2013年07月18日

心を強くするには

「心を強くする」には、まったく逆で、心の声を無視することです。
もしくは、心を無にすることです。

常々心の声に耳を傾けていては、強くなるはずはありません。

どういうことか?

心が主体で発することは、単にエゴです。
それをいちいち聞いていては前に進めません。
まして、エゴの要求(=欲)を増長させるようなことはあまりやめましょう。


心を強くするには、心を意志の支配下に置くことです。

まず、意志を明確にすることですね。
自分のやるべきことをしっかり決めるということです。

今、あなたがやるべきことは何ですか?

自分のやるべきことは、それは、いわば、法のようなもので、心の上に存在するものです。
意志を実現するために、心と身体はあるのです。

心は下僕です。
しっかり上下関係を構築する。


心は油断すると、ソフトクリーム食べたい、外に行きたくない、アイツが私に理不尽なことをする、イタリアに行きたいなぁ。
など、いろいろなことが浮かべてきます。

そんなことをいちいち聞いていれば、本来のやるべきことが遠のきますね。

また人間弱ってくると、心は無駄に自己弁護します。
何故私がこんな目に合わなければいけないのだ?
私は悪くない。
こうなった原因はやつのせいだ。
やつのココがほれ、悪いじゃないか!

そんなことをいつまでも聞いていても、ましてやノートやSNSに書いても、
ダメですね。

まずは、やるべきことをしっかり持って、心をその支配下に置くことです。

やるべきことは抽象的でもいい。
幸せになる。健康になる、金持ちになるでもいい。

そのために、心が、ココが悪い、ここがダメだと、改善ポイントを指摘するのは良い事だ。

がしかし、やるべきことから逃げるために、ココが悪い、ここがダメだと、言い訳していては、それはダメですね。

それは他人に対してもそうです。

自分の心を無視することが出来れば、いちいち相手の言動にかき乱されなくなります。
そう、同じように、相手の心の声を無視できるからです。
相手のやるべき方向を見据えて、いらないところに反応しないようになります。

また、相手が心(エゴ)から発しているのか、もっと上からの意識で発しているのかわかってきます。


簡単にいえば、心に同情しないこと。
自分にも相手にも。
それが心の強さです。
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2013年02月28日

運命よ未来をまだ決めないで

必要なのは未来を知るレーダー(占い)ではなく、目の前の幸(チャンス)をゲットする腕力(実力)です。

いつからかな?
未来を知るという興味は無くなった。
多分、自信というか、自分の歩む道は、これでいいのだと思ったからかな?

タロットもしたことがある、やたら未来を気にして、未来というのを知りたかった過去もあった。
でも、やがて、目の前に現れた、チャンスを得るのはしょせん実力であると気づく。

それはある時。
運命というものがあるということを理解した時は、
すなわち、未来を知りたいということを卒業した時だった。

運命は、飴やムチなどを使い、やがて目の前に現れるチャンスの為に、いろいろ準備をさせる。
そして、4次元の地図のある位置まで導く。
やがて、扉が開き、ラスボスっぽいのが出てくる。
やるべきことができてないと、倒せないのだな。

こういうことを繰り返している人、頑張っている人とはこういう感じの先にいるのだろう。

そういう人を簡単に運がいいと思ってないだろうか?

だから、一見同じように見えても、そんな人とは4次元の地図上では重ならないのだな。

運命よ未来をまだ決めないで。
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2013年02月11日

バレンタインとアイテム(?)

バレンタインだから、パートナーのいない人は、こういう祭りには是非参加しよう!
本命のいない人も本命を一つ無理やり作る。
軽くね。軽く。

また、好みというのもできるだけ捨てる。
それより、縁的なものを見たほうがいい。
遠くのイケメンより、近くのナニだな(笑)。
一発勝負ではなく、確率で行こう。
ホームランではなく、バントな。実力と年齢も考えて。

義理にコストを回すくらいなら、本命を3〜5個とかに増量する。
滑り止めとは言わないが、数撃ちゃ当たるはある。
あからさまな義理では、逆に、可能性の門を自ら閉じているのですよ。
飯一緒に行けるレベルならガンガン本命な。
後で、困るくらいになればいい。(まぁならんし)

それと大事なのは自信です。
美人でもコンプレックスが強いと恋愛は下手。
多少ナニでも自信のある人は、尊敬するほど恋愛の上手い人はいる。
やはり経験なんだろう。

あと、アイテムとして、よく水晶のブレスレットとか見るけど、ダメだな。

パートナーが欲しい人は、ポッケに、ライター、マッチ、小瓶でウイスキーとかウォッカを。
タバコは吸わなくても、火は付けなくても持っとくと良い。マッチ売りの少女だな。

恋愛のスタートは、冷静になったら負けや。
水晶は、まぁ単純に冷たいイメージがするだろ?
水晶=水=冷たい:冷静

奇門遁甲(方位術)でも、最大の恋愛運は、木と火の組み合わせ。
恋愛運の悪い方位には、水と土の組み合わせもある。水晶って、、

また、水晶球はどちらかというと、即現実面に影響はしないし、

使い方としては、動かない時。反省するとか、目標を決めるとか、そういう時に使えば効果的だと思う。
行動中や実行中は逆にうまく行きかけた現実を遠ざけてしまう場合もある。
現実から引き離すからね。精神的とはそういう意味もある。

ローズクォーツ(紅水晶)も、水晶の中では、赤い。
恋愛をイメージしやすいというのはあるが、これも、会議室で使ってね。現場で見せたら引くよ(笑)。


ともかくライター、マッチなどの火のアイテムの効果として、
スバリ行動がバカになる(キリッ)
水晶とかの方向と逆だな。

クリスマスとかバレンタインは、赤だよね。
祭りとかも、バカだろ?
赤=火=バカ(大事)

恋愛だから、バーニングなんだな。
ハートに火をつけてなんだよ。
バレンタインだから、相手のハートに火をつけないとね。

だから、渡す時には、イメージとして、炎と共に渡す感じで。
バレンタインという祭りを利用して、頑張ってください。
posted by ほへと at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月09日

