2015年02月01日

植物と身体の中心

植物の中心はどこにあるのだろう。

それは、葉や花ではない。また根っこでも無いだろう。
根と茎の境目であろう。
大根で例えればわかりやすいか。

大根の根と茎の境目を落とせば、もう芽が出ることはない。
逆に、切ったはずの薄い根と茎の境目から芽は出てくる。

中には、切った茎から根が出る強者もいる。
トマト系(ナス科)やバジルなど。

どちらにしても、根と茎の境目となった部分に生命力は宿る感じ。


そうなると、我々の身体の中心はどこだろう?
植物のように、身体の中心は頭(脳)や胸(心臓)、胴体(背骨)、脚足、では無く、

それは下半身と上半身の境目?

そこはどこだろう?

植物が一粒の種から成長するように。

そこは母親の子宮で成長する子供が種か?

丁度、子宮の位置が、植物で云う、根と茎の境目なのか?

ふとそんなことを考えた。

男性には、子宮は無い。
ただ、丹田という、子宮の位置辺りを開発する方法がある。

ライフワークで取り組んでいる。
肥田式強健術や座禅を通じて、なんとなく、その場所は明確となり、
やがて、その球状感覚は、小さくなっていき、突如、丹田の向こう側が見えた(気がした)。
明るく、みずみずしく、暖かい空間だった。
あぁなるほど、ここが中心なのか。生命の中心なのか?という感覚があった。

植物が発芽し、グングン育っていく生命力。
それを、気功でいうところの「気」という。
人体では、「丹田」が「生命力」「気」の出処だというか、当たり前に本当にそうだが、そういう意味だったのだ。

腹に力を入れる。という感覚ではなく、
腹から力が湧いてくる。という感覚。

身体の中心点が分かれば、その点は、縮小ではなく、拡大・伸長する力なのだ。

中心は、生命力の中心なのだ。
posted by ほへと at 18:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

なぜ?私だけがこんな不幸な目に、、、

ほへとは、問題の軸をズラすために、あえて、
「なぜ?私だけがこんな不幸な目に合うのか?」という不幸話の実例数々を聞くことはしない。
例えケンカをふっかけることもあっても、同情し慰める気もない。

相手に同情することは、この人はもう可哀そうだ、ダメだと結論付けることだ。
例え、八方塞がりな状況でも、成功の為の必要な経験値上げの途中と思えば、同情することはない。

だから、結果に対して同情することはやむを得ないが、
闇雲に、うまく行っていない人に同情するべきではない。と考えている。

一番大事なのは、自分自身に、自分の生まれや過去に同情しないことだ。大成功した暁(結果)でなければ。
でないと、「なぜ?私だけがこんな不幸な目に合うのか?」という状況を引き寄せる。


実際問題として、こういう状況におちいった場合に、なかなか状況を打開するアドバイスは難しいものだ。

そういう状況から、這い上がった人は気づいているだろうが、事の本質は、本人の問題意識とはまったく別の次元である。

よくある、あの人がいなければうまくいくのにといっても、その人がいなくなっても相変わらずうまくいかないという例だ。

本当にそういう状況から抜け出したいのか?
口では、幸せになりたいと言っているが、本当に幸せになる気があるのか?

人それぞれ、千差万別の状況下になるので、単一にこれとは言い難いが、

・苦しみ悲しみを、考えでごまかすのではない、誰かのせいにして逃げるのではない。本当は、もっともっと苦しく悲しいのかもしれないぞ。今の現状を全身全霊で感じること。(考えるな)

・本当に素直に何を求めているのか感じてみる。くどいが、ちょろちょろ考えずに自分自身の腹の底に聞け。

・求めていることがわかれば、そこに向かうかどうか腹を決める。すなわち決心する。

・以上





posted by ほへと at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月06日

言霊ノート(2) 古事記のクラス構造

この前の「世のクラス構造」を勝手に「古事記」的に当てはめてみた。
無論ファンタジーなので、話し半分以下で。

高天原(タカマガハラ){
 ・アメノミナカヌシ
 ・カミムスビ、
 ・タカミムスビ、
 ・ウマシアシカビヒコヂ


宇宙クラス、高天原クラス継承{
・アメノトコタチ


太陽系クラス=星クラス継承{
 ・クニノトコタチ
 ・トヨクモノ
 ・ウイヂニ、スイジニ
 ・ツノグヒ、イクグヒ
 ・オホトノヂ、オホトノベ
 ・オモダル、アヤカシコネ
}

地球クラス、太陽系クラス継承{
 ・イザナギ、イザナミ


人クラス{
 ・アマテラス
 ・スサノオ
 ・ツキヨミ


タカマガハラ→アメノトコタチ(宇宙)
       ↓
       クニノトコタチ(太陽系)→イザナギ・イザナミ(地球)
                ↓
                  アマテラス(人)

