2018年04月03日

変わるには2

自分を変えようと考えるとき。
自分を否定してはダメだ。

自分を否定して、新たに変わることは、非常に大きなトラブルやストレスを生む。
よく言う、今の自分を受入れて、それを手放していくというのが重要だと思う。

私というのは、長い時間の物事であり。
一瞬の物ではない。

自由であれば、苦もなく、変化していけるだろう。

自由と言うものを、無にしているものは何だろう?

自由を妨げるものを、後の自分を縛るものを、自分の現実に取り込むのは考えよう。
例え、そのとき、未来に良かれと思っても。

自分を変えたいなら、他人を否定してはいけない。
他人を否定しているうちは、自分が正しいと思っているということ。

自分が変われないのを人のせいにしてはダメ。

変わることは、簡単だ。
それより、変わらないことの方が難しい。
努力して、変われない、変われないと、今の自分にしがみついている。

新年度もスタートしたことだし。
1年後には、今と違う思いで、桜を眺められるように。
posted by ほへと at 19:50| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月02日

変わるには

変わりたい、変わりたいと悩んでいるうちは変われない。

悩むと、エゴが強まるからだ。
エゴは、なんやかんや言っても、変わることを嫌う。

変わるのに、心の力は必要ない。

心以外を変える。

ある意味、成長の一番最後に、心が気づく。
そのお膳立てはすでに出来ていたりする。


心以外の習慣を変えていこう。
外から変えるのだ。
環境でも、身体でも、食事でも、服装でも。


自分を変えたいなら、他人を否定してはいけない。

あなたを変えるために、その人はそう振る舞っているかもしれない。
悪魔の振りした天使、神の使いかもね。

人のせいでは自分は変わらない。


何をしていいかわからないなら、
少しでも興味あるものをつくれ。
興味ないことするな!

ヒントはそこにある。
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2018年03月14日

去年とは違う、新しい自分を知るために、季節は巡る。

梅が咲、桜のつぼみも膨らむこの季節ですが、
いかんせん、花粉は辛い。

バーなので、タバコの煙と合体すれば結構な、くしゃみ発生兵器だ。

この前、京都、全国車いす駅伝競走大会があり、福岡から参加関係の人とおもい川で呑んでいたが、
お客さんが増えると、服にか髪かに付いた花粉と、タバコの煙で、くしゃみが止まらない。

バーなので、マスクというわけにはいかんので、
太一(マスター)に、チューブわさびをリクエストするが、
その時、福岡の人から、スプレーのハッカ油を渡され、それをタオルにシュッ!
鼻に、軽くこすると、結構収まった。


春だし、何か新しい事が起きないか期待するものだが、
冬の間、どれだけ、努力したかも重要だ。

春は、単にそれが、表に出てくるだけだから。
(くしゃみもな)

去年とは違う、新しい自分を知るために、季節は巡る。
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2018年03月05日

特定の人を邪魔に感じても

特定の誰々を指して、その人を悪く言ってみても、事の本質はそこではない。

何かをしようとすれば、抵抗は生まれる。
誰もが全員、それに賛成することはない。

反対や、邪魔されるかもしれないが、それは、あたりまえの作用だ。

波動の原理のようなもの。

一発ブームでメジャーになっても、それはバブルなので、第2波動で崩壊する。

長く続けるには、低い角度が大切だ。

長く続けることが、一番難しく、そして大切なことだ。

いい時期もくれば、悪い時期も来る。
攻めるときもあれば、守り一辺倒もある。

そういうものなので、誰々が良いとか、悪いとかの問題ではない。

ある特定の人を邪魔に感じても、実はそうではない。
自分のやりたいことに、自信を持って、気合を入れて、やり抜くこと。

ある特定の人が、敵ではない。
ある特定の時期には、全員敵になる場合もある。

しかし、それは自分の投げかけたエネルギーの波動の動き。

他人ではなく、自分をしっかり持って、自分にフォーカスして、惑わされないようにしましょう。
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2018年02月16日

