2014年11月14日

魚釣り

今の子供達って、釣りとかしてるのかな?

小さい時、じいさんに連れられて、川魚(じゃこ)釣りに行った。

釣りというものを通して、多くのことを学んだと思う。


細い糸のほうが、魚は掛かる。
しかし、上手にさばかないと、切れてしまう。

逆に、太い糸は、多少雑にしても糸は切れないが、そもそも当たりにくくなる。

要するに、うまくなるほど、細い糸となり、より釣れるということ。

しかし、我々は、心配症であり、もしものアクシデントに過剰に備えてしまう。
やはり、人生うまくいっている人は、細い糸を使っている感じがする。

川魚用の細い糸で、糸と糸を結び仕掛けを作る。
結構、緻密で繊細な作業。
釣りの前の人は、仕掛け作り。
事に対して準備は必要だな。

もつれた糸は切ったらいい。
今度はもつれないように頑張れ。

もつれた糸を、頑張って解こうとしても、余計にもつれて来るものだ。

もつれた糸は上級者でも解き方は難しい。
だから上級者は、もつれないようにする。

一番悪いのはもつれたまま放置しておくこと。(釣りができない)


エサ
長持ちするエサは、釣れない。
エサは、時間コントロールの勉強だった。

自分を発揮し続けることはできない。
発揮するタイミングや仕舞うタイミングの重要さ。


やはり狙う相手の習性を知らなければ釣れない。
知識や経験。

まったく、同じ竿、同じエサでも、
人により釣果はぜんぜん違う。

当時は100匹釣れば自慢できた。それでも友人たちの3倍は釣った。
じいさんはコンスタントに、2,3百匹釣る。

上には上がいる。

この経験は、エゴのコントロールという考えの元かも知れない。

竿のせいや、エサのせい、つり場のせいと、人はうまくいかない時に言い訳する。

みんな同じなんだよ。
しかし、結果の違いを何かのせいにしてしまう。


特に、子供の時に、釣りはオススメだな。
今の子供のおもちゃやゲームでは得られない。

子供の遊びは、遊びではなく必死で手加減知らない。
釣りは、そういうのに向いている。
いろいろ総合的に学べる良いカリキュラムだと思う。

ふと嵐山いけば、昔ここで釣ってたなと、渡月橋から魚影を探す。
そんな釣りに、気軽に行ける環境があったことが幸せだったと感謝する。
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2014年10月17日

言霊ノート(1)


言霊とは何か?
それに関しては一つではないと考えています。
ほへとは大体3つの方向を考えていますが、完全に3つではなく、互いに重ねっている部分もあります。

A,ひとつは、言葉の響き自体の方向性やパワー、呪文や占い的な方向。
B,日常的な言葉、発する言葉と意味のリンクの深さ。人生経験値的な方向。
C,意識に関連する、少し精神的で奥深い方向。光

A,言葉のパワーやルール。
1,数秘術の「1」,「2」,「3」のように、数に秘められたルールやパワーを解明するように、同じように、「あ」「か」「さ」の言葉の響きに秘められたパワーを解明していく方向。
2,言葉の数秘化により、「あa(1)」「かka(3:2+1)」「さsa:(4:3+1)」と数秘に置き換えていく方向。(数秘変換)
3,あ行、か行、さ行、た行、、という行で見ていくこと。
4,あいうえおの母音5音で見ていくこと。

ほへと言霊占い系では、おもにこの4つを総合して判断しています


B,言葉は共通認識や意思の疎通のためにありますが、そこは絶対的な「太陽」や「上」というものから、「幸せ」「苦労」「愛」「神」など、同じように使ってはいるけれど、使う人によって、意味がぜんぜん変わったり、経験によって、理解している意味の深みが違ったりします。


軽々しい人間と思われるのは、軽々しい言葉のせいかもしれません。
とはいえ、いつも重い言葉だけでも、それは病んでるかもしれないが、時にシリアスに、重い言葉を発する必要があるということです。

念や意志の強さなんかもここが関係しています。


C、意識は、現実から「言葉」を生み出していく。
これは何?
これはどういうこと?