這い上がる

どんな状況でも、前を、上を見なければ、這い上がれません。
下ばかり見ても、また、下がってしまいます。

これは意識の問題です。

悪い事を意識すれば、心は悪い事を求めるようになります。
良い事を意識すれば、心は良い事を求めます。

這い上がるとは、悪い事を、意識しなくなったということです。


悪い事を意識すれば、心は悪い事を求めるようになります。
それは悪事を考えているのとも違います。

何かを否定する場合、良い状況を指向して、悪い部分を改善、無くそうとして否定しているのか?
単に、悪い部分しか目に入らない意識状態になっているのか?の違いです。

前者は前向きですが、後者はそれがなくなっても、また違う悪い部分を探すので、良くはならない。
悪い事を意識しているとはそういうことです。

時には、自分の信念、正義感で、何かを激しく否定するかもしれません。
それは、ポジティブです。
否定は即ダメとかではない。
あとは、否定するだけか?という次のステップですね。

人を見る場合でも、思考能力よりも、その人の意識を見なければいけない。
意識が低ければ、思考結果が弾き出すものも、低いです。
言葉や文章の節々にでますね。
ツイッター等でも、正義っぽく振舞っても、単に否定するだけの人には、うーんですね。

極端に、良く見ようとしたり、ポジティブに思い込もうとするのも同じようにダメです。
クリアに、ありのままに見ることが大事ですね。

意識が前を上を見ているのではなく、色眼鏡で見ているのですね。
意識が過度に期待するのもダメ。
それではまた、同じ場所に戻ってきますよ。

例えば、裏切られたのではなく、見方が甘いのです。
信じることはダメです。現実を見るのです。

這い上がる途中で、よくある失敗ですね。

クリアな意識ですね。
クリアな意識を持つコツは、姿勢です。

崩れた姿勢では、クリアな意識は難しいので、
正座とか坐禅とかして、頭の重さを腹に、地に、落としてみましょう。
一番の近道かも。できるだけ無心で。

とりあえず、谷底から、一気に這い上がれないので、
一歩づつ、一歩づつ、下がることもあるだろうが、前に、上に歩んでいこう。
焦りは禁物です。

前より、こだわらなくなった。その程度でも、前進なのです。

まだまだ、寒いですが、日は確実に長くなってきています。
前を上を向いて、良い事に意識が向くように。
posted by ほへと at 23:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月20日

人間関係、古い友人について

人間関係を作るのが苦手な人は、まず古い友人を大事にしない。

新しい知り合いを優先し、古い友人を疎かにすれば、当然、人間関係は希薄となるね。という話し。

一見、社交的で、友人が多そうな人に見えても、人間関係を作るのは苦手な人は多い。

友達の友達はみな友達だと思ってる人は、意外に友達は少ない。

友人と、友人の友人はまったく違う。
冷たいかもしれないし謙虚なのかもしれないけど、それは知り合いだろうと思う。

友人の紹介でも、あなたとは一からのスタート。
出会いは、花や実ではなく、種や芽なのだ。
時間を掛けて縁を育てていかなければいけない。

友人に頼めても、知り合いには頼めない。故に友人なのだ。

それでも、友人の友人は頼みを聞いてくれるかもしれない。
それは、あなたを友人として信頼しているのではなく、友人を信頼しているからだ。

友人の友人に迷惑を掛ければ、それは同時に友人と友人の友人も切れる。

せっかくの出会いを、花や実と勘違いし、もぎ取ったらどうなるのだ?その縁は枯れるということだ。

中には、誰々の友人ということをアピールし、友達の友達はみな友達の法則を利用して、
人脈を開拓し、渡り歩き、迷惑掛けて、気がつけば去っていった人もいる。

何十年来の友人と、昨日今日あった友人とどっちが大切か、優先順位がわからなくなっている。
人も大切だが、その人と作ってきた思い出も大切だ。

しかし、中には、人の上っ面のステータスしか興味のない人もいる。
偉い人と、知り合いになっても、だからどうなんだ?
あなたに得でも、相手からも得でなければ、関係は成り立たない。

昔からの友人がいなければ、経験や成長を比較することはできない。

友人に礼儀とか、筋を通すということが、わからなければ、
友人の友人の扱いがわからなければ、人間関係は広がらない。

ともかく、知り合い(出会い)、時間を掛けて、友人に、さらに年月をかけて親友になっていくということ。

ちなみに、優先順位の無い、オリジンタイプD、数秘4,8はこのようなことに陥らないように。
友人には、ちゃんと気を使って、プレゼント等もすること、損をさせないように。
間違っても、おごってもらってばかりとか、もらってばかりにならないように注意。
新しい知り合いと、古い友人では、古い友人が大事ですよ。メッ

風水的な方位ポイントは、
出会い、すなわち、種や芽は、東、
縁を強めていくのが、南東
花が南
実が西。
経験から反省し、目標を決めるのが北。
古きを断ち切って、新たな出会いを、潜在意意識化で認可するのが、北東。
煮え切らない、腐れ縁は、南西。

いつもすぐにスタート(東)へ戻るではダメ、しっかり南(楽しみ)、西(実)、実?酒のあてかな?ができて友人かな?

部屋のその方向をキレイに。

例えば、アプリ版友人データベースでこういうのもいいかも。
☆☆☆☆☆ 親友・友人・戦友・マイライフレベル
☆☆☆☆  友人
☆☆☆   知り合い(友人の友人)
☆☆    知ってる
☆     今はどうでもいい
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2012年12月14日

恋愛は逆思考で

ここ数十年で、メイク技術かファッションセンスか女性は非常に美しくなっていると思う。

それなのに、不況なのか、車もないし、力を誇示できない、うかつに手を出せばセクハラ呼ばわりされる。
そんな最近のオス若人の草食化やリアルメスに対する興味の希薄さや、投資意欲の無さは、非常にもったいない。

出生率の低下の前の結婚率の低下の前の交際率の低下
時代や政治のせいにしても、人生は帰ってこないので、交際率上げよう。
クリスマスやバレンタインはやってくるし(マヤ暦で終わらなければ)。


恋愛で注意しなければいけないのは、男女で考え方・意識が全く違うというか逆ということの理解だろう。
自分サイドの思いや考えだけでは、相手を振り向かすことは難しい。
また、付き合っても、うまく行かない。

恋愛相談は同性より、異性のアドバイスは重要です。(※恋愛相談は男性のほへとへ)

