2019年05月11日

5月病対策


長いGWで、休みボケが抜けない。
急激な気温の上昇に身体がついていかない。

そんなときは、気合を入れず、無理せずに、楽にできる道を探しましょう。

歩くスピードを、少しゆっくりにしたらいい。
焦って食べなくても、腹が減ったら何か食べるでいい。

こんな考えは危険です。
・迷惑をかけたくない。
・責任を持って。

そんなことを続けると、最終的に無責任にもっと迷惑をかけてしまいます。

ちょっと肩の力を抜いて、
バカになろう。

賢こ振ると疲れます。

自分のやりたいことがちゃんとできているのかを考えよう。

誰かの命令や指示を、うまくできているかではなく、。

できていないなら、自分のやりたいことに集中して考えよう。

やらないといけないことは、それなんだ。

まぁバランスも大事だけど、疲れている時に、嫌なことは辛い。

人生は辛い?人生は楽しい?

楽に、自由に。

そして、やりたいことがわかれば、他はどうでもいいやん。

しばらくすると、身体もなれるし、エゴも環境にも慣れてくる。
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2019年03月31日

単にやりたいことをやる。

「やりたいことをやる」のだけど、
「私がやりたいこと」をやるとなればちょっとニュアンスがずれるんだな。
私が付くとどうしても、不自由な感じがする。

やりたいこと。
好きなこと。
それはこの世界での出会いで気付いていく。

私と、世界という私以外が存在する。
私と私以外(世界)の両方を信じなければ、やりたいことはできない。

私は、世界に作り出されている。
私が、世界を作り出している。

これを足せば、私が消える。

やらされている=やりたいことをやっている。

だから、単にやりたいことをやる。となる。
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2019年02月25日

向いている仕事

よく向いている仕事を聞かれるが、当然占い上、それはある程度分かるが、
それより好きとか興味があるとかの方が大事と思う。
無論、それがまったくわからないなら、占いでアドバイスはする。

また、仕事の種類も世には無限にあり、
同じ仕事としても、会社、経営者によっては、根底から(?)に違う場合もある。

そもそも、それ以前に地域性もあり、
こんな港町じゃ、ITの仕事は無いよとか、実際住んでいる地域から通えるレベルというのもある。

今は、ちょっと前と違い。
お金が至上主義では無いと思う。
それは、ある程度精神の成熟もあると思う。

「お金」「収入」というものをターゲットにすれば、「向いている仕事」というのもどうしても出てくる。

しかし、それが天職ならいいが、1日は24時間のうち、大雑把に、仕事、プライベート、寝る。と各8時間とすると、
起きている時間の半分が仕事となる。
それが、嫌々な仕事、忍耐な仕事なら、ある意味人生半分不幸と言えなくもない。

また逆に、日本人の悪いところというか、仕事が大事からと、プライベートを疎かにする、「仕事逃げ」的な問題も強くある。

そんなこんなで、良く言うアドバイスは、
・収入額や将来の安定のために仕事をすることは「今」を疎かにする。
・やりたい仕事より、どこで住みたいか?、誰と過ごしたいか?も十分考える。
・仕事が緊張で、プライベートが脱力では意味がない。
・仕事よりプライベートのほうが重要で、プライベートがポンコツで仕事仕事の人生では奴隷ちゃう?
・大体人気の職業は「ブラック」、補充がきくから。
・例え腕が一本無くても、精神が異常でも、多少問題があっても就職できる社会なんだから、適当でいいよ。


誤解のある表現ではありましたが、
言いたいことは、たとえ向いてなくても、好きな仕事、興味のある仕事を追いかけよう、
今の世の中、一番や最短コース、効率など求めてもろくな事がない。
そのためには、実際にいろいろな人にあって、話してみよう。
話せば話すほど、洗脳が解けるよ。