↓インスタンス、具体化。逆↑はアブストラクト、抽象化。
→クラス下位移動、←クラス上位移動。


具体的な当てはめ。

アメノトコタチはこの宇宙のこと。
クニノトコタチはこの太陽系のこと。

クニノトコタチ 太陽「あ」
ウイヂニ 水星 「か」 
ツノグヒ 金星 「さ」
オホトノヂ 地球 「た」
オモダル 火星 「な」
ーーーーーーーーーー
アヤカシコネ 木星 「は」
オホトノベ 土星 「ま」
イクグヒ 天王星 「や」
スイジニ 海王星 「ら」
トヨクモノ 冥王星 「わ・ん」

太陽系は陰陽関係となっている。
陽の太陽と、陰の冥王星が対
地球と土星が対

太陽系は「あわ、あん」
地球と土星で「たま」


イザナギ、イザナミは地球の3次元空間を示している。
イザナギが空間(え)・イザナミが時間(う)

人 =五蘊(ごうん){色受想行織}という人の意識本質。
・アマテラス 色受 「あ」
・スサノオ 想行「お」
・ツキヨミ 織 「い」

アマテラスは、現実を見るという意識。
スサノオは、現実を変えるための考えと行動。
ツキヨミは、行動の結果、新たな次の現実が作られてる

単純に、アマテラスは太陽、スサノオは地球、ツキヨミは月というのもある。


ちなみにタロットカードも重ねてみてみると
1-A、1-B、1-C、1-D  魔術師、女教皇、女帝、皇帝
2-A、2-B、2-C、2-D  教皇、恋人、戦車、正義
3-A、3-B、3-C、3-D  隠者、運命の輪、力、吊された男
4-A、4-B、4-C、4-D  死神、節制、悪魔、塔
5-A、5-B、5-C、5-D  星、月、太陽、審判
6-A          世界

ステージの数とオリジンタイプの組み合わせですが、これに対応させると、

ステージ3とは、アマテラスの意識クラス
ステージ4とは、イザナギ・イザナミの地球の時空間クラス
ステージ5とは、クニノトコタチの星・太陽系クラス
ステージ6 アメノトコタチの宇宙クラス

ちなみにステージ2は心の世界の支配、ステージ1は現実世界の支配を表す。

タロットカードの名称を古事記の神名でもできそうですね。(罰当たるわ)

さらについでに言うと、トランプは地球クラスと思っていますが、13枚x4柄+1 
1週間を1カードとすれば、7x13x4+1=365となるのは以前言いましたが、
イザナギ、イザナミの「イザ」は「13」である。
よって、イザナギ、イザナミは人クラスではなく、上の地球クラスとなる。
posted by ほへと at 18:50| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月05日

世のクラス構造

ほへとは、占術を研究するにあたり、世の中を階層分けしている。

その考えの基本的なことに「クラス」という考えがある。
もともと、コンピュータ言語の「オブジェクト指向」という概念から来ている。

例えば、「ほへと」という個人オブジェクトの上には「人」という集合クラスがあり、その上は「哺乳類」、更に上には「動物」、さらに「生物」など、上のクラス構造に行く。

「生物」は、原子から、分子、アミノ酸から、遺伝子をもち、自己複製・増殖する能力を持つ「細胞」が発生する。
そして、単細胞から、多細胞へ、無脊椎から脊椎、魚類、両生類、爬虫類、哺乳類へ

ダーウィンではないが、地球上で、生命を「人」まで進化させた。これに関しては、結果「人」になったのか、もともと「人」を目指していたのか、もしくは逆にまず「人」有りきで、世界をそこまで進化させてきたのか?

「人」は科学を進歩させていった。
例えば、コンピューターの歴史は、まずはCPUというチップの進化に始まり、コンピュータ、携帯、スマフォと、生物の進化のように自然淘汰&発展だ。
例えば「コンピューター」は、面白いことに、どんどん高性能化していくが、それは一直線ではなく、決して高性能が歴史に選ばれるわけではない。高性能な演算ユニットを載せれば処理能力はアップするがコストや消費電力はアップする。それより、低コストなCPUに、高性能な演算ユニットより、チップ内にメモリ(キャッシュ)を載せたほうが、全体の効率から見れば結果良くなる、しかも安い。これによりCPUの低コスト化が進み、市場を獲得していく。高性能なペンティアム4より、ペンティアムMからCoreシリーズへ、PPC604より廉価版のPPC603がG3系として後の進化を獲得する、しかしコストと性能からCoreに敗北していく。

