情がある。
そのからエゴを見れば、今まで、エゴが感じてきた、様々な感情、喜怒哀楽も肯定される。

それに辿りつけてないエゴは、怒り、恨みや悲しみなど、決して許されない思いがあるだろう。

幸せとは、不幸では無いという二重否定ではない。
単純な平和が幸せではない。戦争が不幸なのだ。
平和な中でも、幸福も、不幸もある。

今日はひな祭り、
特に女性は(男女差別?)、ひな祭りに込められた思いなどを想像して
是非幸せになっていただきたい。
posted by ほへと at 18:06| Comment(4) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月14日

幸せについて

この世は、幸せで溢れている。
この世は、不幸と嘆く人もいるけど、この世は、幸せで溢れている。
この世を意識してください。
逆にあまりエゴを意識しないでください。
本当の私とは、この世(現実)の方なのだから。

幸せとは何か?エゴが問うべからず。
不幸とはエゴの感情・感覚だけど、
幸せは、エゴの感情・感覚ではない。
幸せなら、エゴは消滅するからだ。
まわりの全てに感謝し。おかげですと歓喜する。

エゴとは、個別性の意識。
エゴが強いほど、自分が、自分だけが、、となる。
幸せは、回りを含めるので、自分だけではない。
感謝、ありがたさ。意識の広がり、高まり。

人と関わること、そうすれば、「幸せ」が訪れた時に感謝できる人がいるということ。

食事の時の「いただきます。」
エゴから自分の外に意識を向ける儀式。
それは、神社での祈りもそうだ。
エゴ外しだ。

基本「幸せ」という言葉の意味は、人によって様々だ。
でも、エゴの考える「幸せ」をたまには、手放してみよう。

それはエゴが考える「幸せ」は、本当の幸せではなく、単に、物(ステージ1)、心(ステージ2)の足りないものが満たされるだけなのかもしれない。

エゴが鬱になっても、私(セルフ)が鬱になるわけではない。
逆に、私(セルフ)が幸せになるために、エゴは鬱になることもあるかもしれない。

現実(セルフ)側とエゴ側、エゴ側ばかりの利だけを考えれば、本当に幸せにはなれない。

「損して得取れ」この前の女社長さんが言ってた。

私の幸せというものも、時々考え、バージョンアップしていきましょう。

精神的にも、幸せにならないといけないのだ。
posted by ほへと at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月04日

立春(2016)

節分が過ぎ、立春を迎えました。

とはいえども、まだまだ寒い。
今日から春に向かうという感じです。

だからむしろ今が一番寒い時期です。

それでも冬至から春分に向けて、太陽は少しずつ高く上がってきています。
日差しは確実に熱を帯びてきています。

今日は、東京からわざわざ2名、ほへと亭に取材に来られました。
そんな大したアレでは無いのですが、、
面白かったです。
今後に繋がれば良いですが、、
無事終わってホッとしてます。

今月2月28日(日)14時〜16時(仮予定)に、京都でボディワーク教室します。
やっと本腰入れていきます。

とりあえずは、やってみないと。
ボディワークの展開も模索中です。
posted by ほへと at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月12日

シンプルに気づく

シンプル。
世の中は本当にシンプル。

ただ、なぜか、それは自らの多くの勉強や経験のみで、シンプルだと気づくことであり、本や人が教えられる事ではないのかな。

分かっていても分からない。

本当に自ら気づくようにならなければ。

迷いは大切。
簡単に分かる答えは、真実ではない。
言葉が同じでも。
解釈(デコード)にはパワーがいる。

だから、同じような言葉に、なんとなくわかったような、意味のない言葉だけを、軽く軽く語ったりする。

シンプルな一言だけど、それを説明するにはどれだけの言葉が必要だろうか。

言葉は伝達できても、それを示すものは、相手が持ってなければ伝わらない。

というかシンプルなことを大きな声では語れない。
一般常識とはあまりにもかけ離れている。

いやそんな気がしている人もいると思うけど、それは言えない。

社会が潰すだろう。

本当に素直に純粋になれば、そうなんだけどね。

自分の人生を、無駄にややこしく考えずに、
無駄に未来を心配せずに。

本当に行かなければ行かない所へ行ってみよう。

シンプルに考えること。

シンプルに気づくこと。

そのために大いに無駄なことをしよう。


posted by ほへと at 23:24| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月09日

神仏のすがる前に強くなろう。

心の弱さというものには、逆に悪魔の仕業のような、つらい経験、試練は必要ではある。

どんなに泣いても、手に入らないものは入らないし、時間を戻すこともできない。

しかし、それは神仏が裏切ったわけでもなんでもない。

力が足りなかったのだ。

「力」とは、総合力で、腕力から知力、財力から権力、人脈から経験。

もっとも大事なのは意志力ではないかと考えている。

そして、運もあるだろう。

要するに、運の部分だけに頼っているだけの人生ではダメダメということ。
同じように、金の力だけ、若さだけ、ではいずれ行き詰まるだろう。

足りない力は、頑張って足していかなければいけない。

自分の意志を実現するために必要な力は何か?
運は必要としても、運だけでは無い。
むしろ、運があるように見えている人は、力があるのだ。

神仏にすがる前に、まずは自力をつけよう。でないと本当の自分の実力がわからない。

自分が力を充分発揮する準備ができてからの、神仏にすがるのが良いと思う。

神仏だけではなく、占しかり、友人知人しかり。

願いを叶えるのは、神仏ではなく、自分ということです。
また、神仏の願いを、自分を通して実現するという稀な人には、さらに心の強さの要求は高い(?)。
posted by ほへと at 21:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月26日