心づかい

心のままに、生きていては、ダメ

心は、あなたの一部。

あなたは、心の一部ではない。

あなたが、人生を旅する時に、心は必要。

心が、人生を旅することはないから。

あなたが、人生を旅する時に、心をコントロールしなければいけない。

心のままに、生きては、あなたの人生を旅することはできない。

心は、あなたに、人生に、捧げて、活かすように使う。

心づかいというように、あなたは心を使う。

心にあなたが使われてはいけない。

あなたの人生を旅してください。
posted by ほへと at 17:36| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

かがみ

私のかがみが現実
その現実のかがみが心
心のかがみは感情

神のかがみは宇宙
宇宙のかがみは星
星のかがみは生命

星は空間を作る
球体の表面は無限に一枚の画用紙
自転と公転で時を動かす
星で生まれた、はじめての生命も球体

生命を運ぶ船のかがみは、内臓機能
魚のかがみは生き残ること
哺乳類のかがみは愛情
人間のかがみは科学文明の社会

かがみは、本質を映すが、本質ではない
かがみに惑わされず、反対側の本質を探そう
posted by ほへと at 18:55| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月20日

「今」を犠牲にしないこと

そんなに、「今」をないがしろにして、未来を大事に考えるかな?

何十年先の事を考えて、今から心配するのも、ある程度で止そう。

友人がこの前、セルビアに行ってきたのだが、現地の人がとても優しかったそうだ。
なぜなら、内戦のせいか、数年先どうなっているかわからないので、今出来るだけのことをするからだそうだ。

逆に日本人は、無駄に先のことを考えすぎる。
昔、戦後の荒れた日本では、必死に今を生きていたという時代もあった。

エゴからすれば、時間は、過去→今→未来と流れているように見える。
セルフからすれば、未来→今→過去と流れている。これを俗に言う「運命」というやつだ。

セルフも超えると、今しかない。

エゴの安心のために、未来を大事にし、今を犠牲にしない。過去も捨て去らない。
そういっても、実際に先の不安は消えない。
未来が心配な人は、やたらあれこれ、閉塞感が強く、あまり楽しいそうではない。

人生、自分(エゴ)の思い通りになることなんて少ない。
それでも、いい出会いや何かで、思いがけず、エゴの想定以上に良いこともあったはずだ。

だから、エゴが人生設計を全て完璧にしようとは思わないことだ。
エゴの思いより、セルフからの現実干渉の方が間違いなく強く大きいので、

自分の運命(セルフ)にもっと身を任せて、エゴは自由に楽しく生きましょう。

posted by ほへと at 19:06| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月12日

どうでもいい

どうでもいい。

こうしなければいけない。
我々は、無意識にそういうルールに縛られている。

そうしてもいいのだが、そうしなくても実は良いかもしれない。

忙しい社会の中で、
こうしなければいけない。
いつもそれを思っていては、
いろいろ疲れるし、本当にしなければいけないことがわからなくなる。

できるだけ、どうでもいいと考えると、いろいろ楽だ。
こうしなければいけない。と思っても、とりあえずということで。

一度、自分の常識や、当たり前、こうしなければいけないことを緩めてみよう。

直面する現実に、このエゴはどう対応するか?
少し他人の感じで、眺めてみよう。

しなければいけないことをさすのではなく、
まぁギリギリまで、エゴの自由にさしてみよう。

こうしなければいけないから、どうでもいいと、
さらには、どうにでもなれと、委ねるのもいいですね。
posted by ほへと at 19:30| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

肩の力を抜くというのは、

肩の力を抜くというのは、
腕の上、両肩の力を抜くのではない。

言葉としては間違っているのだが、
肩こってる、じゃ、揉んでやろうという場合、
三角筋付近の両肩ではなく、首根っこ付近をマッサージするだろう。

緊張すれば、肩胛骨の上部と後頭部をつなぐ、僧帽筋が緊縮する。
結果、肩が上がるのだ。

緊張、寒さ、痛みを感じると、ここが緊縮する。
緊張や、寒さ、痛みを、抱え込むからだ。

緊張や、寒さ、痛みを、手放そう。

「痛いの痛いの飛んでいけ!」
これは、抱え込んでいる痛みを手放させる呪文。

実は、エゴ側に入り込んだ意識を、現実側に戻しているのだ。

同じように、肩の力を抜く場合も、
意識が、エゴ側に入りすぎていることに気づき、エゴの内ではなく、エゴの外に意識を向けよう。


唯識や量子力学も、私が見るから、その存在はあるという。

それなら、エゴという意識も、誰からに見られているから存在しているのではないか?