あなたからでた一本のレーザーのような意識は、何かにぶつかる。
現実から、いろいろな事を知り、学んでいく。

車を意識できているのは「言葉」であり、
「タイヤ」といえば、タイヤを意識することができる。

コップやりんごの像のそのミクロの中心点に、コップやりんごという言葉が重なっているということ。

一見複雑な現実を、案外シンプルに認識できているのは、脳は、「これ」「こと」らを映像ではなく、言葉で認識しているからです。
物事をいちいち細かく見ていないということでもあります。

「車」という言葉、キーワードから、沢山の映像や言葉が生み出されていく感じ。
逆に、沢山の映像や言葉が「車」という言葉を作っている。

まぁ、それを、自分に置き換えて行こう。
自分は、人生という「物事」とともに「言葉」、すなわち私は「言霊」であるということなのだけど、

いきなりそんなことを言ってもついて来れないと思うので、ぼちぼち、だらだらと書いていくと思う。

数秘のテーマがエゴを知るだったので、言霊のテーマはセルフを生み出すということで。
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2014年09月24日

そんなものは「意志」ではない。

意志とは、多様なエゴの欲望を「一本化」し、将来にわたって、最優先で実現する事柄である。
言葉は悪いが「マニフェスト」のようなものだ。

だから、「意志」は、エゴより上位に位置する。
エゴは「意志」を実現させるために、エゴ自身を抑制しなければいけない。

「選択」と「意志」は違う。
目標なき、目先の「選択」に、いくら脳みそを使ったとしても、迷いは消えることはない。
逆に、目標が明確なら、例え目の前の「選択」を間違えても、いずれ辿り着く場所は決まっている。

例えるなら、「意志」は山の山頂であり、「選択」はそれに向かう無数のルートである。

一見頭のいいエゴは、最短コースで山を登ろうとする。
また山の高さも常識範囲内である。
しかし「選択」に非常に慎重となり、無駄な思考は、行動力と多様多彩な経験を奪う。

慎重とは「意志」となる目標がないから、失敗した時の事を考えがちということ。
成功するのではなく、失敗しないという「選択」になりがち。
それは、不安であるエゴが一番好み、自分にとって最も大切な「人生」を誤る選択である。

「意志」とは、10年スパンとかいう話です。
「選択」と「意志」は違う。
今迷っている人は、10年かけても実現しようとすることを、数年かけてもじっくり探すべきです。
葛藤することも大事です。
安全な鳥かごの中で生きるようなことを人生に求めるのですか?(エゴさんよぉ?)
無茶をしろとはいわないが、ほんの少しバカになってみてはどうだろうか?

posted by ほへと at 21:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月18日

扉の向こう

変わりたいと思っても、思っているだけではなかなか変われません。

「望み」や「やりたいこと」はあるのか?

もし、「望み」や「やりたいこと」を見つけられたら、それは変わるチャンスです。

それをやりたい。手に入れたいもの。叶えたい事。
静かに強く深く、それが響き、輝いているなら。
それを望もう。

しかし、単なる思いつきや、お金や力で解決できる程度の望みの話ではありません。
ある程度は、葛藤し苦悩しなければ見えないものかもしれません。

「望み」や「やりたいこと」というのは、次のステージ、次のマップへの「扉」を見つけようなもの。

そして、この今の場所から、その扉の向こうへ歩んで行く。

今の場所から、ずっと扉を見つめていても、何も変わりません。

変わるということは、当たり前に、今の場所から去ることです。

突然変化することもありますが、
しかし、大体は、複数の小さなチャンスとして現れます。
それを、ひとつひとつクリアしていきます。

いいことも悪いこともあります。

「望み」や「やりたいこと」が見つかったということは、半分は実現したようなものです。
あとの半分は、自力で頑張りましょう!
そのために、それを実現するためにあるのです。
posted by ほへと at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月13日

社会的な「自殺悪」論

自殺に関しては、世間は頭から「自殺はダメ」「自殺は悪」という絶対的なスタンスから語られる点が、結局、その個人を自殺に追い込むのではないか?

「自殺」したら、自殺したものが「悪い」、「逃げた」などという。
そんな自殺に追い込んだ社会のほうが逃げている気がする。

例えば、もし、「自殺」がそれほど悪でないという常識があれば、組織もメディアも、「自殺」の可能性にもっと配慮したのかもしれない。もしかしたらと、、

「命」という事を考えた場合。
人は必ず死ぬ。
病死や事故死はオーケーで、なぜ自殺はダメなのか?

「命は大事、自殺はダメ」と大きな声で叫んでいても、自殺は無くならないのは何故か?

学生や若いうちは、とりあえず「絶対にダメ」でいいが、おとなだったら、本当に絶対なのか?なぜダメなのか、自分の言葉で説明できるのだろうか?