まず男女平等という言葉が、ちょっとおかしいと思う。
違うものが、同じく等しいというのは無理がある。
例えば、犬と猫は平等である。みたいな感じだ。

昔の男尊女卑に対する、反対の考えと思うけど、
まぁ、一般社会では男女平等であるべきだろうが、
密室部分?、性差においては男女が平等な部分はない。


恋愛で大事なことは、自分と反対の意識を持つこと。
自分の思いや考えばかりを、ガンガンしててもダメ。
相手は違う生き物と思って話さなければ理解はない。
ちょっと相手の気持を考えろ、とうレベルではない。

非常にシンプルだけど、よく考えてみて欲しい。
男性の恋愛は、3次元から4次元、すなわち、現実から心の方向
女性の恋愛は、4次元から3次元、心から現実の方向

その方が、割と、相手の真実に近いかもしれない。
その反対を知るための恋愛かもしれないと思う。

男女真逆。

上っ面の社会で、どれだけスマートに生きても。
恋愛は一番大事なコミュニケーションと思う。
posted by ほへと at 17:06| Comment(3) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月03日

東京にて(121201-2)

最近の鑑定の悩みには、何をしていいのがわからないというのが多い。

夢希望がない。持てない。そんな社会だけど、政治家さん、仕事ですよ。

2012-12-02 13.24.02.jpg
海鮮丼850円也。
今日は、いつもの新宿の丼コマツへランチへいくが、つい目の前の寿司屋へいく。

ブログ用に写真撮ってもいいですか?と大将っぽい人に尋ねると、
いいよ、どんどんCMしてと気軽にいう。
しかし、その大将っぽいおっさんは、「丼には顔があって、こっちが正面だ」と言って丼を回転させる。
いい話する前に、最初から、客に顔見せとけよ。と心でつぶやく。

さすが、寿司屋。酢飯がおいしいね。
でも誰があの罰ゲーム並みのワサビの量がいるのだろう?とまた心でつぶやく。目には涙。

ごちそうさまでした。

ボディワーク教室は、ストレッチやヨガでお馴染みの前屈ポーズ。
太ももと腹をくっつけるようにはやらない!
逆にそこに力は入れない!
前に投げ出した脚を、踵を中心に床に押し付ける。
その反発力で背筋を上に伸ばす。手は斜め前上45度に伸ばすつもり。
それで腰を十分に伸ばしつつ。

意外と、楽に伸びるようになったようです。

最近の人の悩みに、夢や目標がないという話をした。
目標達成時のイメージよりも、実行時に生じるリスクを考える。
いくら提案しても、うーん、どうかな?となる。

そりゃ、行動できんね。
恋愛も、仕事も。

財布にお金が詰まっていたら、アイデアは溢れてくるけど、
逆だと、無駄排除思考に陥るのと同じ感じかな?

ちょい前のおっさんはバブルを知っていた、
今の人は、無駄排除思考が強く、
夢や目標という設定自体に疑問があるのかもしれない。

ほへとがもし政治家になれば何を実現するかの話をしたが、
とてもブログでは書けない内容であった。
意外と納得する人もいて、あなたも、ほへ党やね。

2012-12-02 21.37.24.jpg
打ち上げにいつもの、表参道最安居酒屋?中西へ

雨で傘を持っていなかった人がいたので、店に忘れた傘があると思うから、帰りにもらったら?という提案したら、みんな信じられないというような顔。おいおい。
ほへとが普通に店員さんと交渉しゲットする。

居酒屋は7名、盛り上がりました。
posted by ほへと at 22:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月27日

名や意味が浮かび出す世界

世の中のいろいろなものを見る時。

無意識に、そのものの「名」と「イメージ」を認識している。
いろいろなものを見て、ふと浮かぶ「名」にどんな感じがしますか?
(見る:それは視覚でも、聴覚でも、味覚でも五感という意味)

逆に、その人の持っている、そんな言葉とそのイメージを、そのもの達が見つめている。
あなたも、ものも、見つめ合う時に、はじめて存在する。

本当のあなたは、見つめているものと同じ世界にいるのではない。
そのもの達が見つめている、名や意味が浮かび出す世界にいるのだ。

現実の自分は決して本当の自分ではない。
心の作用である、欲も感情も、思考も、決して本当の自分ではない。
(それは、エゴと読んでいる。生年月日占いが参考となる)

人を見るということ。
人から見られるということ。

本当の自分は、エゴを静めて、名の方を意識しなければ見えてこない。
こっち側をセルフと読んでいる。
いくら心(エゴ)をとりつくろってもどうでもいい。

存在はそっちでは無いのだから。

そのもの達が見つめているのは、姿や心ではない。

あなたから、いろいろなものの、「名」と「イメージ」が生み出され、世の中を創っていく。
「あなた」という世の中を。

ちょっとうさんくさいけど、考えてみて。
posted by ほへと at 15:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月31日

般若心経の研究(5)「般若波羅蜜多」

「般若波羅蜜多」とは?
般若:根源的な叡智とか、究極の真理。般若の面は関係ない(はず)。
波羅蜜多:彼岸に渡るの意とか、菩薩必須カリキュラム、サンスクリットでパーラミター

般若波羅蜜多:要は6つの修行(六波羅蜜:菩薩必須カリキュラム)の中の一つで、究極の真理を得ることを指向する修行のことを指す。

般若心経冒頭で、「観自在菩薩」が「般若波羅蜜多」の行深、時に、「照見五蘊皆空 度一切苦厄」がそもそもの始まりである。

その後、弟子の舎利子に「五蘊皆空」の「空」とさらに「空」の中を説明。

で、今回、
「菩提薩埵」、「三世諸仏」がそれぞれ(?)「般若波羅蜜多」を依るが故え(よるがゆえ)、どうなったかが説明される。
「心の恐怖心や迷いから、開放され、絶対の悟りの境地に至る」とある。

「菩提薩埵」は修行中の菩薩。「三世諸仏」は悟った仏。

さらに、
故えに知る、「般若波羅蜜多」は、最上級の「呪文(真言)」である。とある。

最終的には、「般若波羅蜜多」の「呪」を説くとなり、あの「羯諦羯諦ー」に続くのであるが、この最後の方はよくわからん。

ほへととしては、
「般若波羅蜜多」は最上級の「呪文(真言)」であると言っているのに、
さらに「般若波羅蜜多」の「呪」を説くとはどういうことやねん。
「般若波羅蜜多呪」が「是大神呪」ではなく、
「般若波羅蜜多」が「是大神呪」だろう?矛盾?