それは誰?

エゴが感じる緊張や、寒さ、痛みを、その誰かさんに見せれば、それは緩んでいく。
posted by ほへと at 20:24| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

冬至(20171222)

冬至ですね。ゆず買ってきました。風呂に入れるか酒にいれるか。

冬至の日にゆず風呂に入ると、風邪を引か無くなるそうだが、
今、風引いている人も多いようだ。

ほへとはなんとか風邪を引いていないが、いかんせん忘年会で飲み過ぎだな、この前の千本会も後半記憶飛んでる。

そうそう、風邪を引きやすく、喉を痛めやすい人は確認してください。

手を暖めるように、「ほぉ〜」と息を吐くのと、
熱いものを冷ますように、「ふぅっー」と息を吐くのと、

あなたは、どういう声の出し方をしてますか?
「ふぅっー」という冷たい息を出すように喋っていると、喉を冷やしてしまいますよ。

「ほぉ〜」っと温かい息を出すように話してください。

あと、人の悪口、陰口は、風邪引く元なので気をつけてください。

posted by ほへと at 20:29| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月05日

エゴが描く絵とセルフが描く絵

エゴはなんの為にあるのか、エゴからはわからないようにできている。
精神が高くなり、意識が上がり、自己に目覚めるというか、
本当の自分を自覚することになれば、

エゴと身体と現実世界の差は少なく、一つのものとしてもみることができる。

セルフという、本当の自分を、この世界に出現させる、存在させる、そのためのエゴであり、身体なのだ。
セルフの絵を描くことが重要なのだ。
セルフの絵を描くことが、自分らしく生きる事。

とは言っても、エゴも描きたい絵があるものだ。

この前鑑定で、ある人が、ようやく仕事が安定してきて、これで一生安泰だと思った瞬間、その土地から引っ越しすることになったそうだ。

ほへとが「これで将来安泰や」と思った瞬間、それはぶち壊されるで、と言った。
その人は驚きながら、そういえば、以前も資格をとって一生続けられると思った仕事を病気で辞めることになったと。

要するに、エゴが描こうとする絵と、セルフが描こうとする絵が違えば、
強い方が勝つ。
要するに、運命強い人、神様に愛されている人ほど、エゴの思う絵は描けないということ。
心を何度も折られるということです。

逆に、自分の思い通りになっている人は、よほどエゴが強いか、セルフが弱いか、エゴとセルフの絵が一致しているということ。

エゴは先のことを心配しすぎるが、どんなことをしても将来の心配は消えないので、いいところで心配しない。
それより、今やれることをやりましょう。

今という場所から、未来を見るのではなく、
未来から、今という場所を見るイメージをしましょう。

エゴが描く絵とセルフが描く絵の違いです。
posted by ほへと at 22:07| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月12日

掃除などの言葉のイメージについて

掃除が苦手な人はいるが、
そもそも「掃除」という言葉にネガティブな意味付けをしているのかもしれない。

「キレイする」、単にそれでいいのに。

掃除を嫌いな人はいても、キレイなものを嫌いな人はいて?(ララァ風)

要するに、「掃除」に邪魔臭さ、汚れたものとの関わり、労働などのイメージを持たない。
キレイになったトイレや部屋など、そっちだけをイメージする。
掃除しなきゃと、掃除しているところをイメージしない。

キレイだけをイメージできたら、あとは無心でキレイにしていくだけです。
このときにあまり時間など決めずに、とはいえ、ダラダラではなく、ある程度、集中することが大切。
こうしないダメとか、手際や効率を追求しないように。