「生物」を生み出し、育み、試練を与えて、今のその生物の果てに改造されている
(笑)、その「地球」も、原子1個より遥かに小さい点から「宇宙」が誕生し、膨張する空間の中で、冷えゆくなかで、チリが集まり星が生まれていく。

ではこの世のクラス構造をまとめていく。
大雑把に書いているが、クラスも無限にある。生物クラスの下位には「犬クラス」も「キジクラス」も「恐竜クラス」もある。

↓インスタンス、具体化。逆↑はアブストラクト、抽象化。
→クラス下位移動、←クラス上位移動。

宇宙クラス
   星クラス 
      生物クラス 
 科学クラス

宇宙→星
   ↓
   地球→生物
       ↓
      人間→科学

「生物」への進化レベル
原子→細胞→生物
       
無限は上位クラスの1である。

無限の科学=「人間」とイコールである。
無限の生物=「地球」とイコールである。
無限の星=「宇宙」とイコールである。

例えば、見上げる月は、宇宙クラスが生み出した、星クラス。
街路樹は、地球クラスが生み出した、生物クラス。
ビルや外灯は人間クラスが生み出した、科学クラス。

よく見る風景でも、複数のクラスが混在している。

同じように、うまく行ったり、トラブったりも、単純な単クラスの問題だけではない。
そこには、複数クラスを見て、原因を探らないといけない。

「風水」においても、いろいろクラスが混在し、風水の流派や鑑定師がどこを重要視し、どこを切り捨てるかで、鑑定結果は変わってくる。

ほへと数秘術をはじめ、各占いを、クラス分け概念を取り入れている。

また、そういうクラスを明確に分けることで、世の構造が見えてくる。
posted by ほへと at 19:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月15日

人前でアガる。

人前でアガるのは、現実を気にしなければいけない力が、現実に向かず、逆に自分に向かってしまった状態といえる。

目の前の100人を楽しませよう、伝えようなどと思えばよいが、

アガる状態とは、目の前に100人いる、私はうまく話せるだろうか?
私頑張れ!緊張するな!
という状態。

自分自身が「見る」という力が、自分自身が「見られる」という力に負けているとも言える。


アガらないために。

まず、アガっている状態は、姿勢が崩れている。
アガるとは重心が上がっているのだ。

簡単にいえば、姿勢を正し、姿勢を正すとは背骨を曲げず反らさず、上体はリラックスし、下体を安定させる。

リラックスとは、感じることです。
身体の状態を感じようとすれば、緊張していては感じられません。
力こぶをマックスでカチカチにしていては、手のひらの上のイチゴの重さはわかりません。

回りの人々を感じながら、顔を見るのが怖ければ、どんな服装が多いのか、どんな色彩が多いのか等を観察しながら、ゆっくりと、自分が見ているという感覚に慣れていって下さい。

下体を安定させるとは、地に足をつけて、重心を安定させ、体重を地に委ねることです。

大体、アガっている状態をマンガで描けば、のけ反ってますね。


怒る。
アガっている状態に近いのに、怒られている状態があります。

こっちが追い詰めて逆ギレされたとか、相手がヒステリー状態など、こちらが冷静にならなければならない場合は、自然と重心が安定するものですが、

夜中に帰ったら、寝ていると思っていた嫁が、玄関先で正座で待っていた。などの焦る状況は、アガる状態に似ている。

逆にいえば、アガらないための方法として、
相手を怒っていると思う気迫、気合が大事ということ。
決して怒られている側に立たないように。

よく場に臨む時に、気合を入れますが、そういうことですね。


上級テクニックとしては、
視線やプレッシャー、恐怖心を感じたら、それを腹(丹田)に飲み込んで、地中にアースする。
posted by ほへと at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月10日

政治に例える。

衆議院選挙も近づいてきていますが、

対面鑑定で、問題点を指摘する時に、よく「政治」に例えて解決アドバイスする時がある。

政治:国民の安全や財産を守る的なことを「自分」に当てはめて考えてみるということ。

また「政治」という視点で、自分を一国として見て、自分のその考えで、一国を導けば、国は繁栄するのか?滅ぶのか?

実際の自分国は繁栄しているのか?滅亡に瀕しているのか?