いや、社会的な常識程度の考えでは、、

社会的な常識は、その社会を全面的に否定にした立場においては、無意味である。

故に、その生命は誰のものなのか?
お盆なので、ちょっと思いを巡らしてみてはどうでしょうか?
posted by ほへと at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月20日

夢と現実を変えるヒント

睡眠中に、今見ている夢の分析を寝ながらしていた。

夢の中の状況は、コロコロと変わるが、それは、夢の中で今の現実を見るということと、夢の中で過去を思い出したり、未来を想像したりするということの差が無いのだなぁと感じた。
だから、こっちの感覚で、何かを思い出そうとしたり、何かを想像しようとすると、即夢のシーンはその事に反映されてしまう。

そう考えると、こっちのこの現実も、夢ほど柔らかくはないが、過去の記憶や経験、思い出すことや未来の想像が、何かしら現実に影響していてもおかしくない。
ということは、波瀾万丈というか、現実が目まぐるしく動く時というのは、そんなのも関係しているかもしれないな。

ふと、尾崎豊の「シェリー」という歌詞を思い出した。

「シェリー、俺は転がり続けてこんなとこにたどりついた。
 シェリー、俺は焦りすぎたのか?むやみに何もかも捨てちまったけど。」

何も変わらない。固い現実を変えられないと悩んでいる人は、
そこにヒントがあるのではないか?

尾崎豊曰く、現実が目まぐるしく動く(転がり続ける)時、過去を(むやみに?)捨てなければいけない。
ということか?

その後に、
「シェリー、あの頃は夢だった。夢のために生きてきた俺だけど、
 シェリー、お前の言うとおり、金か夢かわからない暮らしさ、」

と、あの頃は、夢(のごとく)だった。とさすが尾崎豊はわかっているね。
尾崎豊 7 EX Std4(1965年11月29日) 理屈っぽい7にEX付きか。


ほへとも過去振り返ると、
その時期はまるで夢のようだったという頃がある。
脱皮するがごとく、夢(未来の意)だけを見て、今までの過去から逃げ出した時期があったな。
確かに、現実は無茶苦茶で、不安定な時期だったが、面白かったわ。
ありえないことが、どんどん、どんどん起こった。

逆に、未来を見ず、過去に執着していれば、まぁ変わらんということだな。
(国レベルもな)

いつも頭の巡っているのは、大半が過去の文句なのか?未来への情熱的な夢のようなものなのか?
そういうことだな。

実際、うまく現実を変えられない人は、結局、過去の文句ばかり言っている。
過去の不満が、過去の否定が、イコール、過去を捨て去ってるのではない。
逆だ。それは過去に執着しているのだ。
その過去の執着に対して、未来の希望があまりに、薄っぺらく安易な物が多い。

それでは、「今」は動かないのだ。
posted by ほへと at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月14日

親と子、子と親

子供は、親の影響を受ける。

いい部分、悪い部分。

例え親が悪かったとしても、反面教師とし、必ずしも悪くなることはない。
逆もしかり。

親の成長は、子供の影響が大きい。
子供は、親の成長を促すように、泣き叫び、反抗し、いろいろと困らす。
それは、子供の仕事のようなものかもしれない。

それでも、親は、「子」の捉え方を見誤れば、成長できない。
親が「親」の捉え方を見誤れば、成長できない。

自分の都合の良い考えで、子供をコントロールしようとする。
子供の問題は、学校や社会など他に転化しても、
自分の成長の無い親というのは、等しく悪い。

本当は、子供は親を成長させたかったのだ、それが伝わらない。
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2014年03月13日

人の悪いところが目に入る。

もう少しこうだったら、いいのにと。

人間は、達成したことは、達成したことで、よかったねとなり、
今までのそこを意識していたことから開放される。

まだ、達成できてない部分、改善出来る部分は、改善できるので、
どうしても、そういう部分に意識が留まる。

悪いところとを、良く改善できると思っているから。

それはいい意味でいうと、向上心のようなもの、
悪く言うと、心が狭いということ。

相手の為を思って言っているという気持ちもわかるが、
致命的な問題がないなら、それでいいやん。とスルーが大人の対応。
特に自分の気分によってそう言ってるならアウト。それはただの文句だ。

特に、自分と関係ない人なら適当に毒を吐いていてもいいが、
逆に、親しい人に、そういう事を、押し付けがちである。

人は人である。

自分がそれを見て、改善できるなら、自分を成長させたらいい。
だが、人の成長、それも、あなたから見た改善ポイントであり、
その人が、それでにっちもさっちもいってないなら、一言忠告も良いが、
そうでないなら、いらないお世話かもしれない。

人の悪い点は、見るなとは言わないけど、
いちいち人の悪い点を指摘し、改善させていくような人になりたいのか?
客観的に見ると、嫌な感じですよね?