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2019年02月15日

自分自身を考える。

自分のことを分かっていると思っている人は、浅はかである。
同じように、他人も、例え仲の良い友人やパートナー、家族さえ、分かることはない。

まぁそこまでなくても、ゆるく分かっている程度でいいと思うが、
あまり強く信頼や信用を持つべきではないと思う。

とにかく、自分を知るためにも、他人との関わりは大切です。
多くのことを、その関係で気付いていきます。
だから、勝手に相手はこういう人と決めつけないように。
同じように、自分をこういう人と決めつけないように。

そんな中で、
「自分とは?」を考えてという話の中で、
自分の価値を考えてしまう勘違いがあった。

自分の価値ではなく、自分とは?自分自身のことを深く考えるんだ。

例えば考えることは、神様とは?であって、
神様のご利益は?ではないということ。

多くの人は、自分自身を、社会や他人の評価で客観的に知ろうとする。
しかし、それはあくまで、エゴの評価かもしれません。

自分がわからないから、社会で、自分の価値が、収入になっているなどと考えてしまう。
それでは、パートナーも価値で見てしまい、存在自身に気付けなくなる。

最近良くほへとの言う、エゴを社会に乗っ取られている。状態。

社会で評価された、「自分の価値」ではなく、もっと深い自分を見つめてほしいということ。

自分の人生(セルフ)のために、エゴを活かしましょう。

そういう意味で、自分の中心を見ようとしてください。
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2019年02月13日

好みと相性と縁

相性と縁というのは違う。

さらにいうなら、好みと相性も違う。

好みを優先して、相性などは見えてないこともあるある。

同じように、相性を優先して、縁が見えていないのもある。

縁がないという人は、もし好みにこだわっているならそうだろう。

相性は深いものだ。
いつまでも二人ではない。
グループや家族など、様々なものが絡んでくる。

必要な人は、自分の「鏡」なのかもしれない。
反対の存在。
何に対して反対かはいろいろ。

好みはエゴ、縁はセルフ。

あえて言うなら、
この人とは一生添え遂げられるか?の問いには、

聞こえないフリをしたい。

好みでも、相性も縁も、先を見すぎずに、足元を見よう。
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2018年11月30日

「命」という言葉は

「命」という言葉は、なんとなく「私の命」と解釈される。

私と命は切り離せないのではある。

しかし、「私」が「命」を所有しているという、上下関係はいただけない。

私がいるから命がある。否!

「命」があるから「私」がいるのだ。

大脳新皮質が死んでも、脳幹が生きていれば、「命」はあるのだ。

そもそも、「私」が眠って、この世界にいなくても
「私」は生きている。
私とは?

まず、「命」はひとつである。次元を3つほど上げれば、(ステージ5領域)
ロングロングアゴウ。
ひとつの命である、一個のバクテリアが誕生する。
多細胞生物になり、原生生物になり、脊椎動物(魚)になり、哺乳類になり、それはDNAに刻み込まれている。
何十、何百億の人間というエゴを生み出すに至る。

「命」があるから、私がいるのだ

「私」は「命」の一部なのだ。
「私の命」も「命」の一部なのだ。

「命」という言葉を、もっと大きなものに解釈したい。

「私」を「命」に捧げるのだ。
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2018年11月22日

足りない

足りない。
きっとずっとそうやって生きてきたのかもしれないが。

足りない物なのか?、足りないと思う心なのか?

外側(未来)に求める前に、内側(過去)を見よう。

今まで、足りないと思って、何を手に入れてきたか?

求めることを少し抑えよう。


例えば、お金。

お金、お金、お金!

は、ポジティブな、お金を引き寄せる言霊ではなく、

お金足りない!、お金足りない!を引き寄せる言霊になっていないか?