例えば、人間関係を外交問題と置き換えれば、なんとなく問題や解決策が見えてくる。
うまくやっていくには、駆け引きが必要。
相手の言いなりでは、国益を損なうね。

同じように、経済問題も、改革や戦略を考える必要も出てくるかも知れない。
また、自分の都合だけでは決められない。
家族、親も子も、友人、社員、嫁も愛人もいれば、高度な政治判断が必要となる。


実際、政治家も国民も「バカ」であると思う。
別に、悲観しているのではない。
もっともっと政治家も国民も賢くならないといけないと思っているからだ。

例えば、ほへとは、心に従うのは、心が弱いからだと考える。
心が強いとは、心の要求を無視できる強さのことだと思う。
逆に、弱さは、エゴをコントロール出来ない、エゴが強い状態。

だから、政治に例えれば、民主主義だからと、国民の意見に従うだけでは、国は滅んでしまう。
今の時代だけではなく、先の事も考えなければいけない。
そういう意味では、自分の立場に近いや、思いを叶えてくれる政治家や政党でいいのか?

だからよく、自分のエゴと、政治家や政党のエゴを見比べて、
民主主義だから、投票先にゆだねて行くしか無い。
posted by ほへと at 16:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月03日

冷たい風

冷たい風が身体に当たる。

寒さに、人は反射的にネガティブな思いを起こす。

しかし、苦味が大人にとって旨いように、
冷たい風も心地良いと思えば思えなくもない。

ふと、そういえば、幽霊って冷たい風とか感じるのだろうか?
などと考えてしまった。

半分透けてそうだし、風はスルーするだろう。
髪はなびいてたっけ、白い着物はどうだったか?
うーむ動いてなかった気がする。
ということは、冷たくないか?

そもそも冬は冬眠しているな。
そもそも、幸い幽霊は見えない体質だし。

濃く存在感のある人、逆に影の薄い人で、
当たる風の感じ方に差はあるだろうか?

ともかく、死すれば、もうこの世界を感じることはできない。
恨めしいも悲しいも、過去の出来事。


「今、地球での事を思い出している。」
遥か遠くを意識した。

見えない何かに感謝する前に、
現実に、今、感じた、感受した「これ」自体が尊いのかも知れない。

この「風の冷たさ」が、嬉しくなった。

感じられること自体が「感謝」なのだ。
感謝は、目の前の物や事、人の行為にするもので、人(精神)にするものではないのかも。

などといいつつ、まだ、そこまで寒くないことに感謝かな。
posted by ほへと at 21:45| Comment(3) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月14日

魚釣り

今の子供達って、釣りとかしてるのかな?

小さい時、じいさんに連れられて、川魚(じゃこ)釣りに行った。

釣りというものを通して、多くのことを学んだと思う。


細い糸のほうが、魚は掛かる。
しかし、上手にさばかないと、切れてしまう。

逆に、太い糸は、多少雑にしても糸は切れないが、そもそも当たりにくくなる。

要するに、うまくなるほど、細い糸となり、より釣れるということ。

しかし、我々は、心配症であり、もしものアクシデントに過剰に備えてしまう。
やはり、人生うまくいっている人は、細い糸を使っている感じがする。

川魚用の細い糸で、糸と糸を結び仕掛けを作る。
結構、緻密で繊細な作業。
釣りの前の人は、仕掛け作り。
事に対して準備は必要だな。

もつれた糸は切ったらいい。
今度はもつれないように頑張れ。

もつれた糸を、頑張って解こうとしても、余計にもつれて来るものだ。

もつれた糸は上級者でも解き方は難しい。
だから上級者は、もつれないようにする。

一番悪いのはもつれたまま放置しておくこと。(釣りができない)


エサ
長持ちするエサは、釣れない。
エサは、時間コントロールの勉強だった。

自分を発揮し続けることはできない。
発揮するタイミングや仕舞うタイミングの重要さ。


やはり狙う相手の習性を知らなければ釣れない。
知識や経験。

まったく、同じ竿、同じエサでも、
人により釣果はぜんぜん違う。

当時は100匹釣れば自慢できた。それでも友人たちの3倍は釣った。
じいさんはコンスタントに、2,3百匹釣る。

上には上がいる。

この経験は、エゴのコントロールという考えの元かも知れない。

竿のせいや、エサのせい、つり場のせいと、人はうまくいかない時に言い訳する。

みんな同じなんだよ。
しかし、結果の違いを何かのせいにしてしまう。


特に、子供の時に、釣りはオススメだな。
今の子供のおもちゃやゲームでは得られない。

子供の遊びは、遊びではなく必死で手加減知らない。
釣りは、そういうのに向いている。
いろいろ総合的に学べる良いカリキュラムだと思う。

ふと嵐山いけば、昔ここで釣ってたなと、渡月橋から魚影を探す。
そんな釣りに、気軽に行ける環境があったことが幸せだったと感謝する。
posted by ほへと at 18:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月17日

言霊ノート(1)