よく、人の悪いところだけが見えるという相談があるが、
悪い点が見えるには、そういう性質であるということを理解すること。

とくに、いつも不平不満を持っていると、そういう癖になるというのはあるので、
外ではなく、自分にできることだけを意識するようにしましょう。
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2014年02月12日

人生と性格

幸せな人生と良い性格というのは、実はまったく関係がない。

良い性格になるように努力するより、幸せな人生とは?を理解しているのか?

もし自分のことが嫌いなら、考えて欲しい。
今までの人生が不満なのか?自分の性格が許せないのか?

良い性格とは、他人や社会にとって都合の良い性格ではないか?
それはそれでバランスは大切だが、
それによって一番大切な人生を無駄にしてはいけない。

良い人生のために性格をコントロールすることは大事。
いい性格に見られたいが為に性格をコントロールしても何も残らない。
逆に会社や家族にいいように使われるぞ。

とはいえ、自分の人生の為に、会社や家族を犠牲にしろと言ってるのではない。
幸せな人生のためには、お金もいるし、多くの人の協力がいる。

自分が正しいという価値観というのは、我の強い性格なだけだ。
自分以外を敵に回しても何もできない。

また自分の振る舞いをいつまでも、常識や法や秩序に照らしてばかりでは、
いつまでも人生を変えることはできない。
ましてや、情に負ければ、いつまでもそこに留まることになる。


エゴの保身ばかり考えるのでなく、
たった一度の人生の事をよく思い巡らせて下さい。

人生が展開していけば、性格も変わっていくものだから。
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2014年02月01日

正義

間違っていることを認めてはいけない。
もし、間違いだと気づけば、素直に正せばいい。

正義とはなにか?
日本人なら正義という意味はわかると思う。

どこかで聞いた言葉に、
力なき正義は、負け犬の遠吠え。
正義なき力は、暴力。

正義を守るための戦いは有りなのか?
戦い自体がもう正義ではないのか?

いろいろ考え方はある。

最終的に何が正解なのかもわからない。

こんなに、大人の世界に、正義がないことに失望した頃が懐かしい。

正義にもいろいろあると思うけど、
自分なりの正義というのも考えておくと、
ディスカッションに花が咲くというものだ。
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2014年01月21日

変えるのは自分ではなく、運命を変える

自分を変えるのではなく、運命を変えるのです。
エゴは後から勝手に変わります。

ピントを自分に合わせない。自分の直面している現実に合わせて下さい。

自分を変えよう変えようと、本を読みあさったり、洗脳されたりしても、
変えるポイントがエゴではダメ。
そこを変えても意味は無い。
生き方、人生、運命を変えよう。

直面する現実をどう変えるか、
まだ見ないものを、どう現実化させるか。

その原動力が意志です。

運命を変えるには、
意志を持つことです。
強く真っ直ぐで透明な意志を持つことです。

そして願いを叶えること。
だから、くだらない願いは持たない。
高い願いを持つこと。

意志は、エゴの上位です。エゴの下位は単に欲です。

強い意志を生み出すには、健康な身体が必要。
病気な身体は、意志薄弱で、心細いものだ。
さらに強い意志は、強健な身体がいる。

強健とは、正しい姿勢のことであり、筋肉マンではない。

姿勢を変えること。
現実における自分の存在の表現です。

正しい姿勢を常に追い求めること。
正しい姿勢レベルが上がれば呼吸が変わります。
呼吸が変われば、出会う未来は変わる。

そんなわけで、元気な身体で、より良い未来がやってくるように。
posted by ほへと at 20:50| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月04日

新年の目標

新年の目標を立てよう。
目標は、叶ったら嬉しいであろうことがいいね。
嬉しいことは、よりモチベーションを維持できる。

目標は、言葉にしよう。
そして、宣言し、言霊にしよう。
目標はシンプルに、声に出して5秒以内がよい。

現実の荒波に、くじけないように、たどり着けることを信じて疑わず、一歩一歩、歩んでいきましょう!