まぁ目先のことは良いとして、

自分の過去を見返してみれば、

足りないものを求めて、それを引き寄せて、中和させて、次のステップという繰り返しだ。

欲望として、足りないと思うことも必要だが、

いつまでの低レベルにそれを求めていては、

本当に足りないものを、必要なものに出会えない。
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2018年11月17日

神様

 単に「神」と違い、「神様」「神さん」と呼べばなんとなく親しみがわく。

一神教であれ、八百万であれ、人から見れば、見上げれば、「神」「かみ」「上」である。

かみさまは小学5年生という本が話題でほへとも読んで面白かった。

オカルトで、宇宙人がDNAを操作して人間を作ったという、その宇宙人が「神」だという。

その小学5年生のいう「神」と、オカルト宇宙人の「神」は同一ではないだろう。

極論、同じ宗教でも、AさんとBさんが同じ神を祈っていても、同じとは限らない。

神の数、宗教があるのか、人の数があるのか。

神の概念をひとつに統一することは無駄だと思うが、


何が言いたいかというと、他人の「神」という言葉を、自分の中の「神」をダイレクトに「=」に捉えてしまうのは危険だということ。

同じ人間でも小学生の時の神と、人生終盤の時の神の意味が同じではアカンと思う。

まぁ一番の大好物みたいなもの。

常にその時の自分にとって、神とは?というのは持っていたい。

神の意味の進化は、成長だと思う。


自分の人生を振り返った時に、どう考えても仕組まれていたような偶然がある。

だから、ただ、迷ったときに、「この身は神に捧げている」という感じでエゴを中和し、身をゆだねることはある。


posted by ほへと at 19:34| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月15日

頑張らないが、サボるわけではない。

基本は頑張らない。
手を抜いたり、サボれと言ってるのではない。
やるときは全力でやる。
リラックスしてやる。
子供が遊ぶように。

頑張るとき、緊張するときはある。
その時は、勇気を振り絞って立ち向かう。
しかし、それはいざという時で、日常ではない。
非常時だ。

日常頑張ってたら身体か心が壊れる。

仕事や家事や作業でも、できるだけ頑張らない。
気合を入れない。
考えすぎない。

一番ダメなのは、やらされてる感、奴隷意識。
それを頑張ってやっても、幸は来ない。

できるだけ前向きな意識で、肩の力を抜いてやろう。

頑張り感が透けて見えては美しくない。

楽しくすることは大事であるが、それも最終的には思わない。

透明に、清々しく。
もしくは、淡々とするのだ。
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2018年09月19日

自由自在

あまりに、自由すぎると、何をすればいいのかわからない。

どこに住めばいいのか、何を仕事にすればいいのか?

その迷っている時点で、自由を失っている。


そんなに強く、何をしなければいけないというのはない。
そして、現実が、なんとなく導くものがあり、

結果、新たな世界が開けたり、一回り、成長したと思える時。

今までの、束縛か、呪縛が消え去る。

自由自在だ。

そうして、少しづつ、自由自在を広げていく。

逆に、自由自在を狭め、束縛、呪縛を強めていくのか?

自由自在の方の道を歩みたい。
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2018年09月10日

人と関わることについて

迷惑を掛けたり、迷惑を掛けられたらどうしよう?
「迷惑」と過剰に考えない。
「迷惑」という言葉を、概念を少し忘れてみたら?

人と関わることは、煩わしい一面はある。
しかし、ネガティブな一面だけ見ているひとは、ネガティブなのだ。
人と関わることは、ネガティブではない。
ポジティブな面を、死ぬほど考え、想像してみよう。

人とうまく関われないのに、「自信」が無いというのがある。
自信というのは、一体なんだろう?
自信とは、無駄なことを考えないこと。

小さな子供は、子供同士仲良くなる。
自信がある、とうより恐怖心がないのだ。
すなわち無駄なことを考えないのだ。

いきなりしゃべり掛けて、相手は不快に思わないだろうか?
知らない相手なので、いきなり殴られたらどうしょう?
などとは、おそらく考えてない。

臆すると、警戒して考えてしまう。
考えれば、行動がおろそかになる。

自信のひとつに、自らの人生で、自分の世界をどれだけ掘り下げたか?
もし、人と話すときに、相手を上に見てしまい、萎縮する場合。
決して、自分より下に見る人を探すような、同情するようなバカなことはしないこと。