また、逆に「掃除」にネガティブなイメージがこびりついているなら。
何か悪いこと?をしたときに、懺悔の気持ちで、掃除するのも良いのかもしれない。
とても悪いことをしたら、大掃除だな。(許されるかは不明だが)

同じように、「仕事」に関しても、あれこれ考えずに、シンプルにお金を儲けるためと割り切るのも精神的に良い。
鑑定していて思うのに、仕事にこだわりすぎだ。
まぁ、言葉の問題だが、「仕事」ではなく、「働く」という言葉のほうが好きだ。

イメージとして、「仕事」は、お金を欲しているような、社会→自分という感じ。
「はたらく」は、自分→社会という、主体が自分な感じがする。
まぁ人によって違うから、ほへとの感じです。

また、掃除という作業は、肉体労働である。
なので、ボディワークの一部と考えたり、同時につま先立ちなど何らかのボディワークを一緒にする工夫もおもしろい。

デスクワークや、またはテレビの前でゴロゴロしている人が、いきなり掃除モードには移行はできない。
それは身体が温まってないからだ。
先も言ったが、肉体労働である。
仕事帰りは辛いが、買い物帰り、散歩帰りなど、ある程度歩いて身体が温まっている、
この状態を無駄にせずに掃除に生かそう。
posted by ほへと at 14:20| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月02日

自分らしく生きる。

私らしく生きる。
自分らしく生きる。

言葉は簡単だが、常に問う。
「私」や「自分」とは?
「生きる」とは?

100%自分を生きる。
それを道元のいう、「全機現」のことだと気づいた。

それは、(ほへと)数秘11の境地。タロット#11「力」
まさにセルフのことだ。

心というエゴは、無にしないといけない。
心から、エゴから、欲した、自分や私は内であり、外からは見えない。
自分や私が影響したものが、本当の私。
本当の私は、外に居るのだ。

100%、外に現す。
それは、姿形ではなく、行動した影響力やエネルギー。

それが私という働きだ。
働き=生きるということだ。

posted by ほへと at 20:13| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月23日

般若

「般若」とは、般若心経の般若で、それは人間レベルでは到底理解の及ばない「智慧(ちえ)」のことだ。

が、一般的には、「般若の面」として、「嫉妬に狂った女が鬼に変じたもの」というある意味真逆とも言える意味で理解されている。
WIKIによれば、「『源氏物語』の葵の上が六条御息所の嫉妬心に悩まされ、その生怨霊にとりつかれた時、般若経を読んで御修法(みずほう)を行い怨霊を退治したから、般若が面の名になったともいわれる。」

絶対的真理である智慧が、生命を生み、生命は生き物に進化し、適応と淘汰という、壮大な試行錯誤の知性の果に、心を手に入れる。
心は、感情を生み、愛情は嫉妬や憎しみに化し、それをコントロールできなければ、鬼(霊)に落ちる。
人が亡くなってても、その強く低い感情の波動は、霊として、アストラル界に、または憑依することにより、現実界に現象化する。
まぁ、それまさに「般若の面」だな。

「般若波羅蜜多時」
般若心経の冒頭、「觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時」というのがある。

観音様が、まさか悟りを求めての修行中だったというにも驚いたが、人間の上位クラスである、菩薩レベルが慈愛で人間クラスをサポートするという修行し、そして悟り、智慧を得る。
「照見五蘊皆空。度一切苦厄。」
人間クラスは「空」であり、苦しみなどは一切ないことを見つけたと続く。

一度発した感情は、やがては薄れて消えていく。
それを、消さないためには、何度も思い出す。
それが、相手に向かうのが、「恨み」であり、穴を2つ掘り。
それを、悔しさとして、自分に向かわせば、成長のエネルギー源となる。

さて、我々人間レベルが、菩薩クラスに向かうには?