叶うために、知性、すなわち今までの経験を活かすのだ。
また、何かを叶えるには、常識がいつも邪魔をするものだ。

自分を出せば、波風が立つ。
自分を抑えて、丸く収める。

出してばかりもダメだけど、抑えてばかりはもっとダメだ。

では、どうすればいい?どういう比率?
そんな風に理性的に調整しようとしてもダメだ。

経験を積んで、自分を大きくしていく。
その大きさ内でのバランス感覚。
それが、常識的と言われようが、狂ってると言われようが、、。

理性は自分を萎縮させる。
理性が強い時ほど、エゴが強く、自分を無くしている。

理性と知性は違う。
経験は知性を上がるが、理性は下げる。

何事も経験するには理性を下げる必要がある。
理性は、自分の変化を思いとどませる。
考えていても、理性のブレーキで実行できないなら、バカになればいい。

それが叶ったら、新たな自分に変われている。
自分が変わっていっても、自分は自分。

目標達成には、他人に期待してはいけない。自力が基本。
自力は、意志と行動の継続が基本です。

良い年にしましょう!


posted by ほへと at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月23日

究極の暖房器具??

寒くなってきました。
暖房を入れていると思いますが、

やはりストーブなど暖房を入れると身体を動かさないですね。
できるだけ、熱を受けようとするのでしょうね。

しかし、ふと考えた。
暖房入れる、動かない。状態とは?

基本、動くと暑くなる。じっとしていると寒くなる。

せっかく、暖房入れて温めようとしても、身体を動かさないことによって寒くなるのと相殺してないか?

例えば、こたつ。こいつは300Wや400Wとある。
エアコンは800Wとある。
ちなみに、水槽の小さいヒーターは33Wとある。

人間って何ワットやねん。
ふと疑問に思ったので、計算してみることにした。

単純に必要摂取カロリーから計算してみた。
女性が2000キロカロリー、男性が2500キロカロリーで計算。

ワット数は時間辺りなので、24で割る。
一時間辺りのカロリー消費
女性 83.33 (2000/24)
男性 104.2(2500/24)

それをワット数に変換。1.163を掛ける
女性 97W
男性 121.2W

なるほど、平均して、100W~120Wを毎時出力しているのだな。

とはいえ、平均だし、寝ている場合もあるだろうし。
状況別で、どのくらいになるのだろうか?

睡眠時
女性 61W、男性 90W

事務仕事
女性 112W、男性 157W

歩行
女性 165W、男性 241W

ジョギング
女性 449W、男性 659W

水泳(クロール)
女性 1325W、男性 1957W

すなわち、身体が今まだ200W消費していたのを、400Wの暖房をつけることによって、身体の消費を100Wに下げていたら、暖房の400Wが300Wの効果になってしまうんじゃないか?

ということは、身体を積極的に動かせば300Wを超えそうだし、ダブル発熱でエコだな。

但し注意、汗が出るほど運動したり、暑くすれば、逆に汗の蒸発による気化熱が発生し、温度を低下させる。
水の気化熱は1mlにつき約0.58kcal、100ml蒸発する場合58kcal、
すなわち、67Wの勢いで温度を低下させるので要注意ですね。
(まぁ、100mlの汗は夏の炎天下で10分歩くとをかくそうです)

そんなわけで、暖房入れても、身体は止めずに動かすようにしましょう。
posted by ほへと at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月22日

恨まず

感情は共感させる性質がある。
可哀想だと、同情して、自分が悲しい感情に引っ張られないように注意が必要。
逆に、落ち込んだ人をはげましたり、元気を与えることもできる。

感情は、現実とエゴの差によって生まれる。例えば簡単にいえば、
喜びは、現実側からエゴを認めてもらうこと。
怒りは、現実側からエゴを否定されたこと。


怒り
怒りは、エゴの力が現実に反映されてない状態。

ほへとは怒りの感情は大切だと思うし、ネガティブな感情とは思わない。
怒らないといけない所で、怒れない方が、ネガティブではないのか?

怒ること自体。自分には力が無い、どうすることもできないということ。
行き場のないエネルギーということだ。
だが、怒ること自体は、プライドや自信があるから怒れるという一面もある。
ただ、今はそのプライドや自信を現実側に現せてないということだ。

もし、プライドや自信が無いなら、怒りは起こらず、意気消沈する。
正しい道は、プライドや自信を現実化することなのです。


恨みはダメ

怒りを恨みに変えれば、成長することはできない。
憎まない人は成長する。憎んでいる人は成長できない。
なぜなら、憎むエネルギーと成長するエネルギーは本来同一のものだからだ。

成長するには、エゴを抑制し、すなわち我慢し、自分自身の弱さを認めることです。
そうすれば、怒りの感情はが悔しさという感情に変わり、エゴ自体を成長さすエネルギーに変えることができる。
そしてリベンジを誓う。(倍返しだ!)