自信は、ただ一人で、世界と向き合って、知ることだ。
その掘り下げた深さが、その人の魅力でもある。

同じ所をうろうろしていないで、思い切って飛び込んでみよう。

そして、新しい自分を知るために、何れ他人は必要となってくる。
自然と関わりが生まれてくるだろう。
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2018年08月09日

支配&依存

支配的なエネルギーには、依存傾向のエネルギーが集う。
なので支配されたくないなら、依存しない。
例えば、お金でも、人でも、健康でも

お金があれば、良い人生が送れると思って、お金に依存する。

お金は大切ではあるが、そのお金は自分の人生を切り売りして得ているとしたら。
余計なお金は、自分の人生を無駄に切り売りしたということ。

お金に、人生が支配されないように。

よく、支配する側を悪くいうが、
支配されるのが嫌なら離れればいい。
それができないのは、依存かもしれない。

会社でも、パートナーでも、親でも、
文句いいながら、離れられないのは、
支配されてる&依存しているパターンかも
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2018年08月04日

謝る

謝ることのできない人は、いろいろ大変だ。

誰かに強制されて、謝ることは屈辱かもしれない。

何かに気づいて、間違いに気づいて、自発的に謝ること。

素直に謝る。エゴな言い訳しない。

自分を認めることとは、
間違いを認めることも含む。
間違いを認めるには、プライドは邪魔。
別に勇気もいらない、素直さがあれば。

些細なことを謝れない人は、
感謝したり、誉めたりするすることも
苦手なようだ。

子供が牛乳の入ったコップを倒した。
親が謝りなさい!という。
「ごめんなさい」

子供は、謝ることで親に許しを乞うているのではない。

最近の親の中には、子供の叱り方を間違えている人はいる。
その叱り方では、謝れない子に育つ。

謝るという動作は、祈りの姿勢と似ている。
頭を下げる。

本当の自分に謝っている。
本当の自分に祈っている。
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2018年08月03日

未来の自分の計らい

苦労や努力も、
痛みや葛藤も、

我々は、試練な状況を経験する。

もちろん、楽しさや感動の涙もある。

アメとムチで調教しているのだ。

もっともっとエゴを叩いて鍛えないと、
自分を幸せにできない。

既に、幸せになった、未来の自分が、計らっているのだ。

よく、以前の経験が役に立つシーンはあると思う。

悟った存在でなければ、
簡単に幸せにはなれない。

分かれば簡単なことも、分からなければ無理ゲーだ。

どんな状況も、前向きに感謝できる。
しかし、そうなるまでには、頭を何度も何度も壁にぶつけないといけない。

世の成功者と凡人の差は、想像以上に広い。

迷わずに、前を向くこと。
前とは、幸せになった、未来の自分。

今の状況はそこからのメッセージ&課題なのだ。
posted by ほへと at 20:39| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月26日

目覚め、「獣」を起こすには?

まぁ檻からでたけりゃ、バカになること。
お利口さんには無理。
寝かせつけた獣を起こすのだ。

まず「獣」を起こすには、健康以上の身体が必要だ。
健康以上は、病気ではないという状態ではない。

健康体は、恐怖心を抑え込める。
健康体は、自信を持つ。自信は強力な感情を発揮する。

この感情が、目覚めのアラームとなる。

自信がなければ、感情は失せる。
怒れない、愛せない、悲しめない。怖くて動けないだけ。

自分の弱いところを鍛えよう。
野生のしなやかなパワー。
思い通りに身体を動かせないのに、
世の中をどう変える?
世界は身体の延長線上にある。


常識という檻は、行動を制限する。

常識を無視して、犯罪者になれというのではない。
自分の行動は、自分で決める。という基本だ。

檻の中の、小さな自分が選択する未来は楽しいか?