そもそも、「観自在菩薩」、「菩提薩埵」、「三世諸仏」が大事なのは「般若波羅蜜多」
であり、「般若波羅蜜多呪」ではないはずだが?
何か最後が、無茶な気がするがそれは、素人だし、いずれもっと分かる日が来るかもしれない。
何にしても、分からない事は、分からないで、先送りすることも大切で、
今の未熟な自分に理解できるように低レベルに解釈するべきではないだろう。

また、訳者によっても、区切り方から、解釈までこの辺りはいろいろですね。
まぁ万一わかるときは悟った時かな(笑)

とりあえず、「般若波羅蜜多」は、あっち(仏界?)ではこう言って(呪)ますよ的な感じで置いています。

結論的に、
要は、「般若心経」の本質は「空」を説くのではなく、どっちかといえば、「般若波羅蜜多」が大事ですよということが、素直に解釈すればわかる。

まぁ誤解も織り込み済みで言えば、般若心経とは、この「究極の真理を得る修行(般若波羅蜜多)」へのお誘いではないかと思う。(甘い口説き文句も多い)

大事なのは、「般若心経」の文章自体でも「空」でもなく、「究極の真理を得る修行(般若波羅蜜多)」の実践により、「五蘊皆空」であることを掴むことではないか?
まぁ般若心経自体が、宝ではなく、宝の地図であるという当たり前のこと。
宝探しの旅が「般若波羅蜜多」、宝が「空」、旅人が「五蘊」という感じかな。

さらに続く。
posted by ほへと at 17:38| Comment(3) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月22日

般若心経の研究(4)「空」

般若心経や「空」に関しては、イマイチ納得出来ない訳が多い。
何か無理やり、道徳的な、説法的な、信仰的な用い方を見るが違和感がある。

例えば、
現実も人間の存在も実態のない幻ですので、執着せず、心を囚われることなかれ。
きれいや汚れといった心に囚われてはいけませんよ。
みたいな。

宗派や歴代の解釈や、檀家さんへの方便や、大人の事情かもしれないが、

でもそれって、観音さまレベルが悟る話なのか?、逆にかなりの人生がっかりじゃないか?と思う。

もっと素直に、逆に情を排除して、論理的に、理系な視点で見ていきたい。

前にもいいましたが、
最初に「空」が出てくるのは、冒頭の、
「照見五蘊皆空 度一切苦厄」の「五蘊は空なり」

その次は、最初の舎利子以下、
「色不異空 空不異色、色即是空 空即是色」

これを素直に訳せば、
・舎利子よ、いいか、「色」は「空」と異ならず。「空」は「色」と異ならず。

おそらく、舎利子は、「異ならずって同じってことちゃうの?」と突っ込んだかもしれない。

それを察したのか、最初からか、
・「色」は「空」とイコールで正しい。「空」は「色」とイコールで正しい。
とくる。さらに、
・「受想行識」の残りの五蘊も省略するけど一緒やぞと。

次に、2回目の舎利子以下、「空」を不や無の否定形で説明します。
「是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行識」

「是諸法空相」という言葉が出てきますが、これは否定形ではないが、これの解釈も重要と思う。
諸法とは、この世の理というか、科学的な宇宙の法則といった感じでしょうか?
問題は「空相」である。「相」とは手相や家相のように、幾つかの顔や状態が存在するということ。
・この宇宙の法則は、空のひとつの姿(相)である。

ここは結構重要です。宇宙の法則は「空」である。では無いのだ。
今までに来た「空」の説明では、
五蘊皆空:五蘊は空なり
色不異空:「色」は「空」と異ならず
色即是空:「色」は「空」とイコールで正しい。

しかし、この世、宇宙の法則はイコール「空」ではなく、空の相であるということ。
五蘊は「空」であるが、この宇宙の法則は一段回テンションが下がって、空の相という点。
この宇宙より、人間の方が、エライということちゃうのか?

で、「不生不滅 不垢不浄 不増不減」
先の諸法とも関連するのだが、
・(この世界は空のひとつの姿だが、「空」は)
・この宇宙と違って、ビッグバンも無ければ、宇宙の終わりもない。人間の価値観もなく(判断する意識体がいない)、膨張も縮小もしていない。
すなわち、「空」には時間が存在していないと取るのが論理的・理系だよね。

「是故空中 無色 無受想行識」
ゆえに、「空」の中には、「色」は無い、受想行識も無い。
すなわち、「空」の中には五蘊といった人間の意識のようなものは無いということです。

その後は、いろいろと、NOT(無)の嵐であるが、まぁ端的に言えば、「空」とは、この世界の次元で考えるなよ、違うし。という感じですかね。
ちょいと気になるのは、無明(迷い)は無い。すなわち、「空」とは確実に、ポジティブなもので、「幻」的なものではないことはわかる。

ほへとが舎利子だったら、
「えっさっきは空と五蘊は同じみたいなこと言ってたけど、今度は、空の中には、五蘊は無いやと?どういうことや?」
と、混乱するだろう。

では、結局「空」とはスバリ何なのか?
それが、知りたければ、次に「般若波羅蜜多」というキーワードが出てくる。

次へ続く。
posted by ほへと at 21:35| Comment(3) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月18日

般若心経の研究(3)・五蘊・数秘の補足

ちょっと今回は前回の補足。

五蘊(ごうん)とは、色・受・想・行・識の5つの人間の存在を構成する要素です。

この要素である、色・受・想・行・識はバラバラで単独に存在しているのではなく、時間軸でつながっているということです。

これは、フォーカスが順番に移り変わることも示しています。
最初は、「色」である、現実にフォーカスしています。
次に、「受」である、感受である、感性や感情、感覚にシフトします。
さらに次に、「想」である、思考や作戦などにシフトし、
「行」で、現実を変える意志を発動します。
「識」は、特殊ですが、色受想行、以外のフォーカスですね。
そして、新たな「色」が出現し、再びそれをフォーカスするという感じですね。