般若←菩薩→人間
  菩薩←人間→般若の面

という対比は面白いかなと思う。
「照見怨霊皆空。度一切嫉妬。」
posted by ほへと at 17:19| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

子供とウソ

子供にウソをつくなと言うしつけに少し考えよう。

塾をさぼった。
ちゃんと行っているとウソをついた。

楽しくないから、塾には行きたくない。
でも、親に心配させたり、言い訳するのが邪魔くさい。

まぁ、誰もが一度は経験していることかもしれない。

それを、過剰に脅かすように叱っても、事の本質は解決しない。

大人は、楽しくなくても仕事に行く。

ウソを言うから素直じゃない?
楽しくないことから逃げることは素直なことだと思う。

それより、大人(多く)は、楽しいことを諦めている。
子供に、楽しいことを、諦めさせたい?

子供の目的は、「勉強」?
人生の目的は、「仕事」?

楽しいことって?

将来が楽しいように、勉強や仕事をするのじゃないかな?

でも大人のように、素直に楽しいことがわからなくなっているものは、素直な子供から学んだり、ヒントになったりする。

大人が、また政治家が、テレビで平気で嘘を言う。

ウソをつくのは、弱い部分があるからだ。隠したい部分があるから。
強くなれば、隠さなくてもいいのかもしれない。

またいろいろな気遣いでウソも必要な場合もあるだろう。
うそをつけと言ってるのではない。
詐欺的に騙すためのウソは、いけないと教えるべきだと思う。

ウソをつかなければ、良い人間になるのではない。
ウソをつかなければ、幸せで楽しい人生になるのではない。

良い人間になれば、ウソをつかなくてもいいのかもしれない。
幸せで楽しい人生になれば、ウソをつかなくてもいいのかもしれない。

要するに、子供のかわいいウソに、カウンターで叱る前に、少し考えてあげてください。
そして、これを機会に、親自身、良い人間、楽しい人生というのを考えてみよう。
posted by ほへと at 13:25| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月21日

占いと運命

運命を信じるということは、
自分を信じるということ。
起こってくる出来事に対して、ネガティブに捉えず、最後まで力を出し尽くすこと。
結果や評価は見ない。
人生の先を眺める。

エゴを信じるは、目先に、こういうことが起これと期待すること。欲望。
それ自体が運命(自分)の否定である。
無論、起こっている運命と一致すればいいが、大体乖離しているために、期待は裏切られるのが常である。
いちいち考えたりせず、いたずらにエゴの感情を刺激せず、さっさと手放そう。

占いは、占いを信じるのではなく、エゴの愚かさを学び、意識を上げ、自分を信じ、自分自身である人生を学ぶためのツールのひとつ。

占いに凝っている人で、我の強い人は、自分の思い通りに事が成ったと見えても、ダメになる。
占いのパワーは、過去(エゴ)を強めるためではなく、未来(セルフ)と繋がるために使うこと。

一般的に占いは、英語で「fortune telling」と言われているが、ほへとは「divine」の方を採用している。
「divine」は、神や神聖という形容の意味と、占うという動詞がある。
posted by ほへと at 20:19| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

自分を変える・牢屋から出るには?

鑑定をしていて、あぁーこれは中々硬いなと感じる人がいる。
逆に、悪い意味でゆるゆるだなと感じる人もいる。

そもそも、そういう人は「変わりたくない」人が多い。


牢屋にいる人の2パターン。
牢屋から出たくない人と牢屋から出れない人。

世間の目を気にする人と、世間知らずの2パターン。

・牢屋から出たくない人
鍵という、絶対条件を手放すことができない人は、自分で鍵をかけている。

やはり、あまり仕事にこだわらないほうがいい。
収入にこだわらないほうがいい。

生活のレベルを一定にすること、そのマンションに住み続けること。
何かあったときのために親のそばで暮らすことなど。

それを全部リセットして、自分にとって一番良いところへ行こう。

世間からの目を気にしすぎて、自分を自分の幸せを無視している。


・牢屋から出れない人
目標が自分に合っていない、自己把握できていない。世間からの評価を自意識過剰が受け入れない。

世間を知ること、世間を受け入れること。世間と一体になること。
主体を自分に置かない。
世間に置く。
自分のために、世間があるのではない。
自分を認めない世間を批判しても仕方なし。
結局自分のためにある、狭い牢屋に戻る。