性格と性質

何度か言ってますが、性質と性格の違いは、性格は善悪などを常識で判断したもの。
性質は、純粋な仕様のようなものです。

性質が短気と、性格が短気は一見似ているようで全然違う。
それは、性質が短気は習性や仕様のようなもの。
性格が短気は、褒め言葉ではないですね。

常識
知らない人と、安全に関わるには、常識は必要ですが、
さらに一歩、人と仲良くなったりするのに、一番邪魔なのは、常識です。

要するに、ほへと数秘占いは、性格を良くするのが目的ではなく、性質を活かすことを重要視しています。
占いによって決して、良い性格になることが目的ではない。
むしろ良い性格などになるなというスタンスです。
性質をうまく活かすことが、なにより大切なのです。


自分や相手を、性格で格付けするのではなく、性質として捉えてみよう。
そうすれば、自分も相手も活かしやすくなります。

性格は、人間が作り出すが、性質は神が創りだしたもの。
特に子供を、性格で見るか、性質で見るかで、
しつけや教育も変わってくる。
子供は神の子

また、男女を性格で見るか、性質で見るかもとても重要だと思う。

性格ではなく、性質を捉えるには、「エゴ」を中和して、社会や自分にとって、有益か否かを常識的に判断しないこと、考えないことです。
純粋に、その振る舞いを、見つめるのです。
そして、こういう生き物なのだ、こういう仕様なのだと気づいていくことです。
これは、ほへとのいう、純粋な観察力や洞察力です。

変な意図を持って、上から人を観察したり洞察するのは、監視やスパイのようなものです。

理解し合うこと。
お互いの性格を理解し合うのではなく、
どうすれば、お互いの性質を理解し合えるか?
うまく自分をさらけ出したり、甘えたり、迷惑かけたり、
流してみたり、受け入れたり、が大事。

そして、上手に生きていきましょう。

つまづいても、いいじゃないか、性質だもん、 ほへと
posted by ほへと at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月14日

動物と癒やし

動物には癒やされる。

実は、動物は非常に癒やされるのだ。

そんなことはわかっているとは思うけど。

どうしても、世間は、植物=自然という意識がある気がする。

しかし、動物がいる自然が癒やされる、
動物もいない自然は結構過酷な環境ということだ。

動物園、野鳥園、水族館など、あまり気にしてない人も、思い出したように行けば結構面白いと思う。

人間が忘れてしまった、大切なものを、無意識(テレパシー)で教えてもらえる気がする。

そういう意味では、逆に残酷と思われる、その動物を食べるという行為は、決してその動物を嫌いではないということだ。

まぁヘビーな例えとして、イルカなどがあると思うが、イルカを食べるから、イルカを嫌いではない。

鶏も、鯖も、牛もブタも、、はたまた、米や野菜、

我々が食すものに、敬意を表さないものは無い。


そういう意味では、動物は、愛玩的にも、味覚栄養的にも、人間の役に立っている。
そのことに、感謝し、愛情を返すような気持ちが大切だと思う。

何より、その生命を頂いている我々の生き方に、襟を正さないと行けないと思う。

動物が全て食用でも、植物が全て食用だから栽培しているのではない。

その癒やしを得て、もう一歩有意義さを求めたい。


posted by ほへと at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月12日

箱と中身

現代社会からの見た目→箱
自分自身の力→中身

どうか、箱の中身を充実させて欲しい。
箱はどうでもいい。もしくは中身に見合った箱ならいい。

大体、そんな若くで、箱を求める生き方をしない方がいい。
若いなら、ちゃんと中身に納得できるまで、外箱に力を注ぐべきでないと思っている。

外箱が中身を作るということは無い。

中身が大事で、外箱はどうでもいいのだ。(無くてもいいとは言っていない)

人目を気にして生きないために、
どうか力(中身)を付けて下さい。
posted by ほへと at 22:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月03日

運を上げるには?

運というのは、なんだろう?

サボってる人間に、チート的な力を与えるものか?

やはり、何かしら、チャレンジしたり、行動した結果、思った以上にいい感じになったな。というものではないか?

要するに、動かない人には、運は来ない。

占いすることは、運を上げる事でも何でもない。
占いの結果、何かしら行動した結果、良くなる。開運するということだ。

まぁしかし、世の中、慎重というか、疑り深いというか、

よくアドバイスした内容に関して、絶対それで良くなるのか?と聞き返す人がいる。
それで、悪くなった人はいないのか?、中には責任持てるのか?と聞く人がいる。

占いという性格上、全員に信じろとは思ってないし、そういう努力もしない。
まぁそうしたら、そのまま行くとこまで行けばいいのだが、、
それにしても、占いに来て、責任持てるのか?というのは、ある意味それだけ占いが信用されているとポジティブに考えるが、、

ちょっと考えて欲しい、

逆にすべてが成功する。絶対に失敗しない。信用してくれ。
そこまで言われなければ動けない人は、そもそも運が無いと言い切れるのではないか?

判断するのは、壁にぶち当たってからでは遅い。
壁にぶち当たって、初めて行動を起こすような人に、運はやってこない。

幸運は、全員にやってこない。
それをつかむなら、失敗する心配より、成功するかもしれないチャンスに動けるかだと思う。

もし、神さまがいるなら、積極的な人に、運を与えるはずだ。
なぜなら、そうしなければ、世界は前に進んでいかないからだ。
と思う。
posted by ほへと at 19:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

kantei_logo.jpg hhm_logo.jpg