逆に、このつながりが途切れては、「色」である、現実を変えることができないということです。

ブログコメントで、数秘4,8に「行」というのが当てはめられたのに、、というのがありましたが、

「色」→「受」→「想」→がちゃんとできてからの、「行」でなければいけません。
数秘4・8においては、現実の認識が弱く、感受性も弱い、結果的に作戦計画もイマイチとなり、
何をどうしたいわけでもなく、無駄にバタバタと行動してしまう。という悪い点がある。

それでも、数秘4はステージ1と現実に近いためにまだマシです。
ステージ2の数秘8においては、特に、しっかり「色」→「受」→「想」をしなければ、
「色」→「受」が弱く、完全に現実を無視した、「想」、思考に陥り、「行」へ行く。
だから現実が良くならないどころか、悪化の一途を辿る場合もある。

しかし、これは全数秘に言えることです。
例えば、数秘3は、「想」は得意だが、「受」を見ないと相手とのバランスが崩れるし、「行」が弱ければ、いい考えも活かせないなど、

色・受・想・行・識と5つ全部持つことは無いので、
基本は2つ、メイン数秘とサブ数秘です。
または、メイン数秘ひとつです。

五蘊ではなく、三蘊や一蘊では「空」に至らないのです。
多くの場合、どれかが欠けていたり弱かったりします。
五蘊のバランスを取るという発想が大事です。

この辺り、自分の持っていない数秘、すなわち五蘊の要素の勉強が大事ということです。
自分が弱いと思われる部分、例えば「受」なら、数秘2と6の人を観察したり、作品見たり、深くコミュニケーションしてみる。
(勉強には、Android版:ほへと生年月日占いには友人数秘データベース付きなのでオススメです。)

さらに、波動年という概念を取り入れていますが。
今誕生日年は、数秘nの年という感じ。
これは、よくある、nの年は良いとか悪いとか、空亡とかではなく、
全年回りに意味があり大事で、次の年にバトンを渡していくという考えです。

例えば第8波動年は最も運気が強く願望達成のタイミングだが、第1波動年〜前年に作戦をしっかりたてる第7波動年までをちゃんと生きていないと、1年が無駄にバタバタで終わってしますということです。
それは、9年間を無駄にする結果となるかもしれないので、どの年も気を抜かずにちゃんと生きましょう。
自分自身でも、五蘊は年ごとに巡ってきているので、しっかりここでも勉強したいですね。

参考「色受想行識」はほへと数秘ではオリジンタイプという概念が近いです。
A 色/識 数秘1・5・9
B 受 数秘2・6
C 想 数秘3・7
D 行 数秘4・8
posted by ほへと at 17:04| Comment(1) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月16日

般若心経の研究(2)・五蘊

ほへとさんは仏教徒ですかと尋ねられますが、違います。まぁ座禅とかもするけど。
般若心経の研究が終われば、次は古事記の研究が始まるかも知れませんよ。
ほへと占術研究所では、宗教家ではなく、占術や真理的な側面で研究しています。
ちなみに以前の名刺には、占い師ではなく、divineとありました。


ほへとは、般若心経の肝は、
1:五蘊皆空
2:般若波羅蜜多
であると考えています。

まず「五蘊」の説明ですが、
五蘊(ごうん)とは、色・受・想・行・識の5つの人間の存在を構成する要素です。
邪魔くさいので人間の本質と略されたりする。

各意味もいろいろ解釈があるのですが、端的にわかりやすく言えば、
色とは、現実のこと。
受とは、それを心に取り込むこと、感情や、感覚や、感性、認識なども入る。インプット
想とは、思い、考えること。
行とは、現実を変えるための意志、行動。アウトプット
識とは、潜在意識が書き換えられ、新たな色が準備される感じ。

現実の出来事を受け取り、考え、行動し、対処していく、そして新たな現実が巡り、再びそれらを繰り返すというものです。(まぁそれは、「空」であると言っているのだが、、)

人間は、{色→受→想→行→識}→{色→受→想→行→識}→というのを繰り返しているということですね。

実はこの感じは、ほへと数秘と同じなのですね。
数秘1のキーワード現実を数秘2のキーワード感受という風に、、

数秘に当てはめると、
色 数秘1,5 現実と一体感を求める
受 数秘2,6 感情・感覚
想 数秘3,7 思考
行 数秘4,8 行動
識 数秘9  抽象的:非現実 言霊的には(色)と同じ響きが面白いですね。
とすれば、なんとなくイメージが湧きますね。(えっほへとだけ)

ほへと的には、五蘊とは数秘であり、エゴの本質である。
ほへと数秘やオリジンタイプ(4パターン)のアイデアは実は般若心経の五蘊研究の影響も受けているのですね。(カバラ数秘とちょっと違うのはこの辺り)
五蘊を知ることは人間を知ることでもある。ほへと数秘もまたかくのごとし。


次に続く
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2012年08月13日

般若心経の研究(1)

お盆というわけでもないのですが、般若心経について。

ほへとはずっと昔から般若心経は研究していますが、
そこで、般若心経がヒントになったこと、気付いたこと。
中には大きく意味が外れていることもあると思いますが、ちょいと書こうと思う。

別に大した話ではないのですが、持ってる人は「般若心経」を用意してください。

かの玄奘三蔵がインドからもって帰ったと云われている般若心経ですが、
「空」という概念や、「色即是空 空即是色」が有名ですね。

般若心経は唱えるだけでも、お経を身につけるだけでもご利益があるなど云われていますが、
やはり、ちゃんと意味を理解・把握したいものですね。

書物なども膨大な数が出ていますし、訳や解説も人それぞれです。
しかし、正直、あまり納得するもは無いという感じです。

わかりやすくの説明が、何か中途半端感や抽象的な感じが否めない。

そもそも、簡単に「空」などが文章で、仏教徒でもない、一般民間人が、修行などもせず、膨大なお経の中の、般若心経(それも抜粋)だけを読んだり、勉強したりで、理解さすのは無茶があるということもある。


まず、「般若心経」は何を語っているのか?