もっと世間を知ること。
それは、今まで知っていたことを捨て去るということ。
今まで信じてたことから開放されること。


どっちのパターンにしても、実は牢屋に鍵はかかってない。
牢屋と戦わないように。
posted by ほへと at 18:28| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月30日

趣味の上達

趣味でも仕事でもなんでも、あるレベルまでは、まるでわからないものだ。

だから、すぐに才能がないだ、向いていないだと諦めないこと。

それが、あるレベルに達した途端に、自由になり、良し悪しがわかるようになる。

それまでは、どうしても、どうしたら良いか?というHowto?を求めてしまう。
迷いである。

でも、結局、Howto?を知っても、できるようになるかもしれないが、何も知ったことにはならない。

例えば料理にしても、今やネットを見れば、レシピから手順から親切に説明されている。
それを、トレースしてみても、または、料理教室に通ってみても、
確かに、おいしい料理は作れるかもしれないが、

本当の趣味という点からすれば、本当の知識という点からすれば、
レシピそれには中身のおいしいところは何もない、セミの抜け殻のようなものだ。

美味しいものが作れることが、料理上手さんではないのだ。

料理に関しては、話がそれるが、自分様や家族様を大切に考え、何を食べさすか?と、食材を活かすこと2点が大事だと思う。
美味しさは2の次、3の次だ。

ちなみに京料理、おばんさいという家庭料理は、わざと味気ないように、美味しくなりすぎないように薄味で作るという。

生きているうちは、ずっと何か食べないといけないのだから、料理は、楽しみながら、時間をかけて、自力で学んでいこう!
うまいものはたまに店で食えばいいから、

ダンスにしても、ゴルフなどにしても、釣りにしても、写真にしても、プロやオリンピックなど真剣に目指していないなら、
いたずらに、階段抜かし的な知識はいらない。
続けてやっていれば、分かってくる。塩梅が分かってくる。

最短コースを行くほどつまらないものはない。
だから、しばらく道を迷いながら彷徨ってみてください。

誰かの方法ではなく、自分の方法を見つけてください。
もちろん、自分のものにしたなら問題はないが、
先生から学ぶのではない、経験から学ぶ、人生から学ぶのであること。

その姿勢が定まってからの、先人の知恵を活かすのだ。

生きるということは、知るということ。
自分を知ってください。

人生を楽しんで、知っていってください。
知ったことが、それがあなた自身です。

ライフワークとはよく言ったものだ。
posted by ほへと at 18:44| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月19日

清く正しく生きる

誰からに言われたからやるのではない。
そうやることが、無意識となる。

ある境地に達してくれば、人は自ずと清く正しく生きてくる。
無意識(第5チャクラ)にきちんとするようになる。

考えてやるのでも、感情的にやるのでもない。気合を入れるわけでもない。

罪と犯すことは良くないが、
それより、良くないこともあるのだ。

その罪を、自ずと罪と気づけること。

常識的に罪だと言われているから、それ以上自分では踏み込んで考えない。

ルールと照らし合わせての、善悪判断だけでは、
「自ずと」が足りない。

清く正しく生きる。ことは、何かのルールを厳守し、自らを制限することではない。

自ら、自由にして、その中で、何かに気づき、そして、清く正しく生きる。ようになるのだろう。
posted by ほへと at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月06日

テスト読み上げ動画「やりたいことをやる。(少し辛口)」

先のブログ「やりたいことをやる。」をテキスト読み上げ動画にしました。

「読み上げてもらう方が、すんなり入ってきます、消化しやすい。」
という意見をいただきました。

しかし、なかなか、作成は難しいですね。
今回も、文字が重なって見にくかったりする場所がありますが、、直し方がわからない。

良ければ、御覧ください。

posted by ほへと at 15:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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