言霊とは何か?
それに関しては一つではないと考えています。
ほへとは大体3つの方向を考えていますが、完全に3つではなく、互いに重ねっている部分もあります。

A,ひとつは、言葉の響き自体の方向性やパワー、呪文や占い的な方向。
B,日常的な言葉、発する言葉と意味のリンクの深さ。人生経験値的な方向。
C,意識に関連する、少し精神的で奥深い方向。光

A,言葉のパワーやルール。
1,数秘術の「1」,「2」,「3」のように、数に秘められたルールやパワーを解明するように、同じように、「あ」「か」「さ」の言葉の響きに秘められたパワーを解明していく方向。
2,言葉の数秘化により、「あa(1)」「かka(3:2+1)」「さsa:(4:3+1)」と数秘に置き換えていく方向。(数秘変換)
3,あ行、か行、さ行、た行、、という行で見ていくこと。
4,あいうえおの母音5音で見ていくこと。

ほへと言霊占い系では、おもにこの4つを総合して判断しています


B,言葉は共通認識や意思の疎通のためにありますが、そこは絶対的な「太陽」や「上」というものから、「幸せ」「苦労」「愛」「神」など、同じように使ってはいるけれど、使う人によって、意味がぜんぜん変わったり、経験によって、理解している意味の深みが違ったりします。


軽々しい人間と思われるのは、軽々しい言葉のせいかもしれません。
とはいえ、いつも重い言葉だけでも、それは病んでるかもしれないが、時にシリアスに、重い言葉を発する必要があるということです。

念や意志の強さなんかもここが関係しています。


C、意識は、現実から「言葉」を生み出していく。
これは何?
これはどういうこと?

あなたからでた一本のレーザーのような意識は、何かにぶつかる。
現実から、いろいろな事を知り、学んでいく。

車を意識できているのは「言葉」であり、
「タイヤ」といえば、タイヤを意識することができる。

コップやりんごの像のそのミクロの中心点に、コップやりんごという言葉が重なっているということ。

一見複雑な現実を、案外シンプルに認識できているのは、脳は、「これ」「こと」らを映像ではなく、言葉で認識しているからです。
物事をいちいち細かく見ていないということでもあります。

「車」という言葉、キーワードから、沢山の映像や言葉が生み出されていく感じ。
逆に、沢山の映像や言葉が「車」という言葉を作っている。

まぁ、それを、自分に置き換えて行こう。
自分は、人生という「物事」とともに「言葉」、すなわち私は「言霊」であるということなのだけど、

いきなりそんなことを言ってもついて来れないと思うので、ぼちぼち、だらだらと書いていくと思う。

数秘のテーマがエゴを知るだったので、言霊のテーマはセルフを生み出すということで。
posted by ほへと at 21:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月24日

そんなものは「意志」ではない。

意志とは、多様なエゴの欲望を「一本化」し、将来にわたって、最優先で実現する事柄である。
言葉は悪いが「マニフェスト」のようなものだ。

だから、「意志」は、エゴより上位に位置する。
エゴは「意志」を実現させるために、エゴ自身を抑制しなければいけない。

「選択」と「意志」は違う。
目標なき、目先の「選択」に、いくら脳みそを使ったとしても、迷いは消えることはない。
逆に、目標が明確なら、例え目の前の「選択」を間違えても、いずれ辿り着く場所は決まっている。

例えるなら、「意志」は山の山頂であり、「選択」はそれに向かう無数のルートである。

一見頭のいいエゴは、最短コースで山を登ろうとする。
また山の高さも常識範囲内である。
しかし「選択」に非常に慎重となり、無駄な思考は、行動力と多様多彩な経験を奪う。

慎重とは「意志」となる目標がないから、失敗した時の事を考えがちということ。
成功するのではなく、失敗しないという「選択」になりがち。
それは、不安であるエゴが一番好み、自分にとって最も大切な「人生」を誤る選択である。

「意志」とは、10年スパンとかいう話です。
「選択」と「意志」は違う。
今迷っている人は、10年かけても実現しようとすることを、数年かけてもじっくり探すべきです。
葛藤することも大事です。
安全な鳥かごの中で生きるようなことを人生に求めるのですか?(エゴさんよぉ?)
無茶をしろとはいわないが、ほんの少しバカになってみてはどうだろうか?

posted by ほへと at 21:58| Comment(3) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月18日

扉の向こう

変わりたいと思っても、思っているだけではなかなか変われません。

「望み」や「やりたいこと」はあるのか?