それに対し、エゴが強く、エゴの弱さを認めなければ、自動的に悪いのは相手となります。
バランスとして、低いエゴレベルに合わせて、現実側を落としめることが恨みとなるということです。
低いレベルに相手を引きずり込むという感じです。

まぁ大抵は、怒りを相手にぶつけ返したり、腹いせに別の相手に向けたり、酒などでうさを晴らすなど、エネルギーを発散解消するが、その場合は自分は何も成長はしない。


よく、宗教などで、恨みやつらみはダメというが、おそらく本来はこういうことかもしれない。
恨んでいる人間は助からないのだ。


(引用)
それでも天を恨まず
東日本大震災で壊滅的な被害を受けた気仙沼市の中学3年生の答辞の一部です。

3月22日、階上中学校の卒業式
卒業生代表 梶原裕太さんの答辞。


階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、
十分な訓練もしていた 私たちでした。
しかし、自然の猛威の前には、
人間の力は あまりにも無力で、
私たちから大切なものを 容赦なく奪っていきました。
天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。
つらくて、悔しくてたまりません。
時計の針は 十四時四十六分を指したままです。
でも、時は確実に流れています。
生かされた者として
顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、
正しく、たくましく生きていかなければなりません。
命の重さを知るには、大きすぎる代償でした。
しかし、
苦境にあっても、
天を恨まず、
運命に耐え、
助け合って生きていくことが、
これからの 私たちの使命です。

posted by ほへと at 13:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月18日

エゴとセルフの違い

セルフは名前、エゴは生年月日。
数秘は生年月日だけではなく、名前にも当てはめることが出来る。(出し方はちょっと特殊です)

きっかけ
生年月日ゾロ目の人は変わった人が多い。
名前のゾロ目は人生が波乱万丈の人が多い傾向にあった。

このことから、生年月日は性格(エゴ)を出し、名前は、その人の歩む人生傾向を出すということが分かった。

これが分かったときに、
性格(エゴ)か、人生か、どっちが本当の自分?
という疑問が起こった。

今までは、当たり前に性格(エゴ)の方を自分だと思い込んでいたが、、、

ある時、同じ飲み会で撮影された友人の写真を見て驚いた。
全員笑っているのだ。
逆に、その友人は、ほへとの撮った写真ってみんな怒っているようだといった。

その時に、同じ空間を生きているけども、当たり前だけど、人それぞれ、感じ方は違うのだ。
感じ方が違えば、心に映る現実も全員変わってくる。
ということは、その人ではなく、その人の感じた現実の方がよりその人ではないか?

やがてカメラを趣味ではじめてからそれは顕著になっていく。
もし、ごく平凡な日常ならカメラを落とした時に、カメラを無事を心配する。
しかし、海外旅行や結婚式など、貴重なデータが入っている場合は、カメラよりメモリカードの無事を心配する。

カメラ=エゴ、画像データ=人生、という図が明確となっていった。

そう考えた時に、
花というキーワードで画像検索をかけた時に現れる無数の花の映像のように、
神様があなたというキーワードで検索をかけた時にあらわれるのは、あなたのプロフィールや姿形ではなく、あなたの見てきた感じてきた無数の現実(シーン)が表示されるのではないか?

死ぬときに、人生が走馬燈のようにフラッシュバックするという。
死ぬに至って、良い人だったと思われて死にたいか?
良い人生だったと思って死にたいかだ。

必死にちっぽけな安物カメラを守る生き方をしている。

真冬の河原で、夜空の星を眺めていた。
振り返れば、なんとかく、自分がちっぽけに見えた。
いい人生、すばらしいと思える一生を送りたいと思った。
その時に、自分が認められたい、自分が何かしなければいけない、
というエゴ的なものが消えた。

人生というものに委ねることにした。
(NHKプロジェクトX調で)

P1190278.jpg
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2013年10月09日

恋(魔法に掛かる)

「人を好きになって、相手から避けられたり嫌われたりしているんじゃないかと恐ろしくなってきて、失うのが恐くて、全然幸せじゃないのに、その恐怖の強さ故に自分が相手を好きであることを強く意識する段階って何波動目ですか?」
という質問が来た。

それは、波動ではなく、エゴである心を奪われたのだよ。

恋はエゴなんだ。でも愛を実現したいために、焦って、心の中でひとつとなる。

相手に対する依存的同化というやつだ。

通称魔法に掛かった状態と呼ぶ。
早く、魔法を解かないと大変だけど、
まぁそれはそれで、純粋でたのしい時間でもある。

自分の存在理由が相手によって決められる。
相手は裁判官では無いし、自分も罪人ではないのだけどね。そんな関係に陥ってる。
ここはあえて恐怖を楽しみ味わおうってそんな余裕は無いか?