未来から過去へ
まず未来の自分の存在があり、それを実現するために、今やるべきことをやっている。
未来は過去を積み上げた先には無いということ。

未来の自分にチャンネルを合わそう。
小さな自分が作っているパズルの絵は忘れよう。

まずは、行動を起こしてみよう。
日常の繰り返しパターンから抜け出そう。

自分を縛っているものを、少しづつ解き放っていこう。

posted by ほへと at 20:43| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月08日

生い立ちが嫌いとか

自分の生い立ちが嫌いだから、改名する人がいる。
どうしてもというなら止めはしない。
世の中には、ひどい家庭もある。
最近のニュースでも5才の女の子の無惨すぎる話もあった。

ただ一般的には、大抵の人は自分の生い立ちに満足していないだろう。
ほへとも自分の生い立ちには苦労し、なぜ自分はこんな境遇だろうかと天を呪った頃もあった。

友と飲み明かすようになり、他人の生い立ちを聞くようになり、自分より遙かに苦労している、しかも、スネるわけでもなく、その運命と戦って、前向きに生きている姿に、自分を省みて恥ずかしくなったものだ。

想像以上に、他人さんも生い立ちには苦労している。外からは想像できないけど。

だから、生い立ちを語れる友人がいることは重要だ。
いきなり知り合いレベルでは、同情話で終わるかもしれない。

少し前の鑑定でも、改名命名の相談があったが、自分の過去も自分、嫌いな自分の名を唱えることをアドバイスし、結果いろいろ気付かれようで、今まで隠していた自分の名、本名を使うことを選択された。

今の自分がうまくいっていないのは、生い立ちのせいではない。
生い立ちを未だ受け入れられてないなら、上辺でなく本当の幸せが見えてないかもしれない。
本当に今幸せなら、生い立ちにも感謝できているはず。

自分の生い立ちが嫌いでも、まず今生きてることに感謝しよう。

産まれて来なければ、話にならないわけだし。

自分の生い立ち、自分が産まれてきたことを肯定しようと一生懸命生きているのかもしれない。
posted by ほへと at 17:16| Comment(1) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月04日

感謝と姿勢

「感謝」というものは、いろいろ奥深い。

引き寄せの法則ではないが、「感謝」することで、運を味方にするというのはある。

常に感謝を心がけたいものだが、

とはいえ、何が何でも感謝するというのは、実際無理がある。
感謝する行為自体が軽くなったり、
口だけの感謝などで、
感謝の本来の意味が変わってしまっては意味がない。

本当に、感激した時に、感謝したいものだ。


いつも、何かに、感激し、感謝することは中々の上級者なので、
形だけ、感謝しようと思う。
形とは、姿勢。

「ありがとうございました。」

軽く頭を下げるとき、重心は足元に落ちる。
上半身は軽く脱力し、腹の奥が充実し、力が湧いてきます。

そんな姿勢を四六時中意識して、行います。

逆に、みぞおちを張った、上半身を緊張した姿勢は、怒りを表しています。

そんな姿勢をしていては、そういう結果を引き寄せます。



多分、上っ面では、感謝しようが恨もうがどうでもいい。
そんな時はある。
自分の奥底で、一番深いところが、感謝なのか?
恨み?不満なのか?

そこが、自分の生きてきた世界、人生の評価。

結局そこが一番重要で、
「あなた」、が、幸せなのか?不幸なのかを決める要素だと思う。
posted by ほへと at 20:37| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月22日

日大アメフト選手が会見を見て

日大アメフト選手が会見を見て、
もし、今ではなく20歳の頃なら、監督やコーチの言うことを聞いたかも知れない。と思う。

好きなアメフトの興味が薄れていき、もう二度とグランドには戻らない。
本当に、この監督・コーチは、アカン過ぎる。

反面教師にしても、、


でも人ごとでなく結構身近にありうる話だと思う。

まぁそんな近所にアメフト部はなくても、身近な会社やショップは、その社長や店長は、従業員、スタッフに無茶ぶりをしているかもしれない。

特に社会人1年生的な人は、ちょっと大きな会社では社長は、雲の上の存在かもしれない。一から教えてくれる上司は、反抗できないかもしれない。
いつも新入社員なんかにはいうが、仕事はマラソンだ100メール走と思えば、鬱になるぞと。
特にデキる子ほど注意だ。

ある程度、社会経験を積めば、適当さも分かってくる。


指導する立場として、
何々してほしければ、何々をしろ、
相手選手に怪我させて、自分とこの選手も潰す。
監督辞めたで責任取った?