それについては、単純で、要は「五蘊皆空」が大事ですよという話です。
これは、般若心経の冒頭部分に出てきます。

「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」

まぁ、誤解を恐れずに今風に訳すれば、

意識進化した、人間の上位的存在が、世の真理を追求していた時に、
「五蘊」は「空」であることを発見した。それにより、エゴの苦しみから開放された。

という感じの訳になります。(目くじらは立てずに)

菩薩とは、人間と同じように悟りを求め修行している、人間の先輩に当たる存在である。
ちなみに仏:如来は悟った人である。

ここで、大事なことは、前半はともかく、「五蘊」は「空」であることに尽きる。

ココ以降の「舎利子〜」は、「空」の説明が延々とされているだけである。
「色不異空、空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是」
「色は空と異ならず、空は色に異ならず、色は空や、空は色や、以下同文」
以下同文(受想行識亦復如是)の部分を展開すれば、
「受は空と異ならず、空は受に異ならず、受は空や、空は受や」
「想は空と異ならず、空は想に異ならず、想は空や、空は想や」
「行は空と異ならず、空は行に異ならず、行は空や、空は行や」
「識は空と異ならず、空は識に異ならず、識は空や、空は識や」

さらに2度め「舎利子〜」も、はしょりますが、空の説明が、延々とされている。

その後、「般若波羅蜜多」というのも大事であるというのがわかります。
「菩提薩埵」、「三世諸仏」が「依般若波羅蜜多故」したことのメリットが説明されています。その後も、「般若波羅蜜多」は素晴らしいという話が続き、
最後は、ちょっと何言ってるか分からない「羯諦羯諦〜」で締めくくられます。

「般若波羅蜜多」は、要は、世の真理や理を追求することです。

そんなわけで、般若心経から試験が出るとして、最も重要な赤線キーワードは、
1:五蘊皆空
2:般若波羅蜜多
でないかと思われる。

故に、「般若心経」の研究・勉強はここに2点に絞られていくのであった。

次へ続く
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2012年08月06日

セルフのイメージ。

セルフとは、自分というエゴが対面している現実の方が実は本当の自分ではないかという考えです。

カメラの例えで言うと、カメラ機がエゴで、撮った写真によるアルバムがセルフという感じです。

エゴ的には、自分はカメラ機と思っている。カメラ機を自慢し大切にする。
しかし、撮った作品である、写真のほうが意味があり、本質な自分を表しているという考えです。

カメラ機にはそれを設計した思想などがあり、エゴにもエゴを設計した思惑があるはずです。
写真には、撮った人の意図が反映するように、セルフにも、生きた人の意識や行動の結果であると考えています。

今3名の目の前に、真っ赤なトマトがあるが、当たり前なこのトマトは3人の心のスクリーンに写っている。
エゴ的には、空間には一つのトマトであるが、セルフ的には、まったく同一のトマトが心のスクリーンに映ることはない。3人の認識力や感性や感情等によって、あるいはまったく違うトマトのイメージが心に作られる。
この3人の一つのトマトに対する認識の違いこそが、その人を表しているという事です。(難しいだろ)

これがわかれば、「相手の立場に立つ」というのが少しは理解できる。
同じ物を見ても、決して同じには感じないものなのだ。
自分の主観ではなく、客観的でもなく、少しは相手の主観を感じようとすることが大切です。


雑談のなかで、ひとつの喩えをした。
もし、この世界に自分が存在していなかったら?
そんなもしもの世界と、今、生きている、知っているこの世界との差は何か?

本来、いるはずのない、世界に、自分がやってきた。
よくある、タイムスリップ話で歴史に干渉して、
歴史を、未来を変えてしまうという話のような話だ。

自分の存在の有無は、とても小さな差かもしれない、意外に大きいかもしれない。

その差というのが、セルフとも言えるのではにだろうか?
生まれて、時間が経つに連れ、世の中に影響していく毎に、細い枝が無数に伸びていき、
成長していく毎に、植物の根や枝木の広がりにように見えているかもしれない。
幾つもの、そんな枝や根が絡み合っているのかもしれない。

また自分自身が暗闇をライトで照らして歩いているような感じでしょうか?
闇に浮かぶ照らされた部分のように、この現実は自分が世界の一部を照らしてできています。
逆に照らされてない闇である、見ていないもの、感じていないものは、自分の中には入らないということです。

本当の自分、セルフのイメージは、鏡に写っている、エゴ的な私ではないということです。
あまり、鏡の中の自分を、自分と思いすぎると、我が強くなりますので注意。
よって、風水では鏡の扱いを慎重にし、むやみに自分が映るようには配置しないのです。(ほへと風水)

ついで、鏡は言葉遊びでは、可・我・見といいます。我を抜きましょう。
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2012年07月08日

憎しみや恨みの感情について

人を憎むな・恨むなと言っても、簡単なものではない。
また、人に憎まれ、恨まれることもあるだろう。

自分の力ではどうしょうもないことが人生に起る。
かける言葉も見当たらない。

無念さや、絶望を受け止めるには人は弱わすぎて
恨まなければやってけないこともある。

逆に、大事な人を殺され、憎まない、恨まないような人もどうかと思う。


そんな、憎しみや恨みの感情についてだが、
大なり小なり、人は誰かを恨んでいる。
忘れて、気がついていないだけかもしれない、遠い昔のことかもしれない。
自分自身かもしれない。

もし、恨んでいたことを思い出して、今なら許せる事なら、ひとつひとつ消していこう。
強くなれば、憎しみや恨みの感情を抑えることもできる。
無論、事による。

恨みを晴らすというように、恨みは光が届かない闇なのだ。
ひと度起きれば、ぐるぐる無限の堂々巡り。
袋小路で出口はない。

本来は、現実を変えようとする力、すなわち意志力が、多少なりとも状況を変化させ、自身も変化・成長するものだが、その意志力がくじかれ、失ったものが、憎しみや恨みの感情となる。

結果、本来現実化するべき力が、行き場を失い、頭の中をグルグル駆けまわる。
苦悩は、心も身体も弱らせ、精神力も低下していく。
恨んでいる間は立ち止まることとなる。
(意志力、目標や希望が、恨みの念や呪となれば、現実を変えられないから、リバースであなたが成長することはない。それが、立ち止まるということ)