もし、「望み」や「やりたいこと」を見つけられたら、それは変わるチャンスです。

それをやりたい。手に入れたいもの。叶えたい事。
静かに強く深く、それが響き、輝いているなら。
それを望もう。

しかし、単なる思いつきや、お金や力で解決できる程度の望みの話ではありません。
ある程度は、葛藤し苦悩しなければ見えないものかもしれません。

「望み」や「やりたいこと」というのは、次のステージ、次のマップへの「扉」を見つけようなもの。

そして、この今の場所から、その扉の向こうへ歩んで行く。

今の場所から、ずっと扉を見つめていても、何も変わりません。

変わるということは、当たり前に、今の場所から去ることです。

突然変化することもありますが、
しかし、大体は、複数の小さなチャンスとして現れます。
それを、ひとつひとつクリアしていきます。

いいことも悪いこともあります。

「望み」や「やりたいこと」が見つかったということは、半分は実現したようなものです。
あとの半分は、自力で頑張りましょう!
そのために、それを実現するためにあるのです。
posted by ほへと at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月13日

社会的な「自殺悪」論

自殺に関しては、世間は頭から「自殺はダメ」「自殺は悪」という絶対的なスタンスから語られる点が、結局、その個人を自殺に追い込むのではないか?

「自殺」したら、自殺したものが「悪い」、「逃げた」などという。
そんな自殺に追い込んだ社会のほうが逃げている気がする。

例えば、もし、「自殺」がそれほど悪でないという常識があれば、組織もメディアも、「自殺」の可能性にもっと配慮したのかもしれない。もしかしたらと、、

「命」という事を考えた場合。
人は必ず死ぬ。
病死や事故死はオーケーで、なぜ自殺はダメなのか?

「命は大事、自殺はダメ」と大きな声で叫んでいても、自殺は無くならないのは何故か?

学生や若いうちは、とりあえず「絶対にダメ」でいいが、おとなだったら、本当に絶対なのか?なぜダメなのか、自分の言葉で説明できるのだろうか?

いや、社会的な常識程度の考えでは、、

社会的な常識は、その社会を全面的に否定にした立場においては、無意味である。

故に、その生命は誰のものなのか?
お盆なので、ちょっと思いを巡らしてみてはどうでしょうか?
posted by ほへと at 14:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月20日

夢と現実を変えるヒント

睡眠中に、今見ている夢の分析を寝ながらしていた。

夢の中の状況は、コロコロと変わるが、それは、夢の中で今の現実を見るということと、夢の中で過去を思い出したり、未来を想像したりするということの差が無いのだなぁと感じた。
だから、こっちの感覚で、何かを思い出そうとしたり、何かを想像しようとすると、即夢のシーンはその事に反映されてしまう。

そう考えると、こっちのこの現実も、夢ほど柔らかくはないが、過去の記憶や経験、思い出すことや未来の想像が、何かしら現実に影響していてもおかしくない。
ということは、波瀾万丈というか、現実が目まぐるしく動く時というのは、そんなのも関係しているかもしれないな。

ふと、尾崎豊の「シェリー」という歌詞を思い出した。

「シェリー、俺は転がり続けてこんなとこにたどりついた。
 シェリー、俺は焦りすぎたのか?むやみに何もかも捨てちまったけど。」

何も変わらない。固い現実を変えられないと悩んでいる人は、
そこにヒントがあるのではないか?

尾崎豊曰く、現実が目まぐるしく動く(転がり続ける)時、過去を(むやみに?)捨てなければいけない。
ということか?

その後に、
「シェリー、あの頃は夢だった。夢のために生きてきた俺だけど、
 シェリー、お前の言うとおり、金か夢かわからない暮らしさ、」

と、あの頃は、夢(のごとく)だった。とさすが尾崎豊はわかっているね。
尾崎豊 7 EX Std4(1965年11月29日) 理屈っぽい7にEX付きか。


ほへとも過去振り返ると、
その時期はまるで夢のようだったという頃がある。
脱皮するがごとく、夢(未来の意)だけを見て、今までの過去から逃げ出した時期があったな。
確かに、現実は無茶苦茶で、不安定な時期だったが、面白かったわ。
ありえないことが、どんどん、どんどん起こった。

逆に、未来を見ず、過去に執着していれば、まぁ変わらんということだな。
(国レベルもな)

いつも頭の巡っているのは、大半が過去の文句なのか?未来への情熱的な夢のようなものなのか?
そういうことだな。

実際、うまく現実を変えられない人は、結局、過去の文句ばかり言っている。
過去の不満が、過去の否定が、イコール、過去を捨て去ってるのではない。
逆だ。それは過去に執着しているのだ。
その過去の執着に対して、未来の希望があまりに、薄っぺらく安易な物が多い。

それでは、「今」は動かないのだ。
posted by ほへと at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月14日