大体、自己中な人が、初恋のような恋をしない限り、相手の立場などまじめに考えないものです。
今まで考え無かった分、良い機会だ。
恋というものは、人を成長させるのだね(笑)

とはいえ、自分を取り戻さなければ、動けずタイミングを逃したり、無駄に玉砕したり、デートで緊張して1%も自分を出せなかったり、暗く重い人と思われるので注意が必要ですね。

また、無いと思うが(笑)、万一しくじっても、嫌いになっても、相手を恨まないようにしましょう。
恨まないためには、しっかり自分が主権をもって恋に臨んで下さい。
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2013年10月07日

現実は生きている

現実というのは3次元の空間で物質世界という設定だけど、本当は違うのですね。

人生には、いろいろな偶然やここに来るように導かれるような出来事が起こる。
先に未来ありきで、その準備のためにいろいろな過去の出来事が起こったのではないかと思う。

それは神様が起こしていると思っていたが。
神様と思っていたのは、本当の自分ではないか?と思うようになった。
それがセルフの概念の始まり。
セルフは最初は神様と思うほどの存在のこと。
残念ながら神様はもっと高く遠くに居られるようだし。

行きたい学校に行けず、絶対分かれたくない人と別れ、入院して退屈なベッドで過ごしたり。
その度エゴは悲惨な目に遭わされて来たと思う。

そんなエゴのことは、セルフはお構いなしなんだな。
本当の自分とは非情なものなのだ。

例えば現実は言われているような3次元ではなく4次元や5次元なら?
まだエゴの意識が低いから3次元以上は見れないので、3次元に変換しているだけだと思う。
アセンションとかは、変換が4次元まで上がる的な、そういうレベルの話ではないかと思っている。

現実をもっとよく見る。そこじゃない!
上辺のエゴの感情に惑わされては真意は見えない。

エゴコントロールの目的は人生を充実させることに他ならない。
エゴの望む人生は、エゴ自体に都合の良い安全な世界。
それを壊すことも、人生、セルフの仕事なのだろう。

エゴを知り、抑え、活かす目的はその辺にある。
いくらエゴが泣き叫んでもスネても、人生は折り込み済み。

まだ見ぬ、イベントがこの先に待っている。
今しなければ行けないことは、今のエゴの中にはない。
エゴが怒られずに、うまく成長できるように、
ヒントは高次の現実側に潜んでいますよ。
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2013年10月02日

死をも乗り越える自分を創ろう(ちょい胡散臭い)

経験上、自分の名前が嫌いな人で、良さげな人はいない。
本名が嫌いなら、自分を示す新たな名を作るのも良い。

まぁ本名を好きに越したことはないが、、
親が付けたとかのレベルで嫌いとかは、もっともっと深く嫌いな理由を考えて下さい。
名は自分を示すもの。

名前に言霊的なパワーは無いわけではないが、そのパワーがあなたを作るのではない。
エゴの自分は作られるもの。名の自分は創っていくもの、
死をも乗り越える自分を創ろう。

死後の世界などあるかないかわからないが、
偉い人によると、肉体が滅んでも精神的な自己は存在し続けるそうだ。

生年月日のエゴは死ねば消滅する。
現実の影としてエゴはあるから。
エゴしか無かった人は、大変なことになるかも知れない。
逆に生きている意味として、しっかりエゴを使い、現実を楽しもう。

もし死後存在し続けるのならば、それは名に示された自己だろうし。
そういう意味で生まれ変わりはないと断言できるのはそこだ。
死後の自分を否定するものだからだ。全然永遠ちゃうやん。

エゴの生まれ変わりはどうでもいい。
多分それは生まれ変わりではなく六道輪廻ちゃうか?
エセ魂というエゴだ。

エゴは消滅する恐怖からこの世に執着し、最もしぶとい感情エネルギー、恨みつらみを補給しながら存在し続けようとする。
それは、幽霊と呼ばれることも稀にあるが、大半は生霊であり、自身を苦しめる。

自分が変わること。それはエゴにとっての死を意味する。新しい環境で新しいエゴに取って代わられる。
だから、それには最大限に抵抗するのである。

恨みつらみというのは、成長(精神)放棄と同意なのだ。

エゴは自分自身の振りをする。

自分と思っているエゴは、外界からの印象によって形成されているものだ。
人に比べて、相対的にこうであると。
それは、あなたがあの人をどう思うか。この社会をどう思うか?という同じ考えでできている。
そういうエゴ的な考えを消滅させて、純粋にこの現実を見た時に、
光とは、自分とは、名とは何だったかを思い出す。