そういう性質が、憎しみや恨みの感情にはある。

できれば、その感情に合わせないこと、合わさないことが何よりです。

そして、その感情を抱いた時にどうするか?
愚痴言って、酒で発散できる程度ならいいが、

自分自身が、憎しみや恨みの感情に支配され抜け出せなくなったら。
そうなってしまってからは中々大変だから、

日頃から、憎しみや恨みの感情の逆にある、喜びや感謝、そして感激や感動するなどの感情も得られるように努力すること、アンテナを切り替えることも大切だと思う。

切り替えるには、それには精神力も強さも必要でが、辛いことが10個あっても、それでさらに11個目を探さないように、逆の良いこと一個でもしっかり噛みしめてください。

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2012年06月11日

慈悲について

仏教では愛という言葉は、憎しみと対の言葉として使われる。
それはコインの裏表の一面を指し、コインを指すものではない。
どちらかというと、愛欲、性愛的な「愛」で、人生いろいろな苦や憎も生み出すことによる注意が多い。

キリスト教的に全面「愛」押しで幸せというのではない。

そんな、宗教比率では、キリスト教系より仏教系が多い日本では、「愛」という言葉が少し照れくさいものだ。
どうも、日本的には、「愛」=「LOVE」=「エロ(ス)」的な「性愛」方向であるのは否めない。
(家族愛とかはあるとして、そうそう人に愛してるとはいわんし)
まぁハリウッド映画の美人を見たら発生するのが「愛」という認識?

しかし、本来のキリスト教下での「愛」というのは、エロスとは違う、もっと広い「アガペー」的な方向らしい。

仏教では、「愛」より、全面押しで、多用するのは、「慈悲」の方だろう。

慈悲深いお人や、などと使うが、今一慈悲の意味とは何だろうか?
イマイチ、「情」と混乱しがちな、「慈悲」という言葉は、あまり好きではない。

慈 ジとは、訓読みでは、いつくしむ
悲 ヒとは、訓読みでは、かなしい

そのまま、悲しんでる人をいつくしむ。
すなわち、かわいそうな人を上から救う的な意味で捉えがちだが、

実は、調べていくとどうもちょっと違うようだ。

実は、そもそも、慈悲とは漢語ではない。いや漢語かな?(どっちや)
元々は仏教用語として、サンスクリット語(古代インド語)を漢語に訳したものなのだ。

慈はサンスクリットでマイトリー、マイトレーヤで、WikiPediaでは相手の幸福を望む心とある。
友を表すミトラ、ミトゥラ、の意味の全てのものに対する純粋な友情が語源らしい。

悲はサンスクリットでカルナーで、呻きの意。

まとめると、「あぅ〜」と人生に困っている友に対しての気持ちや行いが「慈悲」と捉えると納得かな。
って、これって、キリスト教の「アガペー」的な方向と同じやん。
友という言葉がある分、具体的にわかりやすいね。

ほんの少しの違いだけど、
「悲しんでいる人に何かしようとする気持ち」と
「悲しんでいる友人に何かしようとする気持ち」の差は大きい。

なるほど、情ではないのだ、友なら、上からという意識ではないしな。

ちょっと慈悲って言葉誤解もあったな。

まぁ言葉の誤解は多い。
仏教の慈悲はどちらかというと、本来のキリスト教の愛(アガペー)近いということ。
日本の愛は、仏教的な性愛(エロス)をベースに、ハリウッド映画の「愛」とキリスト教的な愛(アガペー)と混乱している。
日本の慈悲は情け、情という上から目線があるが、本来は友に対する対等な気持ち。

(とはいえ、ここでの「友」は、エゴレベルではなく、仏レベル同士の友情らしいので、安く解釈せぬよう互いに注意しましょう)

これで明確になって、慈悲という言霊パワーはアップした(はず)。
posted by ほへと at 19:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月31日

とりあえず、とりとめないメモとして。

生年月日占いの説明を考えていたら、むっちゃ難しくなった。しかも方向ちゃうし。
とりあえず、とりとめないメモとして。

数秘とは、「数」それ自体が持つ意志力

生年月日とは、無限の輪から有限宇宙である現実世界にやってきた日。

誕生日は月日を指す場合が多いが、生年月日占いは年は必須。

スタート時には神様からあなたの本質である現実世界と、それの対であるエゴをもらう。

エゴは、その生年月日の数秘の意志力を継承している。
正確には現実世界は自己(セルフ)であるが、エゴ側のほうを自己と錯覚している。
そうしないと、命をムダに投げ出すから。

願いがかなったり、変な偶然が起こることは、神とかそういうたいそうな話ではなく、
自己とエゴとが繋がったという単純な事。本来はこれ。

いくらエゴが叫んでも暴れても、現実側に無視されていれば、エゴが巨大化し&孤立化しているということだ。

エゴと現実側(セルフ)には、インターフェースがある。
現実側(セルフ)からエゴが受け取る情報は、感受性である、感覚・感情・感性である。
または、違う切り口で言うとチャクラともいう。

エゴが現実側(セルフ)に送るのが、エゴ側の意志である。

意志という石を現実に投げかければ、波紋が広がる。
それを繊細に受け取る感受性が無ければ、波に乗れず、波に飲まれる。

弱い意味での繊細な心は傷つくことが嫌だから、石は投げない。

エゴ側には、考えるという力もあるので、試行錯誤して知恵を積み重ねること。
他人の知識は無駄な確認作業がいる。
まず経験したことを知識にする。
知識にすることが出来れば自由になるなり、視野範囲が広がる。

ヤル気は感情ではない。が、感情をヤル気に変えることはできる。
ヤル気は、病的な身心には起こりにくいのはご存知であろう。
一番困る相談に、「どうすればヤル気が出るのか?」がある。

人間の形にだけに、心や魂的なものが宿っていると考える人は我が強い。

逆に人間の外にこそ、それがある。

場所を変えることは大切。
気分が変わるからという理由だけではない。
意識的に変える方法に、風水や方位術がある。

言霊は、言葉、一音の響きに宿った語り。
数秘はクールだが、言霊はウエットだ。

それを安く上位次元とか、低レベルに解釈してはいけない。

人間の構成要素が物質の元である原子や分子の塊以外もあるなら、それを心や霊魂など言葉はどうでもいいが、動植物を始め、地球も、太陽系も、それなりに心や霊魂っぽいのがあると考えるのが普通だろう。