親と子、子と親

子供は、親の影響を受ける。

いい部分、悪い部分。

例え親が悪かったとしても、反面教師とし、必ずしも悪くなることはない。
逆もしかり。

親の成長は、子供の影響が大きい。
子供は、親の成長を促すように、泣き叫び、反抗し、いろいろと困らす。
それは、子供の仕事のようなものかもしれない。

それでも、親は、「子」の捉え方を見誤れば、成長できない。
親が「親」の捉え方を見誤れば、成長できない。

自分の都合の良い考えで、子供をコントロールしようとする。
子供の問題は、学校や社会など他に転化しても、
自分の成長の無い親というのは、等しく悪い。

本当は、子供は親を成長させたかったのだ、それが伝わらない。
posted by ほへと at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月13日

人の悪いところが目に入る。

もう少しこうだったら、いいのにと。

人間は、達成したことは、達成したことで、よかったねとなり、
今までのそこを意識していたことから開放される。

まだ、達成できてない部分、改善出来る部分は、改善できるので、
どうしても、そういう部分に意識が留まる。

悪いところとを、良く改善できると思っているから。

それはいい意味でいうと、向上心のようなもの、
悪く言うと、心が狭いということ。

相手の為を思って言っているという気持ちもわかるが、
致命的な問題がないなら、それでいいやん。とスルーが大人の対応。
特に自分の気分によってそう言ってるならアウト。それはただの文句だ。

特に、自分と関係ない人なら適当に毒を吐いていてもいいが、
逆に、親しい人に、そういう事を、押し付けがちである。

人は人である。

自分がそれを見て、改善できるなら、自分を成長させたらいい。
だが、人の成長、それも、あなたから見た改善ポイントであり、
その人が、それでにっちもさっちもいってないなら、一言忠告も良いが、
そうでないなら、いらないお世話かもしれない。

人の悪い点は、見るなとは言わないけど、
いちいち人の悪い点を指摘し、改善させていくような人になりたいのか?
客観的に見ると、嫌な感じですよね?


よく、人の悪いところだけが見えるという相談があるが、
悪い点が見えるには、そういう性質であるということを理解すること。

とくに、いつも不平不満を持っていると、そういう癖になるというのはあるので、
外ではなく、自分にできることだけを意識するようにしましょう。
posted by ほへと at 20:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月12日

人生と性格

幸せな人生と良い性格というのは、実はまったく関係がない。

良い性格になるように努力するより、幸せな人生とは?を理解しているのか?

もし自分のことが嫌いなら、考えて欲しい。
今までの人生が不満なのか?自分の性格が許せないのか?

良い性格とは、他人や社会にとって都合の良い性格ではないか?
それはそれでバランスは大切だが、
それによって一番大切な人生を無駄にしてはいけない。

良い人生のために性格をコントロールすることは大事。
いい性格に見られたいが為に性格をコントロールしても何も残らない。
逆に会社や家族にいいように使われるぞ。

とはいえ、自分の人生の為に、会社や家族を犠牲にしろと言ってるのではない。
幸せな人生のためには、お金もいるし、多くの人の協力がいる。

自分が正しいという価値観というのは、我の強い性格なだけだ。
自分以外を敵に回しても何もできない。

また自分の振る舞いをいつまでも、常識や法や秩序に照らしてばかりでは、
いつまでも人生を変えることはできない。
ましてや、情に負ければ、いつまでもそこに留まることになる。


エゴの保身ばかり考えるのでなく、
たった一度の人生の事をよく思い巡らせて下さい。

人生が展開していけば、性格も変わっていくものだから。
posted by ほへと at 20:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月01日

正義

間違っていることを認めてはいけない。
もし、間違いだと気づけば、素直に正せばいい。

正義とはなにか?
日本人なら正義という意味はわかると思う。

どこかで聞いた言葉に、
力なき正義は、負け犬の遠吠え。
正義なき力は、暴力。

正義を守るための戦いは有りなのか?
戦い自体がもう正義ではないのか?

いろいろ考え方はある。

最終的に何が正解なのかもわからない。

こんなに、大人の世界に、正義がないことに失望した頃が懐かしい。

正義にもいろいろあると思うけど、
自分なりの正義というのも考えておくと、
ディスカッションに花が咲くというものだ。
posted by ほへと at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