それは遠い未来ではなく、そろそろ気づいていく必要がある。
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2013年09月21日

現実を変える。

「エゴを成長させるには、現実を変えるしかない。現実を変えるには深い意識(精神力)がいる。」

現実というものを、カッチカチのハードだと思っていると、
自分の力(意志)ではなかなか変えられないし、変えるのにもパワーが要る。

まずは、現実をハードなものだという、意識から柔軟にする必要がある。

エゴ意識が、感情に振り回されないように、もっと深い部分から現実を観察してみよう。
それは、きっと何かエゴにさせたいのかもしれない。

しかしエゴ意識からは、エゴ自身が変わることは拒む。
無駄に感情を荒立てて抵抗する。

親が子供を叱る。
子供は自己否定されたと思い怒る。
現実とエゴはそういう関係に似ている。

いつもいうが、現実のほうが本来の自分なのだ。
エゴは、現実の反映でしかない。

よってエゴからは現実を変えられない。
というか、良い方に変えられない。
むちゃくちゃに掻き回すことはできるかもしれない。
良い方向は、エゴの低い視点と、自己中なバランス感覚では無理ということ。

現実とエゴの温度差が感情だ。
感情を即否定するものではないが、
感情を感情として発するのではなく、
実現するためのエネルギー、集中力の持続、モチベーションの維持、方向修正のバーニア等に使用する。

深い意識から、現実をエゴを重ねて一つに見るように。
深い意識とは、エゴを見つめられる意識。
精神力がいる。
現実をエゴを重ねて一つに見れれば無駄な差異(感情)を抑制できる。

そして深い意識から見れば、現実は、エゴを変えようとしていることに気づくかもしれない。。
深い意識から、エゴを変えることを許可し、変えようとする現実を受け入れる。

そうして、素直に受け入れれば、これもまた感情という抵抗は起こらない。
現実とエゴの差の分、エゴが将来成長するエネルギーに転化できるということ。

エゴがやがて、現実に差が無いくらい成長して、
それから、はじめて現実に働きかけるのだ。
精神によって、心と身体、現実とエゴを統一し、
発揮できる場を呼び寄せ、持てる能力を発揮するのだ。

うまくいけば、きっと、現実は変わる。
現実の変化はやがて、エゴの成長にも反映してくる。

それを繰り返し、深い意識はさらに深く進化する。

ーーーーー
意志:深い意識から
欲:エゴ意識から
深い意識:精神力が必要。
精神力:気力が必要。(気力の源は健康ね)
posted by ほへと at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月15日

(現実に対して)スレイブ接続とマスター接続

現実に起こる様々な問題を、
最初から自分には関係無い、自分には解決できないと感じている。
こうなればいいなというレベルの希望や要求はあるとは思うが、

自分が変えていこうと思わなければ、そういうのは単なる愚痴でしかない。

時には、エゴを開放して、酒のんで上司の悪口や、倍返しなどと愚痴もいい。

しかし、四六時中、現実をエゴ主体から見ている状態は、意識が低いのだ。
現実側に、思っていることが、何も反映されない。
単に、思っているだけ。

自分自身の力を失い、現実の従属となる。
(現実に対して)スレイブ接続と呼んでいる。

行動の終着点としての、否定的な感情なのだ。
終着点、結果なので、この感情を何かに利用できるとかはない。
(心底、腹からの怒りなら別だが)

現実と自分のエゴを重ねて見る。
腹の底から、自分の心と、起こっている現実を見つめるのだ。

しっかり具体的な、作戦を立てて実行していく。
そこには、エゴを活かすことは大事だが、決してエゴを勝利さすことが目的ではいけない。
統合的な視点から、エゴと現実のバランスを見極めなければいけない。
自分自身の力を発揮するということは、意志力で現実を変えていくことだ。
(現実に対して)マスター接続と呼んでいる。

そうして、少しづつ、物事をひとつひとつ乗り越えて、解決していかなければ、
エゴの成長や気づきは起こりえないし、自分自身も高まらない。

ーーーーーーーー
エゴ:数秘エゴ、現実を認識する。現実が陽で、エゴは陰である。陰陽統合した先にセルフはある。
現実:目の前の現実が繋がって人生となる。それは人生が走馬灯に流れるごとく、それがセルフでもあるのだ。
スレイブ接続:現実側に責任を与え、意志力は弱まり、エゴは増長し、現実の従属となる。
マスター接続:自身の意志力で、新しい提案を創造し、エゴを活かし、実現していく。成長や気づきが起こる。
posted by ほへと at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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