とちょっと久々に怒怒ですね。
posted by ほへと at 20:51| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月18日

「私」と「死」について

人間の「死」について考えていた。
別にそういう意味ではない。

人間には、いくつかのレイヤーが積層している。

現実の世界の私、ステージ1現実、科学文明や常識に縛られている世界。
人間として、一番上っ面な世界であり、ここの死は、世間からの抹殺かも知れないが、即命が無くなるわけではない。

心の世界の私、ステージ2、感情や思考、エゴの世界、哺乳類のレベル。
身体とは別に、心には栄養が必要だ。家族や愛情、地位や名誉、芸術や真理など。
ここの死は、外からは、「心」を失うなり、狂うなりと見えるのかもしれない。
大事な人を失ったり。信じていたものに裏切られたり。

潜在意識の世界、ステージ3、無意識の領域、時間を感じない時間。脊椎動物のレベル。
ここの死は、身体が動かない、現実にアクセスできない。
植物状態や脳死の別はあるが、内臓は生きている場合は、「死」なのか「睡眠」か?
身体が健康だと、健全な心が宿る、心の土台だ。
潜在意識であるが、身体のことでもある、そういう意味でここが「人」としての「死」の場所?

集合意識の世界、ステージ4、原生生物レベル。内臓レベルだ。
内臓は、身体を活かしているのか?細胞を活かしているのか?
ある人が事後で亡くなった。その人の心臓が移植された。
その人の心臓が生きていても、やはりその人は「死」なのだ。
内臓疾患の場合は、このレベルが「死」に直面しているのかもしれない。

遠い未来の世界。人間の脳をバックアップし、クローン培養した新しい身体に、記憶をリストア(復元)した。
でも、その人はいない。もう死んでいると思う。

私は、誰かの生まれ変わりという、過去の記憶があるという。
こういう話を聞くたびに、「私」とは?思う。
その人はもう死んでいるし、その人と「私」は全然別個と思う。

さらに、ひょんな事から、人生観が変わり、生き方が変わった。
回りからは、別人のようだと言われる。
ある意味、過去の人が死んで、今の人に生まれ変わっているのかもしれない。
記憶も身体も共用しているが。
posted by ほへと at 19:26| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月15日

善悪判断はダメ、好き嫌いは良い

こいつわ悪いやつだから、いずれひどい目にあうはずだ。
とか、
あの人はいい人だから、絶対にうまくいくはずだ。

というのは関係がない。

だから、そういう考えはやめよう。

どんなに悪い人間でも、怪我すれば、その傷口は治っていくし。
どんな善い行いをしていても、風邪引く時は風邪をひく。

逆に、病気になっても、懺悔しようが感謝しようが、
それとは関係なく、身体は全力で回復しようとする。
エゴの頭が邪魔さえしなければ、大体は時間が病気を癒すものだ。
病気とそこからの回復力では、回復力が勝るからだ。

そうそう、例えば、人のものを盗むことは、人間の社会ルールでは悪である。
盗んで見つかれば、人間社会で生きづらくなる。

ということだけだ。

後悔や罪悪感で苦しむ場合は、天罰ではなく、自業自得だ。
国や文化においては、窃盗にかんして、罪悪感を持たない場合もある。


他人を善悪で否定肯定するのはやめよう。
裁判官ではない。
まして、神でも無いのだから、天罰下れ的な思いはダメ。

特に些細な、恨みごとでも、呪いとなり、自分に返ってくるかもしれない。

単に、好き嫌いで、離れたり、寄っていくことは良い。

だから、悪いやつで、それを見れば心が傷んだり汚れるなら、離れる。
いい人なら、うまくいくように、応援し、結果はどうであれ、最後まで見届けてあげよう。

posted by ほへと at 22:06| Comment(0) | 独り言(読み物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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