変えるのは自分ではなく、運命を変える

自分を変えるのではなく、運命を変えるのです。
エゴは後から勝手に変わります。

ピントを自分に合わせない。自分の直面している現実に合わせて下さい。

自分を変えよう変えようと、本を読みあさったり、洗脳されたりしても、
変えるポイントがエゴではダメ。
そこを変えても意味は無い。
生き方、人生、運命を変えよう。

直面する現実をどう変えるか、
まだ見ないものを、どう現実化させるか。

その原動力が意志です。

運命を変えるには、
意志を持つことです。
強く真っ直ぐで透明な意志を持つことです。

そして願いを叶えること。
だから、くだらない願いは持たない。
高い願いを持つこと。

意志は、エゴの上位です。エゴの下位は単に欲です。

強い意志を生み出すには、健康な身体が必要。
病気な身体は、意志薄弱で、心細いものだ。
さらに強い意志は、強健な身体がいる。

強健とは、正しい姿勢のことであり、筋肉マンではない。

姿勢を変えること。
現実における自分の存在の表現です。

正しい姿勢を常に追い求めること。
正しい姿勢レベルが上がれば呼吸が変わります。
呼吸が変われば、出会う未来は変わる。

そんなわけで、元気な身体で、より良い未来がやってくるように。
posted by ほへと at 20:50| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月04日

新年の目標

新年の目標を立てよう。
目標は、叶ったら嬉しいであろうことがいいね。
嬉しいことは、よりモチベーションを維持できる。

目標は、言葉にしよう。
そして、宣言し、言霊にしよう。
目標はシンプルに、声に出して5秒以内がよい。

現実の荒波に、くじけないように、たどり着けることを信じて疑わず、一歩一歩、歩んでいきましょう!

叶うために、知性、すなわち今までの経験を活かすのだ。
また、何かを叶えるには、常識がいつも邪魔をするものだ。

自分を出せば、波風が立つ。
自分を抑えて、丸く収める。

出してばかりもダメだけど、抑えてばかりはもっとダメだ。

では、どうすればいい?どういう比率?
そんな風に理性的に調整しようとしてもダメだ。

経験を積んで、自分を大きくしていく。
その大きさ内でのバランス感覚。
それが、常識的と言われようが、狂ってると言われようが、、。

理性は自分を萎縮させる。
理性が強い時ほど、エゴが強く、自分を無くしている。

理性と知性は違う。
経験は知性を上がるが、理性は下げる。

何事も経験するには理性を下げる必要がある。
理性は、自分の変化を思いとどませる。
考えていても、理性のブレーキで実行できないなら、バカになればいい。

それが叶ったら、新たな自分に変われている。
自分が変わっていっても、自分は自分。

目標達成には、他人に期待してはいけない。自力が基本。
自力は、意志と行動の継続が基本です。

良い年にしましょう!


posted by ほへと at 20:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月23日

究極の暖房器具??

寒くなってきました。
暖房を入れていると思いますが、

やはりストーブなど暖房を入れると身体を動かさないですね。
できるだけ、熱を受けようとするのでしょうね。

しかし、ふと考えた。
暖房入れる、動かない。状態とは?

基本、動くと暑くなる。じっとしていると寒くなる。

せっかく、暖房入れて温めようとしても、身体を動かさないことによって寒くなるのと相殺してないか?

例えば、こたつ。こいつは300Wや400Wとある。
エアコンは800Wとある。
ちなみに、水槽の小さいヒーターは33Wとある。

人間って何ワットやねん。
ふと疑問に思ったので、計算してみることにした。

単純に必要摂取カロリーから計算してみた。
女性が2000キロカロリー、男性が2500キロカロリーで計算。

ワット数は時間辺りなので、24で割る。
一時間辺りのカロリー消費
女性 83.33 (2000/24)
男性 104.2(2500/24)

それをワット数に変換。1.163を掛ける
女性 97W
男性 121.2W

なるほど、平均して、100W~120Wを毎時出力しているのだな。

とはいえ、平均だし、寝ている場合もあるだろうし。
状況別で、どのくらいになるのだろうか?

睡眠時
女性 61W、男性 90W

事務仕事
女性 112W、男性 157W

歩行
女性 165W、男性 241W

ジョギング
女性 449W、男性 659W

水泳(クロール)
女性 1325W、男性 1957W

すなわち、身体が今まだ200W消費していたのを、400Wの暖房をつけることによって、身体の消費を100Wに下げていたら、暖房の400Wが300Wの効果になってしまうんじゃないか?

ということは、身体を積極的に動かせば300Wを超えそうだし、ダブル発熱でエコだな。

但し注意、汗が出るほど運動したり、暑くすれば、逆に汗の蒸発による気化熱が発生し、温度を低下させる。
水の気化熱は1mlにつき約0.58kcal、100ml蒸発する場合58kcal、
すなわち、67Wの勢いで温度を低下させるので要注意ですね。
(まぁ、100mlの汗は夏の炎天下で10分歩くとをかくそうです)

そんなわけで、暖房入れても、身体は止めずに動かすようにしましょう。
posted by ほへと at 21:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

kantei_logo.jpg hhm_logo.jpg