エコは悪くないが、人間のエゴが作り出した、勝手な地球の心配。大きなお世話。
地球は、人間がいなくなっても、放射能にまみれても、平気だ。
だから、地球のためという言葉はやめよう。
まず自分たち人類存続のために、自分のために、考えよ。


キリがないので今回はこのへんで。
posted by ほへと at 21:56| Comment(5) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月26日

君が代起立問題について

微妙な話題ですが、、

大阪の橋下市長の、君が代を起立しない先生をの件ですが、関東の人にはピンと来ないかも知れない。
ほへとも驚いたのは、関東の人は非常に皇室に対して好感度が高いということです。
関西は低いのか?と尋ねられれば、関東よりは確実に低いですね。

さてそこで、卒業式で君が代で起立しない先生が問題になっているが、
そんなことはどうでもいいとは言わないけど、もっと深刻な問題がある。
別にそんな先生が卒業式にそれで首を切られたところで、卒業生にとってはさほどどうでもいい(卒業したし)。

問題の本質は、そんな先生に、歪んだ歴史教育などを習ってしまったことである。
多分、他の(関東圏とかの)一般生徒より、皇室なりの考えが歪んでいる可能性があるからだ。

ほへとは京都の公立高校で、3年の担任は、君が代を起立しないとかいう話ではなく、
ことあるごとに国旗を隠すとか、国旗を燃やすレベルの社会の教師だった。(今思えばひどかったな)
無論そんな残念な人に歴史などを習ったものだから、反日教育というか、天皇と軍国主義がセットでいかに悪いかなどを、社会と道徳の時間に叩き込まれた。
神道系の友人などは泣きながらそれを酷いと言っていたな。

仲の良い友人の一人は、そのせいか、ひどく天皇制を嫌う。曰く基本は人は平等なのに、特別な存在の皇室とは?税金泥棒と。
やっぱりそういう教育の影響というのは大きい。

無論、思想の自由もあるし、その考えを完全否定はしないけども、
学生時代に、それを疑うこともなく、受け入れるしか無い生徒はかわいそうだということだ。

まぁ京都は土地柄か、大阪もかな。
そういう思想は、自主的に興味ある人だけに、宗教やそういう団体でやってくれ、強制的に学ばされる公立の学生の立場になれと思う。
(本人たちは正しいと思っているのだろうけど)

昔は国歌斉唱や正月の天皇参賀に旗振る大勢の人を見て、少しの違和感や嫌悪感を感じていたのは事実だし、そのことは非常に残念である。
まぁほへとは、言霊研究や平安時代の風水の研究で、歴史は一から勉強しなおしているから良かったものの、

君が代否定の先生を切っても、学んでしまったものは、簡単には消えないのよね。

そして、卒業していった生徒は、当たり前のように、大人になり、新しい日本を作っていくのだ。

ちょっと心配やねという話。
今の政府見てても。
posted by ほへと at 19:47| Comment(5) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月05日

謝るということ。

謝る事を知っている。
それは日本人の良さだ。
自らを生かせる。

世界一謝る民族と言われている。

それは、降伏を意味しない。

究極的には謝る事に理由などない。
自然に、神に、すいません。(済みません)、ありがとうございます。おかげ様です。

明日(セルフ)がより良くなるように、自分自身(エゴ)も成長し良くなっていきます。

そういうものです。
それがわかれば日本人と思う。


人間誰しも過ちを犯す。

私が悪いと認めることが、即謝っているわけではない。
頭を下げること。土下座することに、謝るが入って無ければ意味はない。

どうせ私が悪い。
そんなことが口癖になっている人はいないと思うが、、
どうせ私が悪い。には、「謝る」が抜けている。
その責任を他人に押し付けるように、過去の自分に押しつけているだけ。

謝るとは、それは自分の間違ったことを認め、そして改心するということなのです。
改心できない、謝るってのが多い。

たまに絶対に非を認めない人がいるが、それを我(エゴ)が強いという。
それでは現実であるセルフは答えてはくれない、響かない。
いくら叫んでも、セルフである現実は無視し続けるだろう。
セルフにとって都合のよいエゴの状態というのがある。エゴが強すぎは使えない。

願わくば、良いエゴではなく、良い人生(セルフ)でありたいものです。

自分という命に、謝り、そして感謝する。

本当に、心から謝れる人間はすばらしい。
posted by ほへと at 18:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月06日

スピリタス

近所に大型の酒屋がオープンした。記念に来店するのだが、風水アイテム用にアルコール高めの酒を買うことに。
ウォッカ、スピリットなど40度が多いな。一番高いので50度か。
店員さんにアルコールが一番高い酒はと聞いて、これありますよと。


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あるやん、スピリタス。鬼のアルコール度96パーセント火気厳禁!

大体なんやねん、96度って意味わからん。

日本酒もワインも15度前後やのに、完全に燃料やん。

昔、親分が、ほへとに出会う前、酒に溺れていた頃、多少のアルコールでは酔えないかなり冷めた状態だったようで、ウィスキー、ウォッカ、どんどんアルコール度数の高い酒に突き進んで行かれ、最終的にこのスピリタスに行き着いたそうで、呑めば、アルコールの高さと揮発性より、胃に到達する前に蒸発するそうだが、頭にはもの凄く来るらしく、これはヤバい、このままでは死ぬと悟られ、その後、このスピリタスのお陰で親分は目覚を覚まし、酒に溺れることは無くなったそうだ。

親分曰く、アルコール度数と人生の悲しさは比例するという名言を残されたが、あのスピリタスに出会いし頃は人生の96パーセント悲しかったそうだ。

まぁほへとは、現在、96%も悲しくないし、5%で酔えるように心がけているから、スピリタスには手を出さない予定。


アルコールというものは、水のようだが水ではない。
強力な殺菌作用や、可燃性、燃料という性質を持つ。

風水的には、気は水に留まるという言葉があるが、アルコールに気を留めさせ、水回りの気の減少に一定の歯止めをかける効果を期待するもの。また陰気を打ち消す効果もある。

古来よりお清めに酒を撒いたりする。

水まわりや陰陽の気を調整したり、そんな風に使う予定。
posted by ほへと at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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